場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第七章 脱出と放浪〉1
金子光晴「水の流浪」『マレー蘭印紀行』/檀一雄『火宅
の人』
前田速夫
水の流浪


地方から大都会へと押し出されてきた人間が、都会生活になじめず、強烈な違和をおぼえたとき、脱出や放浪へのあこがれが芽ばえます。その典型が、詩人の金子光晴でしょう。
金子光晴は、愛知県海東郡津島町の生まれ。本名、大鹿保和。家は代々造り酒屋でしたが、父親の代に傾き、父は店をたたんで、名古屋へ出、鉱山や興業に手を出していました。弟の秀三は、小説家の大鹿卓。三歳の時、養子縁組して金子姓を名乗り、義父の転勤にしたがい、京都・東京と移り住みます。早大英文科、東京美術学校日本画科、慶大英文科予科に籍を置きますが、いずれも中退、肺尖カタルで病臥したとき、詩作を始め、大正八年一月、民衆派的色彩の濃い処女詩集『赤土の家』を処女出版する。
同年十二月、美術商の鈴木幸太郎につれられ、最初の外国旅行に出ます。ロンドン、ベルギーで二ヵ年を過ごし、ヴェルハーレン、ボードレールら、高踏派の詩に親しみ、帰国後フランス象徴詩の影響を受けた華麗な作風の詩集『こがね虫』を刊行しますが、さほど評価を得ないうちに、関東大震災で東京に住めなくなり、名古屋、京都、西宮を放浪、この頃詩作した『水の流浪』(岩波文庫『金子光晴詩集』所収)の巻頭は、方向を失った者の虚無と放縦と絢爛とが定着されています。
《
ゞ色ならぬ色、光線ならぬ光線で、流浪してゆく。あみ目硝子に、
路考茶に、
か、放神してゐるかである。
そこを流れてゐる一切の魚族、放逸で非人情で、非実在的で、半
透明で、やりどこのない仄明のなかの紡錘形に、又扁平に無明の燈
火をともして彷徨ふ簇よ。夜昼ないみる色の水に、細い、白い魚が
浮みあがり、それとみる間に幾百の燦爛たる鯛の群となつて眼前を
ゆく。おゝ、何たる漂泊の美しい群衆だらう。いづくへのはかない
行旅であらう。》
十三年七月、東京女高師の生徒だった森三千代と結婚。翌年、一子乾が生まれますが、家財を使い果たして困窮、乾の病気もあって、長崎県の森の実家へ身を寄せ、五か月ほど滞在、その間、二人で上海を旅行、谷崎潤一郎の紹介状で、郭沫若、魯迅、内山完造らに会います。このときの旅行で得た題材が、森との共著『鱶沈む』です。
昭和二年三月、光晴は国木田独歩の子虎雄とふたたび上海を旅します。ところが、帰宅すると、三千代は家を出て、ある青年(のちの美術評論家土方定一)と同棲していました。この三角関係を清算しようと、翌三年から七年まで森と日本を脱出し、東南アジア、ヨーロッパを放浪します。行く先々で旅費を稼ぎながら続けるこの旅は、想像以上に苦しいものでした。
《無一物の日本人が巴里でできるかぎりのことは、なんでもやっ
てみた。しないことは、男娼だけだった。博士論文の下書きから、
額ぶち造り、旅客の荷箱つくり、トーシャ版刷りの秘密出版、借金
のことわりのうけ負ひ、日本人名簿の手つだひ、画家の提灯持ち記
事、行商。》(『詩人』)
けれども、こうした放浪、落魄の結果、光晴は「異邦人の眼」を獲得し、ヨーロッパや日本を批判し、社会主義的なイデオロギーからではなく、徹底した自意識によって権力に立ち向かう姿勢が植えつけられます。左は、帰国してから発表した『鮫』の一節。
《日本よ。人民たちは、紋どころにたよるながいならはしのため
に、虚栄ばかり、
ふすま、唐紙のかげには、そねみと、愚痴ばかり、
じくじくとふる雨、
よせ、
家運のために、
家系のために、婚儀をきそふ。
紋どころの羽織、はかまのわがすがたのいかめしさに人人は、ふ
つとんでゆくうすぐも、生死につづくかなしげな風土のなかで、
「くにがら」をおもふ。》(『紋』)
十二年、日中戦争が勃発すると、すぐに三千代と北支へ赴き、それが侵略戦争であることを確かめると、反戦の態度を固めます。それは、戦後、『落下傘』『女たちへのエレジー』『鬼の児の唄』『蛾』などの反戦詩集となって現れましたが、抵抗詩人としての世評が高まると、逆に「戦後転向」を試みて、戦後民主主義の路線からははずれて、浮動する人間の悲劇に目を向けます。
《僕は、僕の指や、爪を、ほんたうに僕の指や爪なのか、たしか
めてみたい。》(自叙伝『人間の悲劇』)
『IL』『泥の本』『風流尸解記』『花とあきビン』と、古稀前後に爆発した衰えを知らぬ創作力も、詩壇の驚異でした。全十五巻の全集(中央公論社)のほかに、散文では『絶望の精神史』『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』など、多くの自伝、体験記があって、その柔軟で粘着力のある文体が注目されます。
