場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第一章 峠の空間と時間〉2
中里介山『大菩薩峠』/司馬遼太郎『峠』/
野坂昭如『骨餓身峠死人葛』
前田速夫
移動するトポス


峠を扱った作品は、ほかにもいろいろあって、無明の闇をさまようニヒルな剣士、盲目の机龍之介が活躍する中里介山の『大菩薩峠』(角川文庫)は、発端が甲州と武蔵の境、大菩薩峠に始まることから無造作にそう名付けられたのに違いないとして、巻が進むにつれ、作者の大乗思想がのりうつって、巨大な山脈を形成してゆくさまは、これも峠のしからしむるところであろうと納得できます。
大菩薩山頂の妙見社の前で行きずりの老巡礼を、ゆえなく切り殺し、奉納試合では師範を一撃のもとに倒す。しかも、試合前に犯したその内縁の妻お浜と江戸に出奔するという出だしからして、この先どうなるかとはらはらさせられ、続々登場する副人物が、みな一癖も二癖もあります。
巡礼の孫娘お松、盗賊の七兵衛、お浜に生き写しのお豊、伊勢古市の女芸人お杉・お玉、宇治山田の槍の名人米友、がんりきの百蔵、殺された師範の息子宇津木兵馬、甲州有野村の馬大尽の娘で、幼時継母に火傷を負わされた醜怪な容貌のお銀さま、弁信法師……。これに、新徴組(のちの新撰組)の清川八郎暗殺や天誅組蜂起が絡んでくるのですから、面白くならないわけがない。
あまつさえ、この波乱万丈の長大な物語の後半は、主人公机龍之介は置き去りにして、意外やお銀さまによる「
登場人物は、誰もが生まれ故郷を離れて大地を放浪しています。彼らは永遠の故郷喪失者であり、永遠の亡命者です。伊勢の被差別部落出身者のお君が唄う「
《夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
…………
花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅》
作者病没のため、未完に終わった同作ですが、「都新聞」という当時は軟派の新聞に連載されていたにもかかわらず、著名な作家や知識人をも熱心な読者に巻き込んでいったのは、それだけの魅力があったからでしょう。泉鏡花、宮澤賢治、谷崎潤一郎、萩原朔太郎、桑原武夫、武田泰淳、安岡章太郎……。
なかでも私がこの『大菩薩峠』に惹かれるのは、次々と舞台を移してゆくその主要なトポスが、歴史的にも、また民俗的に見ても、妖しい伝承に富む周縁の地が選ばれていることです。たとえば、京都島原、大和三輪、十津川、龍神、伊勢古市の間の山、甲州奈良田、伊吹山、信州白骨……。
大和三輪や十津川集落は、天誅組が蹶起した拠点、京都島原や伊勢古市の間の山は、有名な遊郭のあったところで、物語の展開に欠かせないのは当然としても、甲州奈良田は、孝謙天皇流謫伝説の地で、菊池山哉が訪ねた昭和初年においてさえ、言語風俗一般からはまったく途絶していて、一言半句理解できなかったと記している(拙著『余多歩き 菊池山哉の人と学問』参照)ほどでしたし、伊吹山は建部綾足が『本朝水滸伝』で、反乱軍が本拠としたところでした(同『古典遊歴』参照)。白骨温泉のある白骨など、地名からして無気味です。介山がこうした知識をどこから仕入れたのかは不明ですが、その着眼の良さに感心してしまいます。
この『大菩薩峠』が未完に終わったのは、駒井能登守によるユートピア国家の建設も挫折したからですが、最終巻(第四十一巻)「椰子林の巻」が昭和十年に読売新聞に連載されるよりずっと以前、大正七年十一月に作者中里介山の夢を宮崎県日向の地に実現したのが、武者小路実篤の「新しき村」でした。こちらは紆余曲折を経て、二〇一八年十一月、創立百周年を迎えたものの、村民の超高齢化による極端な人口減少(現在、村内生活者は五名)と、後継者難、慢性化した赤字で、消滅寸前。かくてはならじと、三百名を超える賛同者とともに再生の運動に立ち上がった筆者ですが、村民からは余計なことをしてくれるなとソッポを向かれ、拙著『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』(新潮新書)を読んで接近してきた有力な支援者にはまんまと騙されて、孤立無援のまま頓挫してしまいました。徹底したニヒリスト机龍之介が鼻でせせら笑ったように、所詮、この世に理想郷などありえないし、あってはならないようです。
惨劇と妖美


『大菩薩峠』が純然たるフィクションであるのに対して、司馬遼太郎の『峠』は、幕末における史実を踏まえて構想した歴史小説です。
主人公は、開明派の越後長岡藩士、河井継之助。彼が江戸へ勉学に出る際も、藩の執政(家老)として官軍と戦ったときも、目の前には峠がたちはだかっていました。それは、地形として難所であるだけでなく、彼の生涯を決する難所でした。作者は「あとがき」でこう述べています。
《継之助が藩政を担当したときには、皮肉にも京都で将軍慶喜が
政権を返上してしまったあとであり、このためあわただしく藩政改
