場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第五章 郊外の風景〉2
 大岡昇平『武蔵野夫人』/富岡多恵子『波うつ土地』/
 島田雅彦『忘れられた帝国』
前田速夫


   精密な地形考証 

 大岡昇平の『武蔵野夫人』(新潮文庫)も、ある意味、反時代的です。俘虜生活を経て帰還した復員兵の勉は、虚無的な心情の持ち主ですが、戦前からの美徳を生来のもののように持ちつづけるヒロインの人妻道子に惹かれます。ストイックな恋愛を主軸にした端正なロマンですが、初めて読む読者は冒頭で舞台となる「はけ」が、長々と説明されるのに、面くらうはずです。

  《中央線国分寺駅と小金井駅の中間、線路から平坦な畠中の道を
 二丁南へ行くと、道は突然下りとなる。「野川」と呼ばれる一つ
 の小川の流域がそこに開けているが、流れの細い割に斜面の高い
 のは、これがかつて地質時代に関東山地から流出して、北は入間(いるま)
 川、荒川、東は東京湾、南は現在の多摩川で限られた広い武蔵野台
 地を沈殿(ちんでん)させた古代多摩川が、次第に南に移って行った跡で、斜
 面はその途中作った最も古い段丘の一つだからである。(中略)
  樹の多いこの斜面でも一際(ひときわ)高く(そび)える(けやき)(かし)の大木は古代武蔵
 原生林の名残りであるが、「はけ」の長作の家もそういう欅の一本
 を持っていて、遠くからでもすぐわかる。斜面の(すそ)を縫う道からそ
 の欅の横を石段で上る小さな高みが、一帯より少し出張っていると
 ころから、「はけ」とは「(はな)」の訛りだとか、「(はし)」の意味だとか
 いう人もあるが、どうやら「はけ」はすなわち、「(はけ)」にほかなら
 ず、長作の家よりはむしろ、その西から道に流れ出る水を(さかのぼ)
 て斜面深く喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。》

 『俘虜記』や『レイテ戦記』で、戦場の地形を驚くほど詳細に描き出した大岡です。その徹底ぶりがここにも表れていると見て誤りないでしょうが、それをこの作家に特有の習い性と見過ごしてはなりません。なぜなら、この「はけ」や「野川」をはじめとして、「恋が窪」や「狭山丘陵」など、ほとんど地質学的な精密さで描出される武蔵野の地形・地勢は、二人の密会の舞台となっただけではなくて、その心理の移り行き、位相、ロマネスクを、正確に照らしだしているからです。

  《彼女はさっき神社の後で勉を抱きたいと思って以来、どうして
 自分がそんなことを思ったのだろうと、そのことばかり考えていた
 のである。彼女は結局自分に告白しようと欲しない一字のまわりを
 廻っていた。
  川はしかし自然に細くなって、ようやく底の泥を見せ始め、往還
 を一つ越えると、流域は細い水田となり川は斜面の雑木林に密着し
 て流れ、一条の小道がそれに沿っていた。
  線路の土手へ登ると向う側には意外に広い窪地が横たわり、水田
 が発達していた。右側を一つの支線の土手に限られた下は(かや)(あし)
 の密生した湿地で、水が大きな池を(たた)えて(あふ)れ、吸い込まれるよ
 うに土管に向って動いていた。これが水源であった。
  土手を斜めに切った小径を降りて二人は池の傍に立った。水田で
 稲の苗床をいじっていた一人の中年の百姓は明らかな疑惑と反感を
 見せて二人を見た。
  「ここはなんていうところですか」と勉は訊いた。
  「恋ヶ窪さ」と相手はぶっきら棒に答えた。
  道子は膝の力を失った。》


