場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第六章 遠ざかる故郷〉2
坂口安吾『ふるさとに寄せる讃歌』/清岡卓行『アカシヤ
の大連』
前田速夫
訣別

坂口安吾『ふるさとに寄する讃歌』(角川文庫)。これも、表題とは逆に、帰郷しても身の置き所のない自分に焦点を当てた作品です。作者は新潟市の生まれで、太宰と同じ旧家の育ちです。十三人兄弟の末から二番目。幼稚園時代にサボることを覚え、小学校では餓鬼大将、新潟中学では出席日数が足りなくて落第、放校。東京の中学に転入しても、素行は改まりません。
生来束縛されることを嫌った安吾は、故郷や肉親など、みずからの感情や行動を規制するものは、断固として拒絶し続けました。それでも、同作の「私」は、東京での生活に疲れ、「思い出の一番奥にたたみこまれた、埃まみれな」一人の少女の面影を求めて、帰郷します。
《私は
ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかな
かった。私は磯の音を私の
から、鈍い
私は
その
あった。私は、私の持つ抵抗力を、もはや意識することがなかっ
た。そして私は、強烈な熱である光の奔流を、私の胎内に、それ
が私の肉であるように感じていた。
白い燈台があった。三角のシャッポを
へ白日の夢を流していた。古い思い出の
が一塊の煙を空へ落した。海岸には高い砂丘がつづいていた。冬に
シベリヤの風を防ぐために、砂丘の原は

が頭をゆすぶって流れた。私は茱萸藪の中に
その
楼の窓から、風景が――色彩が、匂が、音が、流れてきた。私は疲
れていた。私の中に私がなかった。私はものを考えなかった。風景
が窓を流れすぎるとき、それらの風景が私自身であった。望楼の窓
から、私は私を運んだ。私の中に季節が育った。私は一切を風景に
換算していた。そして、私が私自身を考えた時、私も
た一つの風景にすぎなかった。》
しかし、すでに生家はなく、少女は一つの概念でしかありませんでした。死期の近い姉と再会しても、おたがい形式的な実感のない会話に終始するほかなく、しきりに帰心の影が揺れます。
《東京の空がみえた。置き忘れてきた私の影が、東京の雑沓に
まれ、
無言の影がふくれ顔をした。私は其処へ戻ろうと思った。無言の影
に言葉を与え、無数の傷に血を与えようと思った。虚偽の泪を流す
暇はもう私には与えられない。全てが切実に切迫していた。私は生
き生きと悲しもう。私は
結局、姉とは訣別の食事をして、一緒に停車場へ急ぎます。
《汽車がうごいた。私は興奮した。夢中に帽子を振った。
別れのみ、にがかった。》
東京での暗澹たる暮らしにまみれ、疲弊したあげく、いくら故郷に讃歌を寄せようとしても、応えてくれない。それは、はじめから分かっていたことでした。
甘美な追憶

清岡卓行の『アカシヤの大連』(講談社文芸文庫)は、前年の『朝の悲しみ』に続けて、詩人だった作者が四十七歳で書いた小説の第二作。主人公の「彼」は、四十代も半ばを過ぎた大学の語学教師。一年数ヵ月前に妻を病気で失ってからは、二人の子供たちと暮らしながら、物思いに耽ることが多くなっていました。そんなとき、それまではほとんど顧みることのなかった、幼少年時代を父母と過ごした中国東北部の大連という、日本の旧植民地の中でおそらく最も美しい町のことが、記憶の底からありありと浮かび上がります。
ノスタルジーといえば、それに違いありませんが、この小説が特異なのは、その大連が今や地上から消えてしまった、永遠に喪われた故郷だからです。しかもそこは、第二次世界大戦があと五ヵ月ほどで終ろうとしていた頃、東京のある大学の一年生だった彼が、抑えがたい郷愁にかられて、病気でもないのに休学して戻った町であり、やがて祖国の敗戦のあと三年もずるずる留まることになり、思いがけなく、亡くなった妻と結婚した町でもあったのでした。
父親は満鉄の技師で、作者幼少年時代を大連で送っている。第一高等学校を経て、東大仏文科へと進みますが、中学・高校を通じての後輩に、原口統三がいました。原口はランボーに心酔し、人生そのものを芸術にする夢に疲れて、『二十歳のエチュード』を遺して自殺しました。清岡は原口と親友であっただけではなくて、「純潔の論理」による「死への誘惑」を共有していました。そして、その「彼」の自殺願望を捨てさせ、生きる力を与えてくれたのが、アカシヤの花の咲く頃に出会った、快活で美しい少女、いまは亡き妻だったのです。
『アカシヤの大連』は、アルジェリアの独立問題が新聞やテレビのニュースを賑わしていた頃、そのニュースから「彼」が、アルジェリアで生まれ、そこで育った多くのフランス人の子弟を連想するところから書き始められています。
《――パリ九日発。フランスのド・ゴール大統領のアルジェリア
政策が支持されました。フランス本土で七十五パーセント、現地で
は、中間報告によりますと、六十パーセントの賛成票を獲得しまし
た。しかし、棄権者も多数にのぼる見込みです……。
彼はそのとき、腕にかかえている箱の中の地球儀を思い浮かべ
た。そこでは、さまざまな国が色とりどりに塗られている。フラン
ス本国の紫は
どうにも血なまぐさい。
彼は思った、その血なまぐさい紫も、いずれそのうち塗り変えら
れることだろう、それはどんな色になるのだろうか、それは淡く地
味なものであったとしても、きっと
と。
しかし、そのとき、彼はふと、アルジェリアで生れ、そこで育っ
たにちがいない多くのフランス人の子弟のことを連想し、ふしぎな
親しみを覚えたのであった。そのときまで、そんな青年たちや少女
たちがいるということさえ、彼は想像したことがなかった。また、
比較的数多く見る新しいフランス映画でも、そんな青春のドラマが
くりひろげられるのを、彼は眺めたことがなかった。彼はなんとな
く、そうした青春に語りかけてみたい衝動を感じた。その言葉は、
こんなふうに
帰ったほうがいいよ、
ども、あの光栄ある伝統の国へ戻ることに、何の支障もないではな
いか、ふるさとは、忘れることができるものなのだ……。》
「ふるさとは、忘れることができる」、と自分の口から出そうになった言葉に反して、この作品では、大連と、そこで過ごした若き日への切ない郷愁と抒情とが、アカシヤの並木や美しい町並み、汚れた裏町、少年の官能を刺激する花の匂いとなって噴き出します。
以上三作、故郷を扱った三作に共通するのは、自分はすでに生まれ育った故郷とは切れているという苦い認識です。室生犀星が「ふるさとは遠くにありて歌うもの」と表現したように、もはや現在と断絶し、遮断されているからこその発見であり郷愁なわけで、しかもこの三作は、そうした郷愁や叙情に身をまかせてはいない、いられないところに注意すべきでしょう。それは、故郷を棄て、都会へと流れてきた近代の人間の業ともいうべきものでした。つまり、生まれ育った土地や人間関係など、本人を形成したトポスの中のトポスが、都会へ脱出することと引き換えに、永遠に失われてしまったのです。
そのことは、たとえば安部公房の初期作品『終りし道の標べに』『けものたちは故郷をめざす』と後期の作品『砂の女』『燃えつきた地図』とを読み比べてみるといっそう明らかですし、それゆえ、祖国を失い、または祖国から切断された、李恢成、金石範、金鶴泳など在日朝鮮人二世の作家の作品は、悲痛の思いなくして読めません。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。