場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第十一章 地縁と血縁〉1
大江健三郎『芽むしり仔撃ち』『万延元年のフットボー
ル』『同時代ゲーム』
前田速夫
谷間の村



大江健三郎は、昭和十年(一九三五)一月、四国の愛媛県喜多郡大瀬村に生まれています。松山東高校を経て、東大の仏文科に進み、サルトルほかを耽読、学内の「東大新聞」が五月祭特集号として、懸賞小説を募集したのに『奇妙な仕事』という短篇を応募、これが受賞したのを契機に、当時の文壇から、みずみずしい感覚と、第一級の知性を兼ね備えた、新世代の作家の登場として注目を集め、文芸雑誌からの注文があいついで、学生の身でいきなり作家生活に入ってしまったというキャリアの持主。
『死者の奢り』『飼育』『芽むしり仔撃ち』『われらの時代』『叫び声』『性的人間』といった初期の作品群は、戦後育ちの「遅れて来た青年」の鬱屈した心情をフランスの実存主義文学の思想にまぶして鮮やかに描き出し、当時の知的な若者から圧倒的な支持を得ました。人気という点で言うと、少し前の村上春樹に近いところがあって、筆者が大学では文学部に進んだのも、いくぶんは大江健三郎にあこがれるところがあったのかなと、今になって思います。
ところで、この作家が同時代の旗手的な存在から、より大きな世界的な作家へと成長する転機をなした問題作が二つあって、それが重要です。一つは昭和三十九年、新潮社の純文学書き下ろし特別作品の一つとして出た『個人的な体験』、もう一つは、最初文芸誌「群像」に連載され、同四十二年、講談社から単行本で出た『万延元年のフットボール』です。
『個人的な体験』は
私小説作家ではないので、事実そのままではありませんが、作者に脳に傷害のある長男がいることはその通りで、いまでは作曲家大江光として自作のピアノ曲のCDも出ています。この脳に障害のある子供がモデルになって登場する自伝的な小説群が、その後の大江文学の二大系列の一つ。
そして、もう一つが初期の『飼育』『芽むしり仔撃ち』を受けた、作者の郷里、四国の谷間の村を舞台にした『万延元年のフットボール』で、この系列の作品に『同時代ゲーム』や『M/Tと森のフシギ』、そして後期の『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』があります。
大江初の長編『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫)は、戦時中、感化院に入れられていた少年十五人が、集団疎開で谷間の村で暮していたときの出来事を中心に描かれます。洪水が発生し、疫病が広がると、村人たちは彼らを置き去りにしたまま逃げてしまうのですが、それが下火になって戻ってくると、そのことを口止めしようとして、それに逆らう〈僕〉の胸ぐらをつかんで、村長が、「できぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ。悪い芽は始めにむしりとってしまう」と脅す。表題はそこから取られています。圧巻なのは、その間村に残された少年たちと朝鮮人の李少年、脱走兵、母親が病死した少女らとの束の間の共生を、鋭敏な筆致で描き出したところ。作者の盟友だった作曲家の武満徹は、角川文庫版の解説で次のように絶讃しています。
《『芽むしり仔撃ち』は、私のもっとも好きな作品です。
獣たちの住まう森に囲まれた谷と灰色の共同墓地。飛びたつ鳥。
明方の薔薇色に輝く空と骨色に白む夜。この架空の地図のなかで、
人々を襲う死。そして、果敢に試みられる少年たちの脱走。戦争の
遠いこだま。(中略)
初期のいくつかの短編においてそうであったように、大江健三郎
は彼の小さな鍛えられた魔法の鏡を通じて自己の世界を語った時
に、それは
た。
『芽むしり仔撃ち』は、それらの中で私にとっては特に感動的な
作品です。私はこの小説で、李少年の登場を大変うつくしいと思い
ながら読んでいました。「愛」とか「人間」とか「隣人」という、
聖書に集約された観念を、この時ほど強く感じたことはありませ
ん。私の受けた感動は宗教的なものだったと言えそうです。そうい
う意味で、この小説に私は音楽を感じました。
「人間の声」のする美しい音楽を聴いたのです。》
次の『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫)が書かれたのは、九年後です。主人公は、根所家の三男蜜三郎(元大学講師、翻訳業)。彼には養護施設に預けた重度精神障害児がいます。妻の菜採子はアルコール中毒で、夫と性交渉はありません。少し前、蜜三郎の翻訳仲間で唯一の友人が、頭部を朱く塗り、素裸で肛門に胡瓜をさしこんで縊死していました。
