場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈序章 記憶がよみがえるとき〉2
 三島由紀夫『天人五衰』/瀬戸内寂聴『場所』
前田速夫


   日ざかりの庭 

 『天人五衰』(新潮文庫)は、ご承知のように、三島由紀夫の遺作です。「完」と記した連載の最終回の原稿を、その日の朝、担当の女性編集者宛てに残し、市ヶ谷の自衛隊に乗り込んで自決したあの出来事は、当時、同じ編集部にいた私にとって、忘れようにも忘れることのできないものです。《豊饒の海》の総タイトルのもと、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』と書き進めてきて、第四部『天人五衰』の完結はまだまだ先と聞いていたところに、あの事件でした。もちろん、三島由紀夫にすれば周到に計画したことで、小説の完成もそれに合わせたのでしたが、割り切れない気持ちがいつまでも残りました。
 この三島由紀夫畢生の四部作『豊饒の海』は、後藤明生の『挟み撃ち』とは対照的に、堅固な輪廻転生説によって構築されていて、各巻の主人公はそれぞれ二十歳で夭折して、次々に生まれ変わります。
 第一部『春の雪』の主人公松枝清顕は、明治維新で新華族に列せられた侯爵家の三代目の嫡子。幼馴染の令嬢綾倉聡子との禁忌の恋に殉じますが、死に際に自らの生まれ変わりを予告する夢日記を友人本多繁邦に託する。
 第二部『奔馬』。昭和初年、大阪控訴院判事となった本多は、大神神社の奉納剣道試合に列席した折、かつて松枝家の書生で国粋団体の塾長になっている飯沼の子息、勲と出会う(瀧の水に打たれる勲少年の脇腹には、生まれ変わりの印である、清顕と同じ三つの黒子がありました)。勲は国民の困窮と政財界軍閥の腐敗に憤り、昭和の神風連を志して同志を集め、要人の襲撃を計画しますが、事露われて捕らえられ、弁護士に転じた本多に救われるものの、独り抜け出して財界の巨頭を刺殺、自刃して果てる。
 第三部『暁の寺』。昭和十六年、本多は仕事でタイに旅した際、自分は日本人の生まれ変わりだと言い張る七歳のタイ王室の姫ジン・ジャンに出会い、その後インドの聖地ベナレスで生死の輪廻の実相を見、人間の意志の向こうを悟る。戦後、有能な弁護士として財をなした本多は、日本に留学したジン・ジャンに魅惑される。ところが、姫は社交界で評判の久松慶子の同性愛の相手となり、転生も曖昧なまま帰国、二十歳で死ぬ。
 第四部『天人五衰』。老境の本多は、旅先で孤児の少年安水透と出会い、脇腹に三つの黒子を見て転生の人物と認め、養子に迎える。少年はやがて邪悪な本性を露わして本多と敵対、見かねた慶子が夢日記の秘密を明かすと、透は自殺未遂で失明します。
『天人五衰』では、二十歳で夭逝した松枝清顕、その転生である飯沼勲、ジン・ジャン、透と四人の生を身近に見守ってきた本多も、今や七十六歳。最後の力を振り絞って、奈良の月修寺に辿り着きます。そこには、清顕との愛に生きた聡子が、美しく老いて門跡となっていたからです。自分は六十年間、ただここを再訪するためにのみ生きて来たのだという想いが募る。しかしながら、本多が清顕のことを訊ねると、門跡はまったく知らないと答えます。以下は、有名なラストシーンです。

 《「それなら、勲もいなかつたことになる。ジン・ジャンもいなか
 つたことになる。……その上、ひよつとしたら、この私ですらも…
 …」
 門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。
 「それも心々ですさかい」
 (中略)
  芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も
 見える。夏といふのに紅葉してゐる楓もあつて、青葉のなかに炎を
 点じてゐる。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の(きは)に花咲
 いた撫子がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見る
 からに日に熱して、腰かければ肌を灼きさうな青(すゑ)(たふ)が、
 芝生の中程に据ゑられてゐる。そして裏山の頂きの青空には、夏雲
 がまばゆい肩を聳やかしてゐる。
  これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。
 数珠を()るやうなの声がここを領してゐる。
  そのほかには何一つ音とてなく、寂寞(じゃくまく)を極めてゐる。この庭に
 は何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつ
 たと本多は思つた。
  庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……
                       「豊饒の海」完。
                 昭和四十五年十一月二十五日》

