場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第九章 異世界への扉〉3
夢野久作『ドグラ・マグラ』/宮澤賢治『銀河鉄道の夜』
前田速夫
狂気とあやかし


折口の『死者の書』の冒頭の二行「
〈ドグラ・マグラ〉とは、記憶を喪失した語り手の「私」(=九州大学の学生呉一郎?)が残した、犯罪資料に関するノートの題名で、キリシタン・バテレンの使う「魔術」を意味する長崎方言と、作中に説明がありますが、この題名が面妖なだけではなくて、その内容も一口で紹介するのは不可能で、天下の奇書と言われるゆえんです。
時計らしき音で目覚めた私は、自分が誰なのか分かりません。そこへ若林と名乗る精神科の教授が現われ、そこが九大の精神病棟で、私と隣室の少女モヨ子は、ひと月前に亡くなった正木教授(若林の恩師)の学説の実験材料で、記憶が回復すれば、ある旧家の血統に属する数名の男女が不明の原因で殺し合い、発狂したことの真相が明らかになるだろうと告げられます。
ところが、脳髄の働きや心理の遺伝を説く正木の論文や呉一郎のノートを読み進めている私の前に、死んだはずの正木が現われ、若林の言ったことを全否定する。どうやら呉一郎は自分だと思いはじめていた私が、眼下の解放治療場を眺めると、なんとそこに呉一郎がいます。では、いったい私は誰なのか……。
本質的な不確定性、時間的錯綜、奇怪な矛盾をはらんだ入れ子構造、地方の土俗に根ざした旧習等々が、新聞記事、談話、研究論文、映画説明、祭文語り、縁起など、ありとあらゆる雑多な媒体を通して浮上してくるなかで、作品自体が狂気とあやかしに満ちた巨大な迷宮と化します。
柳田國男の『遠野物語』は明治四十三年(一九一〇)、折口信夫の『死者の書』は昭和十四年(一九三九)、そして夢野久作の『ドグラ・マグラ』は、昭和十年(一九三五)の刊行です。西欧に追い付き追い越せとひたすら近代化の道を驀進し、日清・日露戦争を経て、やがて太平洋戦争を迎える、このあわただしくも空ろな時代に、こうした作品が現われるのは、どこか浮足だった現実の世界より、むしろこうした異世界のほうに真実が感じられた結果でしょう。
どこまでも行ける切符

宮澤賢治も、柳田や折口と同時代の人だったのは、考えさせられます。いまでは日本の近代文学のなかでは、もっとも有名な、とくに若い人たちのあいだで人気のある作家・詩人ですが、その生涯と文学は、他の近代作家と違って、文学史上きわめて異質な、特異なものを含んでいます。
生前本になった作品は『注文の多い料理店』と詩集の『春と修羅』のみ。それも自費出版で、わずかに高村光太郎、草野心平が注目しただけ。ところが、死後一年目に彼の全集が刊行されるや、急速に彼の文名は高まり、「雨ニモマケズ」の詩や妹トシの死を前に書いた「永訣の朝」などが、教科書に取り上げられて、一般の人にも知られるようになり、地元の宮城県花巻には立派な宮澤賢治記念館が出来て、十年ほど前、彼の生誕百年に際しては、雑誌の特集、各地の展覧会など、一大ブームを巻き起こしました。
図書館の棚を見ると、賢治に関する本だけで三段分ぐらいあって、しかもそれらはほとんどが生前とはうって変わって、賢治を崇め、絶賛する本ばかり。まあそれほど賢治には不思議な魅力があり、書いても書いても書き切ったとはいえないものを含んでいるのでしょう。
賢治が童話という形式を選んだのは、彼の書きたいこと、表現したい世界は、近代小説が信奉するリアリズムでは表現が不可能だったからです。『銀河鉄道の夜』(新潮文庫)は、なかでも代表作で、賢治童話の集大成であると同時に、彼らしい特色がもっとも発揮されています。
ご承知のように、主人公は、ジョバンニという少年。父は(密猟で)監獄にいて、母は病気です。朝は新聞配達、放課後は活版所の活字拾いで家計を助けますが、疲れて学校では先生の質問に答えられません。そのとき、ジョバンニを助けたのが、友達のカンパネルラ。ケンタウルスの祭りの夜、ジョバンニは母にあげる牛乳の受け取りを待つあいだ、天気輪の柱の下の野原で眠りに落ち、目がさめたときは、カンパネルラと一緒に銀河鉄道の旅をしています。
汽車の窓から見える宇宙の景色は、それは美しいものですが、タイタニック号で溺れた家庭教師の青年と幼い姉弟と同乗していること、またあとでわかることですが、カンパネルラはザネリを救おうとして溺死していたことを考えると、死の世界を旅しているようにも考えられます。そして、大事なことは、相客になった鳥を捕る人や、家庭教師と幼い姉弟、そして同行していたカンパネルラまでもが途中の駅で降りてしまうのに、ジョバンニだけはいつまでも一人で、「どこまでも行ける切符」を持って、旅を続けることです。
さて、この作品の特質、展開を考えるのに、トポロジー的な考察は不可欠です。ここで大切なトポスは何でしょう。順に挙げていくと、教室、家、川、橋、坂、丘、天気輪の柱、銀河ステーション、白鳥の河原、プリシオン海岸、石炭袋、そらの穴と、これだけたくさんあるのも珍しい。
それぞれが、作中で重要な意味を担っていますが、なかでも注目すべきは、天気輪の柱と、石灰袋でしょうか。天気輪の柱は謎の語で、これまでにいろいろな解釈がされてきましたが、日常的な生活空間、つまり俗の空間と断絶した聖なる空間との交信を可能にするトポス、柱や梯子や塔など、宗教学で言うCOSMIC PILLER(宇宙柱)を指すと考えられます。
それから、もうひとつの石灰袋は今日の宇宙天文学が言うブラックホールを先取りしたものと言えます。カンパネルラがそこに吸収されてしまうのに対して、ジョバンニはそうはならずに、ひとり取り残されて、その先も旅を続け、どこまでもどこまでも行けるのは、この銀河空間が四次元世界だったからでしょう。つまり、これこそまさに異界であって、文学作品でなくては描けない、非在の空間です。
この四次元世界は、アインシュタインの「相対性理論」に基づいている。アインシュタインは一九二二年十一月、来日しており、大正末期の知識人のあいだに知的な興奮をもたらしましたが、賢治もその一人だったようです。
アインシュタインの相対性理論には特殊相対性理論と一般相対性理論の二種類があって、前者では上下、前後、左右という通常の三次元空間(ユークリッド空間)に第四番目の方向として、「時間」を加えた四次元空間――これをミンコフスキー空間と言います――を前提にします。また、後者には空間の曲率が場所によって異なる、リーマン空間と呼ばれるものもあります。ビッグバンやブラックホールなどの現象は、これによって説明ができます。
それでは、この『銀河鉄道の夜』の主題は何でしょう。一口に言えば、「ほんとうの幸福とは何か」を探す旅です。けれども、賢治が求める幸福とは、『農民藝術概要綱論』で述べられた言葉を使うと、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」というもので、えらくハードルの高いものです。
それは、文学すらも超えて、ほとんど宗教的といっていいくらいですが、国柱会の会員で熱心な法華経信者だったにもかかわらず、けして宗派臭くありません。ジョバンニの帰還は、死の世界をくぐって、この世に再生した、それまでとはすっかり生まれ変わった新しい人間の誕生を告げているようです。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。