場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第七章 脱出と放浪〉2
 車谷長吉「漂流物」/町田康『宿屋めぐり』
前田速夫


   漂流物  

 自らを「反時代的毒虫」と呼んだ車谷長吉も、長く関西を放浪した時代がありました。左は『漂流物』の一節です。

   《三十の身空で、冬が来ても、身に付けるセーター一枚なかっ
 た。文章を書きはじめたことが、次ぎ次ぎになり()くいきおいを呼
 び込み、私をそこまで追い詰めたのだった。無論、書きはじめた時
 には、そんなことはかけらも思うてはいなかったが。
  私は書くことは捨て、播州飾磨の在所へ帰った。やがて姫路で旅
 館の下足番になり、その後、料理場の追い回し(下働き)となっ
 て、京都、神戸、西ノ宮、尼ヶ崎、大阪曾根崎新地、泉州堺、ふた
 たび神戸三ノ宮町、さらに神戸元町と、風呂敷荷物一つで、住所不
 定の九年間を過ごした。》

 作者自身の詳細な遍歴は、この作とは別に『偽世捨人』や『赤目四十八瀧心中未遂』に書かれているので、そちらを参照願うとして、本作では「私」の料理場仲間である青川さんの口を借りて、次のように語らせています。

  《わしら、漂流物やの。北陸や紀州の温泉場から温泉場、回り歩
 くやつもようけおるが。流れ(もん)になって。その日暮らしの、はかな
 い生活や。(中略)わしには、この釘抜きでは抜けん五寸釘が突き
 刺さっとるが。わしには救いはない、思ての。わしは返り血あびた
 男やが。その日その日、料理場で魚や蟹やマル(すっぽん)や、殺
 すがえ。血みどろやの。時には(ねずみ)捕り仕掛けて、鼠も殺すがえ。
 いや、鼠はまだ生きとるの、そのままごみ箱へ捨てることもある
 が。板場いうのは、罪が深いの。わしらにそういうことさせて、喰
 うやつはもっと深いの。(中略)あんた、すまなんだの。あんたは
 この小鳥、片づけへんのやの。そういう男やの。旅鴉(たびがらす)やの。漂流
 物やの。(いき)やの。》

 筆者は編集者時代、この料理場を訪ねたことがありますが、それ以前、社員旅行のついでに京都駅で待ち合わせたときには、「何だ、あのヤクの売人みたいな奴は」と社の重役から詰問されたものでした。
  そして、車谷長吉と並ぶ現代の異能作家、町田康の『宿屋めぐり』は、あらぬ濡れ衣の数々を着せられ、(あるじ)の命令で大権現様に大刀奉納の旅を行く、凶状持ち鍬名彦名の破れかぶれな道中が、以下のような具合に延々と書き継がれます。

  《なんでこんなところを歩いているのか道中をしているのかに
 やっと気がついたときはいつも手遅れだもうこうなったら仕方ない
 というので腹を据え腹を決め僧と土地役人宿屋の主も交えて十三時
 間の激論の末なんとかうまく誤魔化して合点がいかぬという顔付き
 の僧たちを後目(しりめ)に宿屋を出るとすぐに街道相も変わらぬ松並木相も
 変わらぬ青空道中する人々はいつものように快調そのものといった
 様子でぷるぷる歩いていくのだけれどもでもそれが昨日までの街道
 と違うのは明白でなんとなれば俺は寺で坊主と紛争になり逃げる過
 程において巨大な条虫のごとき訳の分からぬ虫の腹のなかにはいっ
 てしまっていまのこの世界はその条虫の腹の中の世界だからだ。
  つまりだから俺は気がついた。なにに、なにを、ってだからそれ
 はいまから言うつまり俺は背中に背負った名刀を大権現様に奉納に
 行く途中だったんだ。それをあの騒動以来てんから忘れていたの
 だった。そしてなんでそんな刀なんぞを奉納に行くかというと、そ
 れは俺の主が年来の宿敵を撃ち破って、その心願が叶った御礼参り
 なのだけれども、大権現様は遠く片道二花月往復四花月もかかり、
 俺の主はなにかと敵が多いからそんな長期間に亘って家を空けたら
 かならず宿敵の残党やその他血縁の者などが留守宅を襲うに違いな
 く、だから俺が代わって行くことになったのだ野蛮な奴らだ。
  でもそれはもう駄目で、なぜ駄目かというと右にも言っただろ
 う、(ぼけ)。何回も訊くな、(かす)。俺は条虫の腹の中の世界に入ってし
 まっているからで、この世界に元の世界と同じ大権現様があるかど
 うかは分からぬし、よしあったとしても本当の大権現様ではなく、
 そんなところにせっかくの名刀をおさめてもなんの意味もない。そ
 してなによりも怖ろしいのはそのことが主に知れた場合で、俺の主
 というのは外面はきわめてよく、赤十字とか祭礼とかにも寄附した
 りして地元では一応、人格者で通っているが、身内の者にはきわめ
 て酷薄な人で、仮にそんな訳の分からぬ大権現様に大事の名刀を奉
 納したと知れたらどんな目に遭わされるか知れないし、というとし
 かし、まあそれは元の世界に戻ったらという前提での話であって、
 だから俺は名刀の奉納などということはやめてしまってもよいのだ
 けれども、やはり俺は名刀を奉納に行こうと思う。というのにはふ
 たつみっつ訳があってひとつは、まあ行ってみないと分からないけ
 れども、もしずんずん行って、大権現様らしきがあった場合、その
 ことから類推されるのはこの世界にも主がいるかも知らんと言うこ
 とで名刀奉納をやめて遊んでいて主に見つかったらどんな目に遭わ
 されるか知れない。
  それからもうひとつ可能性として考えられるのは、この考えは実
 は最初からずっと俺につきまとっていて、そして俺にとって甘美で
 あり同時に興醒めするような砂を噛むような考えなのだけれどもこ
 の世界は別に条虫の腹の中でもなんでもなく、普通の前からの世界
 で、つまり、この世界を条虫の腹の中の世界だと思っている俺の頭
 が一定程度狂っているということで……、というと違う、つまり俺
 の頭はいま自分の狂気を疑う程度にクリアーで、つまりだからあの
 お寺の山門で僧兵が迫撃砲を撃ちながら追い掛けてきた、あの時、
 恐怖のあまり一時的な精神錯乱状態に陥ってくにゅくにゅの虫のな
 かに入っていく幻覚・妄想を見たということ。そしてどの時点かで
 徐々に次第に正気を取り戻した。或いは、あっ、そうそう、あのと
 き俺は迫撃砲にやられて気絶、その間に見た幻覚かも知らんのであ
 る。
  そしてそのいずれの場合でも俺が奉納に行こうと思ったのはそれ
 が俺の仕事だからであり、仕事であるということは俺の道中に明確
 な意味を与え、どの世界であれ、俺と世界がきっちりと結びつく
 ジョイントされるということで、なんだか分からない世界を目的も
 意味もなしにふらふらうろうろするのはとてもつらいこと。だから
 俺はこの世界がどの世界でも大権現様に名刀を奉納に行く。》

 とんでもなく長い引用になってしまいましたが、これが町田流で、いったんこの文体の妙に乗せられると、文庫版で七百ページを超える大作も笑いながらするすると読めてしまう。大権現様への奉納とか、この世界からの脱出などといっても、そんなことは天から信じちゃいない。訳の分からない、くにゅくにゅの虫の腹の中のような世の中を、意味も目的もなしに、ふらふらうろうろする、それが町田康が考える放浪というわけです。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。