場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第十一章 地縁と血縁〉2
 中上健次『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』
前田速夫


   血縁の闇 

 四国の谷間の村は、大江健三郎によって発見され、新たな息吹を吹き込まれた文学上のトポスですが、中上健次における熊野、新宮も、そうです。大江も中上も、現代の作家中、前に述べた古井由吉とともに、トポスの働きを重視している点できわだっています。
 中上健次は、昭和二十一年(一九四六)八月、和歌山県新宮の生まれです。いわゆる団塊の世代、全共闘世代のはしりですね。高校卒業後、大学を受験するため上京しますが、新宿のジャズ喫茶(当時はモダン・ジャズが若者のあいだで流行っていて、筆者もかぶれた一人です)に入り浸っているうち、進学は放棄し、やがて羽田空港で肉体労働のアルバイト(フォークリフトでの機材の運搬)をするかたわら、小説を書き始めます。
 あるエッセイの一節に、「十八でジャズを聴き、ジャズとクスリだけあれば他はいらないという、ヨレヨレの暮らしを二十三までやり、足を洗って一転してクスリともジャズとも縁を切って、汗水たらして働いた」とあるように、多少の誇張はありましょうが、それが当時の彼の日常でした。
 若者の鬱屈を描いた『十九歳の地図』『鳩どもの家』といった初期の作品は、大江健三郎の模倣が顕著でしたが、毎月のように文芸雑誌に小説を発表するなかで、めきめき腕をあげていき、二十九歳のときに発表した『岬』(文春文庫)で作者本来のテーマを発見し、芥川賞を受賞しました。
 『岬』は、その後に書かれた『枯木灘』『地の果て 至上の時』とともに三部作を成す最初の作品で、どれも秋幸という名の青年が主人公です。ただしこの秋幸は、『岬』の段階では固有名としては現れず、一貫して〈彼〉と表現され、〈彼〉の視点から物語が語られます。この秋幸は、作者の分身と考えて良いでしょう。
 秋幸には、父親違いの兄姉と、母親違いの弟妹、さらに義兄姉がいます(血縁図参照/河出文庫『枯木灘』より)。

 母親が、最初の夫の死後〈あの男〉との間に秋幸を生み、さらに、〈あの男〉と別れて一子を連れた今の夫と再々婚したからです。作中では「あの男」としか書かれませんが、秋幸の実父・浜村龍造です。母親はそのとき秋幸だけを伴って嫁いだのでした。そのため、前々夫の子供たちは、自分たちを置き去りにした母をよく思っていません。このあたり、ギリシャ悲劇の「エレクトラ」を想起させます。
 作中の秋幸は二十四歳。異父兄・郁男は再婚した母を恨んだあげくに自殺したのですが、それは二十四歳のときで、いまや秋幸も同じ年齢に達しています。姉美恵は秋幸がその兄に似てきたと言います。
 
  《この家は、不思議な家だ、時々、彼はそう思った。母ひとり子
 ひとり、父ひとり子ひとりの四人で暮らしていた。文昭と彼は、義
 理の兄弟、母のない子と、父のない子の兄弟だった。いや、双方
 に、産みの親はいた。生きてはいた。ただ文昭はその産みの親から
 見棄てられ、親を母と思えず、彼もまたその男を父親などと思えな
 かった。姉たちや死んだ兄は、母の最初の夫の子供だった。母は、
 いまの夫、彼からは義父に当る男と再々婚するに当って、姉たちと
 は父親を異にする彼だけ、連れたのだった。》

 こうした複雑に入り組んだ血縁・姻戚関係の織りなす磁場のなかで、秋幸は実父である〈あの男〉や、死んだ兄にいつも見られているという意識にとらわれ、その息苦しさから逃れようと、土を掘り起こす土方仕事の単純さにあこがれます。「やっかいな物一切を、そぎ落としてしまいたかった」と望む〈彼〉が腰を据えている場所、そこはどんなところかといえば、つまりそれがこの作品のトポスで、次のように書かれています。