革をしたあと、かれの能力は、かれ自身が年少のころ思ってもいな
かったであろう戦争の指導に集中せざるをえなかった。
ここで官軍に降伏する手もあるであろう。降伏すれば藩が保た
れ、それによってかれの政治的理想を遂げることができたかもしれ
ない。
が、継之助はそれをえらばなかった。ためらいもなく正義を選ん
だ。つまり「いかに藩をよくするか」という、そのことの理想と方
法の追求についやしたかれの江戸期儒教徒としての半生の道はここ
で一挙に揚棄され「いかに美しく生きるか」という武士道倫理的な
ものに転換し、それによって死んだ。挫折ではなく、彼にあっても
江戸期のサムライにあっても、これは疑うべからざる完成であ
る。》
他方、野坂昭如の『骨餓身峠死人葛』(中公文庫)は、筑豊の骨餓身という峠を越えた奥にある葛抗という名の廃坑を舞台に、その閉鎖空間で繰り広げられる兄妹の近親相姦地獄の妖美を描いた秀作。炭鉱での生活は厳しく、生れたばかりの子供を間引くことはザラで、かれらを葬った墓場には、その養分を吸って、死人葛という名で呼ばれる不吉な植物が茂っている。これも、そのおどろおどろしい文字の連なりが、作品の怪しい雰囲気を盛り上げます。
登場するのは、大正年間にこの炭鉱を掘り当てた葛作造という流れ者と、その妻で、もとノゾキカラクリの娘だった「たず」。二人には商業学校にかよう十八歳の節夫、十六歳なる「たかを」という仲のよい兄妹がいます。娘時代から男好きだった「たず」は出入りの商人と密通を重ね、これがもとで、節夫と「たかを」の関係も、作造に知られてしまう。怒った作造は、「たず」を追い出し、兄妹を引き離して、美しさを増した「たかを」を犯す。兄姉の近親相姦のあとは父娘のそれで、その後も戦中から戦後へと、酸鼻で残虐なシーンが、ノゾキカラクリでの説教節を思わせる陰隠滅々とした韻律の文体で、延々続きます。
作の後半は、学徒出陣の際、徴兵を忌避してこの廃坑に逃げ込んだ臼杵良夫と、たかおの娘さつきが中心。ある晩、良夫はたかをとさつき母娘が同性愛によって結ばれる光景を盗み見、さつきを略奪する。以下は、こんな具合です。
《さつきの姿がないとしって、たかをはたちまち逆上し、表へ走り
出ると、臼杵のいる納屋を探し、山肌伝いに逃げたのでもない、
「うちの娘ばみんじゃったね」「臼杵の罰当りどこへ失せたじゃろ
か」誰かれなく胸ぐらをつかまんばかりにたずね、「娘さんなおり
なはらんとね」「うつけた口調でたずねかえす男、突きとばして去
ろうとすると、「なにも逃げんでよか、娘さんはな今頃は男衆にか
わいがられとるたい」たかを殺気立って見かえすのを、「よかよ
か、おまえだけ除けもんにはせんたい」さつき失ったことに気づい
たとたんに、たかを生気をなくして、みるみる五十半ばの老婆に変
じ、男はこれが長のたかをとわからず、その場に押し倒し、「よか
よか、わしの子ダネばはらませてやるけん」しゃにむに犯しにかか
る、そのうち低く垂れこめた雪雲ちらちらとおちかかって、雪にさ
そわれたか、あるいははらみ女不作の年に苛立ったか、そこかしこ
女と見れば男とびかかり、中には奪いあいとなって棒きれふりまわ
し、いったん気違い沙汰に火がつくと、わけわからぬたわごとを口
々にわめき立てつつ、まだ十歳にみたぬ少女を犯し、若者は息絶え
だえの老女にのしかかり、あぶれた老婆、つるはしふり上げて重な
り合った男女の背後からうち下す。男同士組打ちとなったまま、抗
口からの転落するもの、雪の中を素裸となって狂い舞う女、その頭
に天秤簿棒をたたきつけ、倒れたところをのしかかる男、男女から
みあいつつ互いの首をしめあげ、同時に息絶えて打ちふし、老婆に
しゃぶりつく少年を老人が犯し、生死の別なく、男ならば股くらを
けとばし女の股間に棒きれをさしこみ歩く少年、石炭のかたまりを
持ち上げては、死人の頭をつぶす狂人、捕虜の殺りくよりも尚すさ
まじく荒れ狂って、やがて一同すべてうち倒れ、ぴくとも動かなく
なったその中央に、カッと眼見開き、しわまみれしみ浮き出した、
みにくいたかをの死顔があり、誰が持ち出したか、卒塔婆一本、そ
の秘所深々と突きささっていた。」
落盤事故で不自由な身体になった者、半分気の狂った女房、海外引揚者、オーストラリアの捕虜兵、懲役忌避者、原爆罹災者ら、どこへも行き場のない人間たちによる惨劇と無間地獄。卒塔婆にからみついて蔦を伸ばす死人葛が夏になると咲かせる、白く可憐な花……。この吹き溜まりの集落それ自体もまた、この作の特異な
逆に言うと、どこにでもある均一でありふれた空間では、物語も成立しにくいということです。すなわち、現代の私たちが衰弱し、文学も衰弱しているとしたら、それは私たちを取り巻く空間が、均一でありふれたものに化してしまい、ひょっとしてそのなかで生きている人間も、均一でありふれたものに化してしまったからとも言えそうです。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。