  均一で無機的な空間  

 東京の市街地が立て込んでゆくさまは、高野辰之作詞の文部省唱歌「春の小川」に歌われた河骨川(宇田川の支流)が、昭和三十九年(一九六四)、東京オリンピック開催のため暗渠化され、いまは小田急線代々木八幡駅にほど近い線路沿いに歌碑が残るのみなのを見ても、その激しさがよく分かります。
 富岡多恵子の『波うつ土地』(講談社文芸文庫)ともなると、さらに時代は飛んで、縄文時代以来殆ど変わらずに来た郊外の土地が、多摩ニュータウンの建設にともなって、ブルドーザーで掘り繰り返される時期の物語です。

  《Kダンチなら、わたしは知っていた。それはK谷戸(やと)を見おろす
 丘の上にあった。K谷戸だけでなく、このM市には谷戸のつく地名
 があちこちにたくさんあった。わたしは五年前この土地へ移って
 きた時に地図を見て、谷戸のつく地名の多いのに驚いたのだった。
 「谷戸」のつくところは、丘陵(きゅうりょう)と丘陵の間にあった。谷戸が多
 いということは、丘陵の土地ということであった。
  わたしはKダンチから丘陵をいくつもこえたところに住んでい
 る。丘陵にも、大きな丘陵と小さい丘陵があり、わたしのいるのは
 小さい丘陵といえる。いずれにしても、丘陵の斜面に家を建ててヒ
 トが住んでいるのである。谷戸にも、ヒトの家がびっしり建ってい
 る。M市には、Kダンチの他にも大きなダンチがいくつもあって、
 ヒトはふえる一方だということである。》

 主人公のインテリ女性は、交際相手の愚鈍で凡庸な男をこう評して、もはや古典的な恋愛などとっくに無意味になった時代の移り行きを感じさせます。

  《わたしは男と会っても、喋る楽しさも知る楽しさもないので性
 交の他にすることがなかった。クルマに乗ると、わたしはたいてい
 ひとりで喋らねばならないのであるが、わたしが喋らぬ時は男が相
 槌を打つこともないからコトバはないのである。わたしが男と会う
 約束をするのは、だから性交しか目的がなくなっていた。男との性
 交を目的とするのは、性交が男から切り離されても、それ自体で楽
 しめるからである。》

 そして、富岡よりもさらに若い島田雅彦ともなると、その郊外地すら過去のものとなって、「忘れられた帝国」でしかありません。同名の単行本(毎日新聞社)の「付記」にこうあります。

  《私の作品の舞台は殆ど郊外か、外国の都市である。いずれにし
 ても、そこは遊園地のような場所である。そして、遊園地やテー
 マパークには大きな物語も長い伝統も複雑な歴史もない。よそ者や
 旅行者や訪問者がウェルメイドの小さな物語を演じるだけの場所
 である。けれども、いざその退屈な郊外での三十数年の過去をつぶ
 さに憶い出してみると、謎の出来事や迷信や不思議な関係や偶然、
 奇妙な噂に満ちあふれていることに今さらながら驚きを禁じ得な
 かったのである。(中略)
  世界の郊外を結ぶネットワークの理念は道徳であり、懐しさであ
 り、友情であり、ユーモアであり、ナンセンスである。私はその
 ネットワークを忘れられた帝国と名づけた。金儲けや政治的な影響
 力を度外視し、国家主義を牽制し得る場所……それこそ帝国の理
 想である。》

 この作者得意の皮肉でパラドキシカルな物言いで、単なる強がりとも居直りとも受け取られかねませんが、これはこれで現代を生きる者の作家的誠実というものでしょう。私が注目し、共感するのは、いまやなんの変哲もなくなった画一的な場所を、こうして「国家主義を牽制する」「帝国」として、捉え返し、新たな生命を吹き込もうとする、その姿勢です。
 それにしても昨今、地方の都市を旅してつくづく嘆かわしく思うのは、駅前のシャッター街、高利貸、受験塾、英会話教室の乱立と、幹線道路沿いのチェーン店、大型家電店、ファミレス、パチンコ店。どこを見ても、どこまで行っても同じで、ここまで均一で下品で醜悪にされた空間を、もはや何とも感じない住民を、旅行者を、自分も含めてですが、心の底から嫌悪しないではいられません。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。