  《木がゆれていた。ゆっくりと葉をふるわせていた。余計なもの
 をそぎ落したい。夢精のたびに、そう思った。人夫たちの声の他
 に、音はなかった。振り返るとそこから、市の全体がみわたせた。
 駅が、ちょうど真中にあった。駅から、十文字に道路がのびて人家
 がかたまっていた。商店街もみえた。駅の左脇に小高い丘があり、
 その下が姉の家のある路地になっていた。そこから、彼の家まで、
 線路に沿った道をたどり、田圃の道を行く。歩いて十分ほどの距離
 だった。彼の家から防風林まで、道が枝別れしながら一本ついてい
 る。防風林のすぐそばに墓地があった。そのならびに、古市の家が
 ある。日を受けて白い屋根がみえる。防風林のむこうに、浜が見え
 た。海がみえた。町は海にむかって開いたバケツの形をしていた。
 日が当っていた。彼は不思議に思った。万遍なく日が当っている。
 とどこおりなく、今、すべてが息をしている。こんな狭いところ
 で、わらい、喜び、呻き、ののしり、蔑む。憎まれている人間も、
 また、平然としている。あの男が、いい例だった。あの男は、何人
 の女を泣かせたろう、何人の男から憎まれているだろう。いつも噂
 にのぼったあの男も、それから、文昭の産みの女親も、この狭いと
 ころで生きているのだ。愕然とする。息がつまった。彼は、ことご
 とくが、うっとうしかった。この土地が、山々と川に閉ざされ、海
 にも閉ざされていて、そこで人間が、虫のように、犬のように生き
 ている。》

 この、山々と河に閉ざされ、海にも閉ざされた、息のつまる場所(作中で「路地」と呼ばれています)、そこは後に作者がカミングアウトしたときに明らかにされるのですが、新宮の被差別部落でした。


   被差別の地

 被差別部落民が登場する作品は、島崎藤村の『破戒』をはじめ、これまでにもいくつかありましたが、作者本人が自らその被差別部落の出身者であったことを名乗り、それを作品の中核に据えたのは、おそらく中上健次が初めてでしょう。
 被差別部落がどういうところで、被差別民はどういう暮らしをしているかを具体的にお知りになりたい方は、同じ中上健次のルポルタージュ『紀州 木の国根の国物語』を、お読みになることをお勧めします。なぜそうした地域の住民が差別されるのか、差別されなくてはならないのか、これほど理不尽なことはありませんけれど、わが国では明治の解放令が出たあとも、その状態はさして改善されず、現代においてすらなお忌避される場所として、厳然と存在しているのです。
 それゆえに、一般にはその地域の住人であることを隠したがるところを、自らその地の出身者であることを公けにし、堂々と作品化したのは、中上健次の勇気のあるところで、そのことが逆に、彼の小説を他の作家ではまねのできぬ、今日では稀な、きわだって優れた作品にした理由です。
 近代の進展にともなって都市化が進むと、個々の場所はその特性を失って均質化してしまい、人間関係も希薄になるばかりですが、路地には地縁血縁の闇が濃厚に残存している。こうしたなかで、義理の姉の夫の兄古市が、その妹光子の夫安雄に刺し殺されるという事件が起き、秋幸はいっそう深く血縁の網の目にからめとられてゆきます。
 それは秋幸の実父である〈あの男〉への憎しみというだけでない、いくえにも入り組んだ複雑な思いが募ってゆくことと併行していて、ある日彼は実父が母以外の女性に産ませた妹が、新地で娼婦まがいのことをしているという噂をたよりに、そこへ出かけます。読点を多用した、短いセンテンスの連なりが、秋幸の心臓の鼓動のようで、いっそう切迫感を強めます。

