場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第二章 水辺の異変〉2
 川端康成『みづうみ』/安岡章太郎『海辺の光景』/
 森内俊雄『骨川に行く』
前田速夫


   淪落と浄化 

 川端康成の『みづうみ』(新潮文庫)も、鏡花とは違った意味で恐い小説で、読むたび引き込まれ、戦慄させられます。
 小説は、主人公の銀平が水木宮子の跡をつけ、ハンドバッグで顔を殴打され、その中身の二十万円を手に軽井沢のトルコ風呂に現れるところから始まって、以後、湯おんなに身を任せている間の銀平の回想、連想、幻想によって恣に展開されてゆく。時間構成は複雑に入り組んでいて、むしろ過去へ過去へと遡るようになっています。
 銀平はいまでいうストーカー、まあ変質者といってもいいかも知れない。彼は数え十一の歳に父の変死に遇い、その後しばらくを〈みずうみ〉のある母の里で母と過ごし、従姉のやよひに実らぬ初恋をする。高校の教師になって、教え子玉木久子のあとをつけ、関係をもち、密告にあって、学校を逐われる。久子、町枝、宮子と、銀平が美女のあとをつけるのは、〈かなしみ〉の衝動からで、「甲の皮まで厚くてくろずみ、土踏まずは皺がより、長い指は節立って、その節から不気味にまがる」「猿みたいな足」、その醜さに対するコンプレックスが、「美にあくがれて哀泣」しているような具合です。
 つまり、銀平のストーカー行為には、淪落と浄化の二つの志向性があります。「銀平が前後不覚の酩酊か夢遊のやうに久子の後をつけたのは、久子の魔力に誘はれたからで、久子はすでに魔力を銀平に吹きかけてゐたのである」「銀平があの女(宮子)のあとをつけたのには、あの女にも銀平に後をつけられるものがあつたのだ。いはば一つの同じ魔界の住人だつたのだらう」。これが、前者の例で、これに対して町枝は「天上の匂ひ」を放って銀平の前にたち、銀平は「湯女の声に清らかな幸福と温かい救済を感じて」「永遠の女性の声か、慈悲の母の声なのだろうか」とさえ思う。こちらは、後者の例。
 そうして、こうした女性たちの系譜の発端に美貌の母がいます。「母の村のみずうみに遠くの岸の夜火事がうつつてゐ」る幻を見た銀平は、「その水にうつる夜の火に誘われてゆくやう」な後ろ姿を見せ、彼の自殺を暗示させ、結局、小説は未完のままとなるのですが、この「みづうみ」が母性の象徴であることはあきらか。町枝に対しても、銀平が「少女の目が黒いみづうみのやうに思へて来た。その清らかな目のなかで泳ぎたい、その黒いみづうみに裸で泳ぎたいといふ、奇妙な憧憬と絶望」を感じるは、そのせいでしょう。すなわち、母性とは、母なるものと、性なるもの、つまり「冒険」と「憧憬」の共存するものにほかならず、淪落と浄化の両志向をもっている銀平の美女追跡は、すなわち母を求めての彷徨にほかならなかったというわけです。
 〈みづうみ〉、降る雨の音、映る桜、飛ぶ蛍、きらめく稲妻、幼子の幻……。随処に表出される幻視、幻聴、幻想が見事で、〈意識の流れ〉を表出するのにも、新感覚派の旗手として文壇に登場した作者の、円熟した技巧が冴えます。
 銀平は追う者である一方、追われる者でもある。足の醜さは父から引き継いだそれで、父への嫌悪と、変死した父およびその醜い父と結婚した母への疑念は、自分が生ませたかもしれない赤ん坊が行方不明なこともあって、つねに背徳と不安とかなしみに追いかけられています。

