場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第三章 路上〉1
樋口一葉『たけくらべ』『にごりえ』
前田速夫
遊び仲間


樋口一葉の本名は奈津。なつ、夏子とも言いました。明治五年(一八七二)、東京の生まれ。父親は山梨県の農家の出で、同じ村の娘と駆け落ちして、安政四年に江戸へ出て、のち御家人の株を買って八丁堀の同心にまで出世します。ところが、まもなく幕府が倒れ、今度は新政府に仕えて、一葉が生まれた頃は、東京府の下級役人でした。幼いときは、下谷、麻布、本郷と移り住み、十二歳のとき、学校の成績は一番でしたが、母親の意見で、家事見習いのために中途退学して、正規の学校教育はこれで終わります。つまり、一葉の学歴は小学校卒。あとは、独学です。
しばらく前に、綿矢りさ十九歳、金原ひとみ二十歳という、二人の若い女性芥川賞作家が誕生して、大騒ぎになったことがありましたが、一葉をごらんなさいと言いたいですね。文学は若いも年寄りもない、男も女も関係ない。才能と文学的な蓄積がすべてという良い見本です。そして、それ以上に私が脱帽するのは、その人間観察・社会観察のしっかりしていること、文章や表現が凛としていることで、やはり天才だなと舌を巻きました。
一葉二十三歳の作、『たけくらべ』(岩波文庫)の舞台は吉原遊郭に近い大音寺前の裏町。登場人物は、主人公である美人で勝気な大黒屋の美登利、孤独で内向的な秀才である竜華寺の跡取り息子の信如、おばあさん子で甘えん坊だけれど愛くるしい田中屋という女金貸しの孫の正太郎、腕力自慢で憎まれっ子だが親切な一面もある鳶の頭の息子の長吉、おどけ役だが貧しい家庭に育って世間知を自然に身につけている車引きの息子三五郎ら。遊び仲間のかぞえ十四、五の少年少女に設定されています。
《廻れば
る三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしのクルマの行来にはか
り知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さり
とは陽気の町と住みたる人の
是れぞと見ゆる
商ひはかつふつ利かぬ処とて
に紙を切りなして、胡粉ぬりくり
はりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して
夕日に仕舞ふ手当こと

と問ふに、知らずや、霜月
れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、
一年うち通しの夫れは誠の商買人、片手わざにも夏より手足を色ど
りて、
ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等万倍の利益をと人ご
とに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者
のうわさも聞かざりき、住む人の多くは
何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より
羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顔もこれが見
納めか十人ぎりの側杖無理情死のしそこね、恨みはかゝる身のはて
危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもをかし、
娘は
てちよこちよこ走りの修行、卒業して何にかなる、とかくは檜舞台
と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小
ざつぱりとせし唐桟ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやら

に横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が桟橋とんと沙汰して、廻
り遠や此処からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あたりには言
ふぞかし、一体の風俗よそと変りて、
なく、がらを好みての巾広の巻帯、年増はまだよし、十五六の
ら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に残れど、けふは地
廻りの吉と手馴れぬ焼鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再
び古巣への
染まらぬ子供もなし、秋は九月
は
上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意気は七つ
八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそゝり節、十
五の少年がませかた恐ろし、学校の唱歌にも
子を取りて、運動会に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも
教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷ぢかくに育英
舎とて、私立なれども生徒の数は千人近く、狭き校舎に目白押の窮
屈さも教師が人望いよ

りには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の数々に或は火消鳶
人足、おとつさんは
かしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へ
のつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の
ねへと言はれて、名のりや愁らき子心にも顔あからしめるしほらし
さ、出入りの
付き帽子面もちゆたかに洋服かる

んとて此子の追従するもをかし、多くの中に龍華寺の信如とて、千
筋となづる黒髪も今いく
き袖の色、
をとなしきを友達いぶせく思ひて、さま

死骸を縄にくゝりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事
も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて仮にも侮りての処業は
なかりき、歳は十五、並背にていが栗の
りて、藤本
なり。》
ここまで句点なしで続く冒頭の擬古文調の文章は、流麗で小気味よく、作品のトポスである吉原近くの路地の賑わいと、商家の子供たちのおませな生態をいきいきと表現してじつに見事です。
近代と反近代のはざま

「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」とあるように、悪所である吉原とは周囲にめぐらしたお歯黒溝によって隔てられていますが、通いの人力車の響きが絶えず聞こえてくる、生活上その影響を免れないこの二重性を帯びたトポスは、それだけで大きな特色です。加えて、明治二十年代のここは、下町であると同時に、東京の市街地が郊外の農村部と交錯する辺縁地帯であって、周辺には半農村的な景観がひろがっていたことも見落とせません。公立の学校に通う表町組、私立の学校に通う横町組という区別や、「大黒屋の」「田中屋の」という職業による呼び名に見られるように、ここが明治の知識人が血眼になっていた立身出世という近代主義からは見放された場所であるのも、近代と反近代のまざりあった、はざまとしての特徴を備えています。
ラスト、ある霜の朝、相愛の信如は水仙の作り花を残して、この町を去りました。僧侶になるため、上級の学校に進学するからです。けれども、吉原の格子戸の中にからめとられた美登利は、どこへ行くことも出来ません。造花の水仙の「淋しく清き姿」に見入る彼女の眼は、非情なまでに澄んでいて、それが吉原の闇をいっそう深く印象づけて終わります。
一葉がこのような傑作を書けたのは、萩の舎時代の古典の教養に加えて、龍泉寺時代の体験・見聞を得て、人間的に成長し、お嬢さん芸から脱したことが大きく、ここで始めて真の意味で文学に開眼したといえます。『にごりえ』『大つごもり』『十三夜』になると、それがさらに徹底して、冴え冴えとしたものになっています。
『にごりえ』は、一葉が下谷龍泉町から本郷丸山福山町の銘酒街に引っ越した、その銘酒街が舞台です。銘酒屋とは酒をだしながら客をとる売春宿で、「菊の井」という銘酒屋の一枚看板お力の薄幸な一生が描かれます。トポスは、『たけくらべ』と同じ路地で、お力は『たけくらべ』の美登利の後身とみて差し支えないでしょう。
お力には、深く馴染んだ客源七がいますが、いまは会うことをしていません。それは、貧乏長屋で暮らす源七には、かいがいしい女房と、いたいけな息子がいるからです。ある日、彼女のもとに結城
『たけくらべ』や『にごりえ』の舞台になった場所は、今ではすっかり様子が変わってしまいましたが、それでもわずかにその面影は残っています。一葉の住んだ旧下谷龍泉町や一葉記念館、本郷菊坂や旧丸山町界隈に足を運んでみるのも面白いでしょう。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。