場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第三章 路上〉2
 永井荷風『濹東綺譚』/川崎長太郎『抹香町』
前田速夫


    場所の選択  

 永井荷風の『濹東綺譚』(岩波文庫)も、下町の路地裏が舞台です。作者その人を思わせる「わたくし」は小説の腹案を練っていて、背景となる場所を求めて、東京の市中を散策しています。はじめのほうに、「小説をつくるとき、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである」という文章が出てきますが、これはまさしく小説上のトポスのことを言っています。

  《わたくしがふと心易くなった溝際(どぶぎわ)の家……お雪という女の住
 む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起(おもいおこ)させる一隅にあっ
 たのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因
 縁があったように思われる。その家は大正道路から唯ある路地に入
 り、汚れた(のぼり)の立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、な
 お奥深く入り込んだ処にあるので、表通りのラディオや蓄音機の響
 も素見客(ひやかし)の足音に消されてよくは聞えない。夏の夜、わたくしがラ
 ディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるま
 い。》

 しかし、そのお雪は打ち解けた態度ばかりでなく、やがて男を頼りのする風な真剣な態度が見えてくる。その心模様の変化が憎らしいくらいにうまく書いてあります。で、自分の過去の失敗の経験に照らして、これ以上深入りすることはかえってその自然な心性をそこなうと考えた「わたくし」は、それとない別れを告げ、未練を残しつつも、秋風の吹く戸外に逃れ出ます。
 こうして、ストーリーだけ紹介すると、わりと単純で、いい気なものと見えかねませんが、実際は作中劇風に腹案中の「失踪」の一部を挟んだり、漢詩や江戸戯作に関する蘊蓄を披歴したり、単行本刊行時に加えたものですが、巻末に長い「作者贅言」を載せるなど、実に手が込んでいる。これはやり過ぎると嫌味になって、若干そのきらいがないではありませんが、作者は気負いも苦渋のあともなく、らくらくと水を得た魚のように、筆を運んでいる。これはやはり油の乗りきった大家ならではの芸当です。
 この『濹東綺譚』には、荷風の文学遍歴、人生遍歴のすべてが投入されていると言って過言ではないでしょう。文明批評家、詩人、小説家の彼が、渾然一体となって、見事なハーモニーを奏でている。しかも、この作品が書かれたのは昭和十二年(一九三七)、日中戦争が勃発して、時代の重圧感がひしひしと迫るなかのことでしたから、当時の読者に鬱陶しい思いを拭い去る清々しさを感じさせたに相違なく、いまさらながら作者のとらわれのない、若々しい文学精神に感嘆させられます。


    チビ筆 

 それだけに、川崎長太郎の『抹香町』(講談社文芸文庫)を読むと、同じ路地もの、娼婦ものでも、そのあまりな落差に驚かされます。抹香町は、平屋建ての娼家が三、四十軒かたまる小田原の歓楽街。作者と等身大の川上竹六が「松ちゃん」という娼婦づれのしていない私娼にのぼせて通いつめるところが小説の主筋ですが、気まぐれに抹香町に足を向ける前の冒頭のくだりは、こんな具合です。

  《川上竹六も、既に五十歳であった。
  父親は十五年前、母親の方は六年前に亡くなって居り、弟がひと
 りあるだけで、女房子供なしの独身者である。このところ、十余
 年、屋根もぐるりもトタン一式の、吹き降りの日には、寝ている顔
 に、雨水のかかるような物置小屋に暮し、いまだに、ビール箱を机
 代りに、読んだり書いたりしている。終戦後の、出版インフレなど
 で、竹六のチビ筆も、彼一人の口すぎには、どうにかことかかぬ程
 度のものは稼げてきたようである。(中略)
  粗衣にも、粗食にも、馴れっこの、貧乏ダコが十分かたまって居
 り、定量配給の食パンに味噌をつけ、そいつを、近所の漁師の家か
 ら、度たび貰ってくる茶で流しこんだり、どこからか手に入れてく
 る、外食券をもって、食堂へ出かけ、汁に魚のアラ煮などついてい
 る、丼めしをかっこんだりするような平生にも、さのみ不足がまし
 い顔をしない。(中略)
  血行を、よくする為め、中気には、一番いいといわれる運動とし
 て、竹六は午前中、雨の降らない限り、外をほつき歩くことを日課
 としていた。ところ嫌わず歩き廻るのである。》

 まさに、路上の人です。貧乏くさい上に、しみったれた生活臭がそのまま立ちのぼっていて、しかもそれに自足しているようなところは、私小説を嫌悪する人には我慢ならないでしょうが、ここまであけすけに自分を突き放して書くには、よほどの修業が要ったに違いありません。文学上、文章上の修業と、人生上の修業の両方です。一葉や荷風の卓越した才能と麗筆には脱帽ですが、私はこういう「チビ筆」も好みです。

著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。