 《一度ついた嘘は離れずに追跡して来る。銀平が女の後をつけるや
 うに嘘が銀平の後をつけて来る。おそらく罪悪もさうであらう。一
 度をかした罪悪は人間の後をつけて来て罪悪を重ねさせる。悪習が
 さうだ。一度女の後をつけたことが銀平にまた女の後をつけさせ
 る。水虫のやうにしつつこい。つぎからつぎへひろがつて絶えな
 い。》

 追跡が次の追跡を生み、逃走が次の逃走を累乗的に生み出してゆく宿命。「みづうみ」に堪えられている、追跡と逃走の生涯の原点に存在する母の、銀平の汚辱を洗う羊水。それは、彼が住む魔界の何たるかを物語ります。「この世の泥沼や荒岩や針の山を踏むうちに銀平のやうな足になる」。銀平とは、つまりは、この世に生を享けた人間存在のかなしみとコンプレックスを形象化した、普遍的な人物像なのです。
 「水はわれわれを運ぶ。水はわれわれを揺する。水はわれわれを寝かしつける。水はわれわれに母を返してくれる」(及川馥訳『水と夢』法政大学出版局)と言ったのは、フランスの現代思想家ガストン・バシュラールでした。


  葬りの水辺  

 水辺は古典文学では、多く入水する女性と関係するトポスでした。複数の男に愛されて進退に窮し、水辺に身を投げた真間の手児奈。薫よりも匂宮に惹かれてしまう肉体を罰するため宇治川の流れに呑まれていく浮舟。『ハムレット』のオフェーリアが絶望の余り自死を遂げたのも川でした。水が女性性と縁があるのは観てきたとおりですが、「死に水」という慣習があるように、死とは切り離せないようです。
 安岡章太郎の『海辺の光景』(新潮文庫)は、母危篤の報せを受けて、郷里である高知県K浜の精神病院へ父親とタクシーで向かうところから始まります。父親は元軍医でしたが、敗戦後落ちぶれて、郷里に逼塞し、母親は心労のあまり、精神を病んでいました。語り手の息子は結核の身をかかえて、東京で不如意な生活を送っている。十日後、母親が息を引き取ったのは、同室の狂人が予言したように、午前十一時十九分、引き潮の時刻でした。ラストシーンは、その直後、屋外に逃れた息子が眺めた海辺の光景で、それはこう描かれています。

 《岬にだかれポッカリと童話風の島を浮べたその風景は、すでに見
 慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よ
 りもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙が黒ぐろと、見わたす
 かぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。……一瞬、すべて
 の風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いま
 だらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ち
 て、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮び上っ
 た異様な光景のまえに、一挙に干上って見えた。歯を立てた櫛のよ
 うな、墓標のような、杙の列をながめながら彼は、たしかに一つの
 が自分の手の中に捉えられるのをみた。》

  ここでは、バシュラールの言うようには、海は母を返してくれません。逆に海が死のイメージと重なるのは、三島由紀夫の短編『真夏の死』も同様で、エーゲ海の海の明るさとは対照的に、不吉な運命の予兆となっています。
 森内俊雄の『骨川に行く』(新潮社)は、その題名からして無気味ですが、屋敷町のバー〈蛍〉の常連の集団自殺を扱った短篇。常連は、新聞記者上りで、いまはある小さな広告代理店の参事という、聞くからに閑職なふうに思える役職の白髪の老人、影沢さん、教員生活から出版社経営を経て、いまは製本屋社長として落ち着いている笠寺さん、薬局主人の猿橋さん。百貨店厚生課保安係の魚沼さん、そして語りての〈わたし〉は、なかで一番若くて三十四歳、速記を職業にしている。この五人は、みなマダムの水霜さんに抱かれていて、そのことをお互いに隠さなかった。〈わたし〉には別に〈あのひと〉と呼ぶ女がいて、妻子の待つ自宅に朝帰りしたばかりです。
 魚沼さんが言い出して、自分で場所を決め、すでに旅館も切符も手配を済ませていた集合場所は、その日の朝七時、四辻駅二番ホーム、水児川行き列車。人名も地名も、尋常ではないのに注意してください。水霜さんが反対し、〈わたし〉が最後まで返事をしぶったのは、水霜さんを除いて五人集まることの、おぼつかなさ、あぶなさを気遣ったからでした。そのくせ土壇場で行く気になったのは、その気遣いと同じものが〈わたし〉をそそのかしたからだとして、こう書かれています。

