場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第十四章 職場での日々〉2
 絲山秋子『沖で待つ』/津村記久子『ポストライムの舟』
前田速夫


  仕事をするハイ・ミス 

 昭和四十七年(一九七二)に制定された男女雇用機会均等法が浸透しつつある現状を反映して、絲山秋子『沖で待つ』や津村記久子『ポストライムの舟』以後、ハイ・ミスの眼が捉えた職場小説も続々現れています。
 絲山秋子の『沖で待つ』は、住宅設備機器メーカーに就職して同じ福岡営業所に配属された同期の「太っちゃん」に死なれ(投身自殺の巻き添え)、二人のうちどちらかが先に死んだら、お互いのHDDを壊して人に知られたくない秘密を守るという約束を果たすところから始まります。
 気のいい太っちゃんを、〈私〉は憎からず思っていたのに、彼は早々と結婚をして、今は同僚だったしっかり者の井口珠恵さんとのあいだに小学生の娘もいる。宗像にある井口さんの実家を弔問すると、太っちゃんの残したノートを見せてくれました。

  夕暮れおまえのことを思いだす
  夕陽は九州に向かって沈んでいく
  珠恵 珠恵 珠恵
  夜になってもさびしがるなよ
  俺の心はおまえのものだから
  俺は沖で待つ
  小さな船でおまえがやって来るのを
  俺は大船だ
  なにも怖くないぞ

 そして、最後は死んだ太っちゃんと、今度埼玉の支社から浜松の支社へ二度目の転勤が決まった〈私〉との会話です。太っちゃんは、
〈私〉がHDDにつけていた、向いのマンションに住む男性の「観察日記」のことを知っていました。

  「変なこと思いだしちゃった、太っちゃんの現場」
  「どれだよ」
  「飛びだす点検口」
  「あったなあ、ほんとにポコンって音、がしてフタが飛んでくる
 んだよな、シャワー浴びてると」
  太っちゃんはわはは、と笑って、
  「ばかな一生だったなあ」と言いました。
  「同期って、不思議だよね」
  「え」
  「いつ会っても楽しいじゃん」
  「俺も楽しいよ」
  けれど「いつも」というのはここから過去のことでしかなく
 て、この先などないのだという思いは、子供のとき間違えて飲み込
 んでしまったビー玉のような違和感で咽喉(のど)につかえました。
  「楽しいのに父子後と恋愛には発展しねえんだよな」
  「するわけないよ。お互いのみっともないとこみんな知ってるん
 だから」
  (中略)
  「太っちゃんさあ」
  「なんだよ」
  「死んでからまた太ったんじゃない?」
  おまえな、ふつーねぇだろ、と言って太っちゃんは笑いました。

 ほろっと笑ってしまう、見事なラストで、大学出のハイミスの甘苦い心情に、胸が熱くなります。
 津村記久子の『ポストライムの舟』の語り手ナガセも、大学出のアラサー(二十九歳)で独身の勤め人。前の会社を辞めて移った工場の掲示板に、さるNGOが主催する世界一周クルージングのポスターが貼りだされていて、その代金の一六三万円が年間の自分の手取りとほぼ同額なのに気づきます。左はそのことを、学生時代の友人ヨシカに、彼女が営む喫茶店で告げたときの会話です。

   《「二十九歳の今から三十歳のこの日までをそっくり懸けて世
 界一周か。なんかこう、童話でようある感じでもあるよね。その一
 年間は加齢を免除されるというかさ。違う世界に行って帰ってきた
 ら、ほとんど時間が経ってませんでした、的な。うまく言えんな。
 まあ、年齢なんか自己申告でどうとでも言えるし、二十九歳と三十
 歳の具体的な違いなんてほんとはないしな」
  「もしわたしが向上の年収を全部それに突っ込んだとしたら、そ
 の一年間はクルージング用の一年間であって、私の一年間ではない
 と言える、ってこと?」
  ナガセが要約して改めて問うと、ヨシカは自信なさげに、ああう
 ん、そんな感じ、と次のカップを手に取った。ナガセは、棒立ちの
 まま、カウンター越しに働くヨシカの腕のあたりを凝視しながら、
 ヨシカが示した考えからある種の猶予のようなものがはっきりと浮
 き上がってくるのをじっと待っていた。
  生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうで
 ありながら、工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金
 することもできる。ナガセは首を傾げながら、自分の生活に一石を
 投じるものが、世界一周であるような気分になってきていた。いけ
 ない、と思う。しかし、何がいけないのかもうまく説明できない。
 たとえ最終的にクルージングに行かないとしても、これからの一年
 間で一六三万円そっくり貯めることは少しもいけないことではな
 い、という言い訳を思いつく。
  今まで、古い家を改修するためという目的で、漫然と貯金してき
 た。しかしその目的は、稼ぎのわりには途方もないもので、具体的
 な想像をし辛かった。わたしは家のためだけに生きているわけでは
 ない、と思う。》

 以後ナガセは、いままで以上に熱心に勤務後はヨシカの喫茶店でアルバイトをし、休日は老人向けのパソコン教室で教えて、せっせと貯金に励みます。その間、同じ大学時代の友人リツ子が離婚して、子供の恵奈を連れて、老いた母親と二人暮しだったナガセの家に転がりこんだり、家では観葉植物のポトスライムを育てていて、水差しに励んだり。
 やがて、貯金通帳の額が一六三万円を超えます。では、ナガセはその資金で世界一周旅行に旅立ったかといえば、どうもそうではなさそうです。とりあえず工場にクルージングの資料請求のハガキを受け取りに行った帰りは、こう書かれて終わります。

  《ナガセは工場が面している道路の坂を下っていった。鼻先に、
 冷たいものが落ちたような気がしたので、急がなければ、とナガセ
 は思った。なのに山の向こうの空は晴れていた。友人達や母親の頭
 の上は、今どうなっているのだろうと考えた。
  下り坂を、ペダルに足を乗せたまま降りながら、お金を貯めたこ
 とのお祝いに何かしよう、と思いつくと、とても気分がよくなっ
 て、雨に捕まる前に駅前へ戻れそうな気がした。これだけ自分の体
 が動くという感覚を思い出したのは、おそらく数年ぶりのことだっ
 た。
  とりあえず、岡田さん(工場のリーダー)にお茶とスコーンをお
 ごって、恵奈にイチゴの苗を買ってやろうと思った。ナガセは自転
 車を止め、カバンに入れている手帳を開こうとしてやめた。
  代わりにまたサドルに座り、ナガセは走り出した。
  また会おう。
  何者にでもなく、ナガセは呟いた。ポスターの中のアウトリガー
 カヌーに乗った男の子が、ナガセに向かって手を振ったような気が
 した。》

 ポスターの世界一周旅行は、遠くない将来の選択肢の一つではあっても、いまナガセは、自分の身の周りの人間や、こまごました職場の仕事や生活に活き活きした視線をそそいでいて、そこに喜びを見出しているといえましょう。
 以上五作、職場への向かい方ひとつにも、その時々の時代や社会の変遷が如実に反映されています。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。