  《彼は一人になりたかった。息がつまる、と思った。母からも、
 姉からも、遠いところへ行きたいと思った。あの朝、首をつって死
 んでいた兄からも自由でありたかった。すぐ踏み切りに出た。一本
 立っているひょろ高い木の梢が、揺れている。自分は、一体なんだ
 ろうと思った。母の子であり、姉の、弟であることは確かだった。
 だが、それがいやだった。不快だった。姉たちとは、片方の血でし
 かつながっていないのも確かだった。姉たちの父親は、彼には、父
 親ではない。弦叔父は彼の、叔父ではない。かくしても、とりつく
 ろっても、それは本当のこととしてある。彼は歩いた。その男と出
 会う事を、願った。姉に、死んだ父さんがあるように、彼にもあ
 る、人間だから、動物だから、雄と雌がある。雄の方の親がある。
 その雄と決着をつけてやる。いま、自分の皮膚を針ででも突つく
 と、そこから破け、自分がすっかり空になりそうだ。切って、傷口
 をつくって、すべて吐き出してしまいたかった。彼は、(たかぶ)ってい
 た。酷いことをしでかして、あいつらに報復してやる。いや、彼
 が、その身に、酷いことを被りたかった。》

 そして、ラストはこの妹と性交する場面です。「あの男そのものを陵辱しようとしている。いや、母も姉たちも兄も、すべて、自分の血につながるものを陵辱しようとしている」と感じながら、「海にくい込んだ矢尻のような岬を思い浮か」べ、「海など裂いてしまえ」と叫んで、彼は次のように思います。「海」も「岬」も、トポスであることに注意しながら、読んでください。

  《「死のうと思ったことがあるか」彼は訊いた。
  「しょうもない」女は言った。彼に足をからめた。「こんな若い
 身空で、そんなこと考えますかいな。そのうち、金をどっさり持っ
 た人と結婚してな。兄ちゃん、その時、あいつは新地で体売ってた
 なんて言うて、邪魔せんといてな」
  彼はうなずいた。女の手が彼の性器にのびた。海にくい込んだ矢
 尻のような岬を思い浮かべた。もっと盛りあがり、高くなれと思っ
 た。海など裂いてしまえ。女の手は、彼の勃起した性器をつかみ、
 力を入れてにぎる。「男の人の、見るたんびに、罪つくりなこんな
 もん持って、しんどないかな、と思うわあ、ふりまわされてえ」
  不意に、女を抱きしめた。「痛ア」と女は言った。女をひっくり
 返し、上になった。それがこの商売で習い性となったものか、女は
 膝を立てて腰を浮かせた。「いきなり、なんやのん。サービスした
 ろかと言うとるんやのに」女は言った。それからわらい、(しな)をつく
 り、腰を動かした。「そんなにきつうに、抱きしめんかてえ」
  この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきど
 き鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。獣の
 ように尻をふりたて、なおかつ愛しいと思う自分を、どうすればよ
 いのか、自分のどきどき鳴る心臓を手にとりだして、女の心臓の中
 にのめり込ませたい、くっつけ、こすりあわせたいと思った。女は
 声をあげた。汗が吹き出ていた。おまえの兄だ、あの男、いまはじ
 めて言うあの父親の、おれたちはまぎれもない子供だ。性器が心臓
 ならば一番よかった、いや、彼は、胸をかき裂き、五体をかけめぐ
 るあの男の血を、眼を閉じ、身をゆすり声をあげる妹に、みせてや
 りたいと思った。今日から、おれの体は獣のにおいがする。安雄の
 ように、わきがのにおいがする。酔漢なのだろうか、誰かが遠く
 で、どなり叫んでいるのが彼にきこえた。苦しくてたまらないよう
 に、眼を閉じたまま、女は、声をあげた。女のまぶたに、涙のよう
 に、汗の玉がくっついていた。いま、あの男の血があふれる、と彼
 は思った。》

 人間関係も、人物の存在感も希薄な、村上春樹や吉本ばなな以後の世代の描いた現代の都会生活とは対照的な、濃密で息苦しいこうした世界が、ここには確かに存在していたのです。