安保闘争の活動家から転向して、アメリカで演劇旅行をしていた弟の鷹四は、帰国するや新生活を始めるために四国の谷間の村へ帰郷しようと兄夫婦を誘います。故郷では兄弟の両親はすでに亡く、村には百年前の万延元年(一八六〇)に建てられた倉屋敷が残るだけでした。
鷹四は養鶏場の運営に行き詰まった村の青年らとフットボール・チームをつくる一方で、一族の菩提寺に残る資料を読み、百年前一帯をゆるがした農民一揆において、曾祖父とその弟が果たした役割とその末路に、兄ともども強い関心を寄せます。
雪に閉ざされ、駐在する警察官も不在になると、鷹四はその一揆を追体験するためと称して、若者らと村のスーパー・マーケットで略奪をはじめる。菜採子と公然の関係をもち、村の娘を強姦したと訴えられる。そして、以前自殺した妹との間に起こった「本当の事」を蜜三郎に告白した直後、鷹四は猟銃で自殺する。
やがて、倉屋敷が解体されると、床下から百年前の原資料が出て来て、曾祖父と弟をめぐる真相が明らかになります。すなわち、百年前の〈弟〉は、殺戮や凌辱を尽くした暴動の責任を取って、屋敷内で十年間、自己幽閉を続けたあと、今度は第二の一揆を成功させ、その地の権力者を退陣に追い込んでいたのでした。
このことを知って、蜜三郎は、鷹四の子を宿した妻とやり直す決心をし、菜採子も施設から子供を引き取って自分で育てると言い、蜜三郎にはアフリカ行きの誘いを受けるようにすすめます――。
これはごく大づかみなあらすじですが、この小説が一九六〇年の日米安保条約改定後、七〇年の二度目の改定を控えていた六七年に書かれたことに注意してください。この長編の連載終了直後、大岡昇平が敏感に反応して、「朝日新聞」の文芸時評で、「安保体験は現代青年の一部にとって切実でありながら、文学的形象に結晶しにくい不毛な主題なのであるが、大江氏はそれを土俗的雰囲気と歴史的展望の下におくことによって、新しい伝奇小説、現代神話を創造することに成功したのである。氏の作家生活の一つのピークを形づくるものと思われる」と、賞讃しました。
『同時代ゲーム』と『M/Tと森のフシギ』では、谷間の森での物語が、神話的、宇宙的な規模にまで発展します。前者はメキシコに滞在中の僕=露己が双子の妹露巳に宛てて書く手紙、後者は大人になった「僕」の読者の「皆さん」への語りかけと、形式は違いますが、父=神主の願いを受けとめて、谷間の村=国家=宇宙の神話と歴史が壮大な規模で展開されます。これを一言で要約すれば、村=国家=宇宙の創健者である〈壊す人〉が、藩や大日本帝国など外的な権力構造からは常に独立し、死と再生をくりかえしながら、独自の小宇宙である土地の構想を支えていくということになりますが、「中心と周縁」「異化」「トリックスター」など、最新の文学理論とその方法を駆使した、その難解といえば難解な内容を的確にお伝えするのは私の手に負えませんので、替わりに作者がエッセイで述べていたことを引用します(抜粋)。
《僕は四国の森の奥の小さな谷間に生まれて育ったが、とくにそ
こでの八歳から十歳までの時期に、その谷間について僕は宇宙論的
といっていい把握の仕方をおこなうようになった。(中略)谷間に
ついて、考えたり感じたりするたびに、むしろこの時期に経験した
ことの残響のうちにこそ生きているようであったと、いま僕は思
う。八歳からと区切るのは、その年に祖母が死に、ついで翌年に父
親が死ぬという出来事があったから、ふりかえってはっきりさせる
ことができるのである。(中略)
連続した身近なふたつの死によって、僕は危険な場所に赤裸で放
り出されている恐怖を、あれらの日々の夜ごと感じた。それは直接
に死の恐怖であった。そして僕は、自分が生きて暮している森のな
かの場所を、幼い不眠の頭に思い浮かべることによってのみ、しだ
いにその恐怖を克服して、眠りに入ることができたのである。(中
略)
自分はこの森のなかの谷間の、川と道にはさまれた狭い平地に建
てられている家のなかにいる。その狭い平地の集落を「
うのだが(中略)「成屋」を「在」が囲み、その周りに森があり、
その森の外側に他人どもの町や村があるのだ。しかも「成屋」と
「在」の間の、境界地域のようなところには、村の七不思議といわ
れる奇怪なことが、暗がりに潜んでいるらしい奇怪なものらによっ
てひきおこされる場所がある。(中略)
この「成屋」の家屋のなかに寝ていることにより、森のなかの谷
間の村に属している自分が、このあたりの地方に属し、四国という
ひとつの島に属し、日本という国に属し、地球という星に属して太
陽をめぐり、銀河系に属して宇宙の一成員である……。
そしていつの間にやら僕は死の恐怖を克服しているのみならず、
むしろ積極的なほどの平安の心において眠りに入って行ったのであ
る。》(『小説の周縁』)
一連の長編を書き継ぐにあたって、作者が谷間の森というトポスをどう考え、それを長いあいだいかに大切に暖めていたかが、よく分かる文章です。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。