代表作は、何といっても、『マレー蘭印紀行』です。先述したように、昭和三年から七年に渡る、森三千代を伴っての異国放浪の途次、シンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラでの見聞をもとに、この旅の途中、また多くは帰国後、出版のあてもなしに書き継いでいったものですが、その痛ましいまでに練り上げられた精緻で妖艶な文体に、息を呑まずにおれません。一例のみあげておきます。
《夜の
そいつは、眼なのだ。いきものたちが縦横無尽に餌食をあさる
双つの火の距離、火皿の大小、光の
で、山の人たちは、およそ、その正体が、なにものなのかを判断す
る。ゴムの
りを終夜徘徊する山貓、人の足音をきいて鎌首をもたげるコブラ、
黄燐、エメラルド、茶金石、等々。あやめもわかぬ深海のふかさか
ら光り物は現われ、右に、左に、彷徨をそらせて
近々と相寄ってきて、
ても、こちらの眼のうごきを
う。そうした光と光ののっぴきならぬ対峙から、たちまち追窮にう
つるもの、命をかぎりに逃げのびるもの。だが、にげるものも、追
うものも、声なく、物音なく、この密林の大静謐をやぶるなにもの
もないのだ。》
天然の旅情


金子光晴の放浪が苦渋に満ちたものであったのに対して、檀一雄『火宅の人』(新潮文庫)の放浪は何とも豪放なものです。主人公である小説家桂一雄を、作者は次のように紹介します。
《私はもう数え年四十五だ。私の身近な友人で亡んでしまった人
々の年齢を数えてみると、太宰が四十。安吾が五十。立原、中原、
津村などの年齢を考え合わせてみるならば、今更愛の恋のという年
でないことは自分で知り過ぎるほどよく知っている。
私は五人の子持ちなのである。一郎は亡妻のリツ子が産んで、現
在の妻ヨリ子が手塩にかけて育て上げたようなものだ。そのヨリ子
に次郎、弥太、フミ子、サト子と生れ、次郎は不幸な廃人に変った
し、サト子はまだ誕生やっと五ヵ月目だ。
ヨリ子は三十五歳。私は現在の妻に、何の不満も持ち合わせてい
ない。いや、その飾ることのない質実と沈着によって十六人を越え
る
私は飽きっぽく、移り気だと思われがちである。が、不幸にし
て、自分に発生した状態は、生涯をつくしてその効果を待ってみる
と云う、愚かな願いを持っている。
家庭は破棄したくないが、しかし、私を信じきれぬならば、私も
自分を天然の旅情に向ってどえらく解放してみたい。》
発端は、新劇女優の恵子と事を起したことにありました。常軌を逸した濫費と狂態。恵子を伴っての度重なる国内外への逃避行。痴情のきわみ、当然のことに家庭も情事も崩壊に瀕しますが、主人公のあてどない放埓は止みません。
稼ぎに追われ、家庭を維持するのに汲々としている私たち一生活人から見れば、羨むばかりの境地です。見方を変えれば、「私は自由が欲しかったのだ。人の世から、もがき、のがれるほどの、苦しい自由が。嗤われることは、覚悟の」という告白も、いい気な、思い上がったものと言えましょう。けれども、にもかかわらず、そのことは痛いほど承知で、あえて貫き通そうとしたところがこの作家の真骨頂で、やがて次郎が死ぬと、さすがに孤影悄然としたものが漂います。
この長編は連作の形で長期間断続的に「新潮」に発表され、最終章の「キリギリス」は福岡の病院で死の床にある作者の口述を、筆者の先輩である女性編集者が筆記して完成を見ました。
何度もカンヅメになっては原稿を書けないでいた、神楽坂のホテルのゴキブリの這いまわる一室が舞台です。ガランと静まり返る幽霊ビル。深夜、消燈すると、ガラス戸の下のそと壁のあたりに、リリリ、リリリと一羽のこおろぎの鳴く声が聞こえます。生滅というものがそもそも何であるのか。
時折、窓の外は音もない秋の稲妻。なーんだ! オレ、ヒトリボッチ! そうだ。あの古靴のなかに、啼いているコオロギを一二匹かくしこんで、思い切りよく、パリの安宿へでも、逃げていってしまいたい。
《そうだ。今からここのホテルを折り畳んで、パリまで直行すれ
ば、今年の暮れから正月の「ボナネ」の熱狂と
ではないか。そのままそのパリの雑踏の中から、またぞろ第二の菅
野もと子、第二の実吉徳子をでも拾って、素早くインスブルックと
か、カサ・ブランカあたりまで、逃げ出して行ってしまいたい。
私は、ゴキブリの這い廻る部屋の中で、ウイスキーを飲み乾しな
がら、白い稲妻と一緒に酔い
ラサラと自分の身の周りに粉雪でも降り積んでくるような心地にな
った。》
これがラストの行でした。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間 を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。