      


 輪廻転生の壮大な物語を企図した三島由紀夫、デビュー作の『仮面の告白』では、胎内での記憶を持っていると豪語した作者が、死ぬ前に「記憶もなければ何もないところへ来てしまった」と書く。これは、作家としてはやはり敗北ではないでしょうか。つまり、記憶は思い返されてこそ価値があるので、思い起こす、その手掛かりすら失ってしまえば、もうその先はありません。


  生の結節点 

 この三島とは反対に、瀬戸内寂聴の連作小説『場所』(新潮文庫)は、各篇のタイトルがいずれも作者と縁故のあった地名で、作者は高齢(執筆当時七十八歳)であるにもかかわらず、じっさいにその地に出向き、じつに丹念に生き生きと記憶をよみがえらせています。これこそ、場所が記憶の貯蔵庫であることの見本のようなものです。
 父祖の地「南山」、母の郷里「多々羅川」、幼少時を過ごした「中洲港」、そして小学生以来の思い出の地で、戦時中、一家で満州に渡っていたときに、母親が防空壕の中で焼け死んだ「眉山」。以下、東京女子大時代の「西荻窪」、出版社のアルバイトをしていた「油小路三条」、夫も子供もいる身でただならぬ関係を結んだ凉太からの呼び出しに応じ、途中でそこから引き返した「名古屋駅」、凉太との四角関係に苦しんだ小田仁二郎(小説家)ゆかりの「三鷹市下連雀」「塔ノ沢」「野方」「練馬高松町」、作家として多忙をきわめた「目白関口台町」「中野本町通」、得度を決心する前に、マンションの一室から、浅からぬ仲となった有名作家(井上光晴のことでしょう)を見送った「本郷壱岐坂」。作者は、それぞれの地に足を運んでは、みずからの半生を振り返りますが、それはいわゆる「感情旅行(センチメンタルジャーニー)」などといった、甘悲しいものではありません。
 たとえば、凉太に会いたい一心で自転車を漕いだ先の観音寺の境内には、凉太に肩を押えられ坐らされた石の台座が当時のままにあって、それを作者はこう書いています。

 《ふいに両脚の太腿に、凉太の泪の熱さがよみがえってきた。私に
 近づいては、過ぎ去って行ったすべての男たちの後ろ姿が、誰かの
 振る遍路鈴の中に、累々と立ち顕われては遠ざかるようであった。
 》

 そして、この『場所』が野間文芸賞を受賞したときの選考委員だった文芸評論家の秋山駿は、「記憶と時間」と題する選評で、こう述べました。

 《人は歳をとるとやがて、お前はどうやって生きてきたのか、お前
 は何をしてきたのか、という問いに、晒されるはずである。
  瀬戸内さんの『場所』は、そんな意味の、自分がどんなふうに生
 きてきたかという生の記録である。私小説であるといってもよろし
 い。自叙伝であるといってもよろしい。しかし、それに沿って、も
 う一つ微妙な旋律が流れる。
  生の結節点を、自分が棲んだところ、折り折りの暮らしの場所に
 索めた。それは「記憶」の奥を尋ねる旅であった。記憶の奥に深く
 分け入ることによって、記憶を通して、自分の内面にあるものを探
 求しようとする行為であった。
  もう一つの旅があった。それは「時間」である。出家されるまで
 の半生、男女の葛藤のあった半生を、今日、振り返り見れば、棲ん
 だ場所より重く存在しているのは、二十年三十年と過ぎた時間で
 あった。》

 プルーストの『失なわれた時を求めて』は、一片のマドレーヌ菓子から壮大な過去を想起しましたが、瀬戸内寂聴は地名をもとに自身の生の軌跡を辿り直します。もしも仮に地名が失われていたら、場所が失われていたら、自分の体験したことさえも霞んでしまったことでしょう。
 以下、本連載では作品からの引用を主に、その流れに乗りながら、考察を深めてゆきますが、筆者がそうするのは、決してそれが安易だからではありません。そうではなくて、引用はそれ自体、作品中の区切られた空間、場所(トポス)そのもの、織物であって、そこは作者の思念と読者の思念とが出会い、交錯し、火花を散らす場であるからこそ、特別に重視するのです。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。