場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第九章 異世界への扉〉2
折口信夫『死者の書』
前田速夫
目を覚ます死者

対して、折口信夫の『死者の書』(中公文庫)は、たいそう手のこんだ、高度に難解な小説です。正直に言うと、最初読んだとき、私は登場する人物に対する知識が不足し、背景になる歴史もよく知らなかったせいか、何が何だかさっぱり分からず、たちまちはね返されてしまいました。ところが、作者の折口は、この作を少なくとも三回以上手直ししており、よほどの自信作だったと見えて、「私の学問は、私の没後五十年で滅びるかも知れない。しかし私の『死者の書』は永遠に亡びない」と、弟子たちに語ったほどでした
冒頭、持統帝の命令で処刑され、二上山に葬られた天武天皇の第三皇子、大津皇子が塚穴の中で長い眠りから目を覚ますところは、異様なまでのボルテージに満ちています。これこそ、異界というトポスならではです。
《
に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚え
たのである。
した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。
たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと
る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、
を立てゝ、掌・足の裏に到るまで、
だ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ
両脇に垂れさがる荒石の壁。した

時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い
眠りであつた。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がす
る。うつら


目に
あゝ
二上山の麓の
郎女を慰めるために、老婆は当麻の村里に伝わる物語を語りはじめます。「聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でござるがや」。
老婆は語りつづけるうちに、やがてわなわなと震える。神憑りです。そして、大津皇子が処刑された経緯を語り、最期に目にとまった耳面刀自のことが執心となって残り、その幽界の目におびかれて、当の郎女がこの当麻までやって来たのだと告げるのでした。
かつて、郎女が春秋の彼岸の中日に見たのは、二上山の入り方の光り輝く雲の上の
その夜のこと。当麻真人の家人たちが山尋ねの咒術をします。郎女の身体から遊離した魂を求めて九人がちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大坂越えへ、そして当麻寺へ。二上山の大津皇子の塚穴の前での呪術。すると、大津皇子の魂は長い眠りから徐かに覚めたのでした……。
つた つた つた。夜更けに歩み寄ってくる大津皇子蘇生の足音から書き起こされる第十五章からが、メインのストーリーです。第十六章では、失われたと見えた魂が郎女に戻ってきて、彼女は蓮の糸で上帛を織り上げ、奈良の実家からは唐の絵具を取り寄せて、線描きなしの美しい彩画を描く。むらむらと湧くのは紺青の雲。雲の上には金泥の
「した した した」「つた つた つた」「あつし あつし あつし」という異界人が近づいてくる足音。このあやしくも独創的なオノマトペが、じつに効果的に配されています。そして、「荘厳な人の俤」が現れるところは、このように書いてある。見事というほかはない行文です。
《西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに
速さ。雲は炎になつた。日は黄金の
るか、と思ふほど鋭く廻つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風―
―、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光は薄れて、雲
は

が、瞬間顕れて消えた。
では、作者はこの小説で何を表したかったのでしょう。それを理解するには、『古事記』『日本書紀』『万葉集』の知識はもとより、「中将姫伝説」の知識が前提になります。
「中将姫伝説」は、奈良時代に、横
後年、豊成は狩りの途中で姫に再会。姫の真実を知ってわが家に連れ帰り、帝の后に立てようとしますが、姫は無常を感じて出家します。当麻寺にこもった姫の前に、弥陀・観音が尼となって現れ、彼女を助けて蓮の糸で一丈六尺(約四・五メートル)の曼荼羅を織り上げ、二十五菩薩の来迎を受けて極楽往生する。つまり、作者はこの説話を下敷きにしている。
そして、制作の意図は、「渡来の文化が、渡来当時の姿をさながら持ち伝へてゐると思はれながら、いつか内容は、我が国生得のものと入りかはつてゐる。さうした例の一つとして、日本人の考へた山越しの阿弥陀像の由来と、之が書きたくなつた、私一個の事情をこゝに書き付ける」と書き出され、「私の女主人公南家藤原郎女の、幾度か見た二上山の幻影は、古人相共に見、又僧都一人の、之を具象せしめた古代の幻想であつた。さうして又、仏教以前から、我々祖先の間に持ち伝へられた日の光の凝り成して、更にはな

《四天王寺の西門は、昔から謂われてゐる、極楽東門に向つてゐ
るところで、彼岸の夕、西の方海遠く入る日を拝む人の
こと、凡七百年ほどの歴史を経て、今も尚若干の人々は、淡路の島
は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる西の宮に向つて、くるめき入る
日を見送りに出る。(中略)
日想観もやはり、其と同じ、必極楽東門に達するものと信じて、謂
はゞ法悦からした
言ふよりも
のだと言ふ外はない。
さう言ふことが出来るほど、彼岸の中日は、まるで何かを思ひつ
め、何かに
があつたものである。
昔と言ふばかりで、何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋
との真中頃に、
入りまで、日を迎へ、日を送り、又日かげと共に歩み、日かげと共
に憩ふ信仰があつたことだけは、確かでもあり又事実でもあつた。
さうして其なごりが、今も消えきらずにゐる。(中略)
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、
何時か
ひがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。》
本書の題名がエジプトの『死者の書』に由来するのは、言うまでもありません。折口信夫最大のテーマは「死」であると同時に、「死からの再生」でした。その日本的伝統を深く掘り下げ、究めたとき、おのずと誕生したのが、この作でした。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。