   離散する一族 

 以後、中上健次は『枯木灘』『地の果て 至上の時』の二作(『岬』と合わせて「路地」三部作と呼ばれる)で、この世界をさらに深く激しく追求します。
 『枯木灘』では、秋幸は二十六歳。作中では〈彼〉ではなくて、今度は秋幸と固有名詞で書かれ、実父の〈あの男〉は浜村龍造、母はフサと、やはり固有名詞でもって姿を現します。
 龍造は、どこからともなく現れて、三人の女を同時に孕ませ、あくどいことをしながら土地の権利者にのしあがったあらくれ男です。彼は町の改造計画の青写真を温め続ける一方、自分の先祖を一向一揆で信長側に敗北し、紀州有馬に落ち延びた雑賀衆の統領浜村孫一に求め、貴種流離の血を誇示する。
 秋幸は、そんな実父に対して、龍造が特飲街の女に生ませた異母妹さと子との近親相姦の事実を告白しますが、龍造はそう言われても平然としており、それどころか秋幸に家業を継がせようとさえする。つまり、龍造は母系よりは父系を重んじていて、こうした龍造に対する愛憎の入り混じった複雑な思いが、ついに秋幸をして、龍造の子である異母弟秀雄殺しへと展開します。
 すなわち、中上健次はこの作品で、兄妹相姦と異母弟殺しを、父系抹殺を意図するものとして提出してみせたわけで、地縁血縁にまつわる被差別部落の物語を、神話的歴史的空間の中に構造化してみせたその構想力はたいしたものです。
 対して、三部作の最後『地の果て 至上の時』は、秋幸が三年の刑期を終えて出所し、路地に戻ってくるところから始まっていて、彼は二十九歳になっています。そのあいだに、かつて幼い秋幸を育んだ路地は折からの土地ブームで更地にされ、しかし、開発は中断されたまま、浮浪者が住み着いていました。土建業を営む彼の一族も、時代の波に洗われ、いまや路地を捨てている。
 秋幸はそんな様変わりした土地に馴染めず、実父龍造が経営する木材会社で働き始めますが、悪い噂が絶えない龍造に対して、いよいよ対決姿勢を強めていく。ところが、この龍造は、かつて龍造とともに暴虐を働き、いまは路地に住みついて立ち退きを拒否し続けるヨシ兄が、自分の子供に拳銃で撃たれるという、龍造と秋幸の関係を代理したような父親殺しがあった翌朝、秋幸の目の前で自殺します。
 路地の申し子たる秋幸は、路地の消滅にともない、中途半端なまま放りだされて、どこへともなく流離して行き、最後は火事が起きて路地跡の草に火が燃え移る場面で終わります。
 つまり、トポスの消滅です。したがって、以後の中上健次の力闘ぶりは大変なもので、『鳳仙花』『熊野集』『化粧』『千年の愉楽』『重力の都』などで、それ、つまり失われた路地というトポスを、古典作品と結んで幻想空間として描くかと思えば、『日輪の翼』『奇蹟』『讃歌』『異族』などで、あらたに移動する路地という概念を持ち込むなどして外部の世界に飛び出すという具合に、旺盛な執筆活動を続けるのですが、無理がたたったのか、がんを病んで、四十六歳で亡くなりました。
 中上健次が路地というトポスを発見し、そこに自分の文学世界を切り開いたことについては、フォークナーの小説群からの示唆もあったと思います。これは筆者が文庫の編集部時代に「アメリカ小説フェア」を企画したとき、そのチラシに書いてもらったものですが、「根元的な場所――南部」という短いエッセイで、次のように述べています。

  《フォークナーの小説は、それまで近代化から取り残されて日の
 眼をみなかった南部を、一挙に、アメリカ全土の象徴にまで高め
 た、と言える。南部こそアメリカであり、現代である。フォーク
 ナーの小説を読み、出所不明の男トマス・サトペンやジョー・クリ
 スマスをみると、文学というもの、小説というものが、楽園から追
 放されて今を生きる人間の呻くような祈りにみえる。人間を根元か
 ら描くという実にまっとうな認識がある。文学に顕われたアメリカ
 は、人間の壮大な実験所である。》

 フォークナーは、『響きと怒り』『サンクチュアリ』『八月の光』『アブサロム、アブサロム』など、ヨクナパトファ郡ジェファーソンというアメリカ南部の架空の町を舞台に、つまりそこをトポスとして、ヨクナパトファ・サーガ(サーガは一族の物語という意味ですが)と言われる一連の長編を書きつぎました。すなわち、中上健次における紀州熊野、とりわけ新宮という土地、トポスは、フォークナーにおけるヨクナパトファに相当すると言えましょう。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。