 《短い眠りを眠ろうと目蓋を閉じると、暗闇に燐光を放って、気の
 狂った女と、その幼い子供が手をつないで立っていて、女は顔を伏
 せ、子供ばかりが大きな眼でじっとわたしをみつめている。わたし
 は起きなおると、いつものようにグリーンの精神安定剤の粒を倍量
 呑んで、またおそるおそる目蓋を閉じる。今度は心がすこし鎮まっ
 たのか、女は顔をあげて上眼遣いにわたしを見ている。その眼のま
 わりには赤い絹糸で縫ったような跡がある。その眼でわたしにすこ
 し笑ってみせ、それから背を向け、暗い暗い彼方に子供とともに歩
 み去っていった。わたしはほっとして、あのひとのことを思い、
 コートのポケットの過誤をまさぐり、やがてそこが濡れてくるのを
 うつつに覚えながら、この世ほどの束の間を浅く眠った。》

 〈わたし〉を含め、五人はみな過去に傷を負っていて、あらゆるものにおびえている人たちでした。その晩、宿に水霜さんがあららわれて、順に五人を抱いた翌朝、男たちは骨 川に向います。その骨川を、作者は宿のテラスから眺めおろした〈わたし〉に、「はるか下、水児川は山裾を縫い巡ってきて川原に蛇のようにその水流をくねらせ、テラスの真下では深くよどんで、そこから川は一層細まりさかのぼっている。その川筋を川上に眼で追っていて、わたしは何故、川がここから骨川と名を変えるのか、そのいわれが分るような気がした。山は大小さまざまの石をごろごろとおびただしく吐き出していて、遠眼に谷川は、骨灰の中に見付ける人差指のしらじらとしたつながりに見えた。それともまだ赤ん坊の背骨といってもよいかも知れない」と、言わせています。
 骨川から胎の沢に分け入った一行は、そこで次々姿を消してゆき、残ったのは〈わたし〉一人です。

 《もうはや夕闇の忍びよる気配だった。下りの中途で、トロッコの
 線路を掘りおこしている妊婦に出会った。彼等は二人で、山土や朽
 葉をとりのぞいていたが、わたしをみると紅葉樹から湧いて出てき
 た幽鬼を見たかのようにおびえ、かたわらにすさった。そしてまさ
 にわたしは幽鬼だった。山の音、冷えた山道の土のにおいが懐かし
 かった。しかし、幽鬼であるもののわたしは手に地上の鍵を持って
 いる。いまわたしの掌の中にあるのは冷たく魂もも目醒めさせる
 あのひとの鍵ひとつ。鬼にわたしはなりようがない。ああ、心が狂
 う。果たして、今夜遅く街に返りつき、私が開く部屋の中には…
 …。だが、もしかしたら、そこでも焔の葉は降りしきっていて、あ
 のひとも。》

 してみると、〈あのひと〉と呼ばれる女、手渡された「鍵」が、地上のものを指すだけでないのは明らかで、私はここに作者が聖なるものと向かい合う信仰告白を聞く思いです。
 ちなみに、この作者のデビュー作『幼き者は驢馬に乗って』(文藝春秋)は芥川賞にノミネートされた折、選者の一人だった川端康成が「最も親敬を感じた」「これは私の個人的な好みで、つまり、私の書きそうな手法で、私はこれに及ばぬと思った」と脱帽、のちにこの主題は森内俊雄の代表作ともいうべき『骨の火』(同)に受け継がれて、完膚なきまでに追求されました。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。