山本タカト 幻色のぞき窓
高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛



 Nさんへ。
 さて、これまでくどくどとのべて参りましたが、そろそろここで、Nさんにどうしてもおききしたいことを書かせていただきましょうか。
 私は心のどこかで、Nさんが父子二代にわたる「宮大工」という家業を継がず、まっすぐに洋画家をめざしたのは、祖父上、そして父上が背負っていた「戦争責任」から逃れたい、N家のもつから忌避したいという気持ちからだったのではないか、と考えているのです。もっというなら、Nさんもまた「無言館」にならぶ戦没画学生と同じように、自らに科せられた「戦争」の幻影から一歩でも遠去かるために、何もかもを忘れて「絵を描くこと」に没頭しようとしたのではないか、と推量しているのです。
 もちろんそこには、「戦争」という現実を眼の前にし、出征をうながす召集令状をうけとりながらも、恋人や妻を描くことにうちこんだ画学生たちとは、置かれた環境や時代背景において大きなひらきがあるといえるでしょう。明日をも知れぬ戦時下に生きた画学生にくらべれば、Nさんや私が生きる今の時代は、あまりに平穏であり安寧であることはたしかです。しかし、それは逆の意味で、実際に「戦争」を体験した人たち以上に、六十余年経った現代を生きる私たちに、あの「戦争」という時代に対する拒否反応をあたえているような気がしてなりません。
 「低温ヤケド」──とつぜん変な言葉をもちだして申し訳ありませんが、ことによると、戦後を生きた私たちが負った「戦争」のキズは、六十余年の歳月をはさんだ「低温ヤケド」の症状に似たものであるような気がします。あの「戦争」という時代のもつ不条理や理不尽さが、戦後の六十余年の歳月をへたがうえに、よけい私たちの心身をヒリヒリと焼け焦がしているのです。
 私からいわせれば、Nさんだって、「低温ヤケド」組の一人です。
 あらためていいますと、Nさんの家系は、故郷である青森県五所川原に代々つづいた宮大工の棟梁でした。祖父上、父上ともに、県内のみならず国内の数ある有名神社、寺院、宮殿の建築や補修に携わり、日本古来の建築の技術工法を伝承してこられた名工でした。Nさん自身、そうした自らの家系の底に流れる「宮大工の血」には、少なからぬ誇りを抱かれてきたことでしょう。
 しかし、Nさんがどうしても許せなかったのは、祖父上が戦時中に国家の命令にしたがい、五所川原市郊外に出征兵士をおくる施設「雄魂殿」をつくったの宮大工だったことではないでしょうか。
 想像するに、Nさんはそんな「戦争」の記憶をひきづる宮大工という家系から一日も早く脱出すべく、あえて周囲眷族の期待を裏切り、東京芸大の油絵科にすすんで、洋画家への道をあゆみはじめたのにちがいありません。遠い六十余年前の記憶のとどかない、自分だけの「絵画表現」にうちこむ決心をかためられたのにちがいありません。そう、歳月が経てば経つほどNさんの心身を蝕んでくる、そんな「低温ヤケド」の苦しみから逃れるために、現在の幽玄にして独特の詩情にあふれる、Nメルヘンともいえる作品の完成をめざされたにちがいないのです。
 なぜそんなことが断言できるかといえば、先日Nさんが故郷五所川原にある父上の建てられた菩提寺に、青森の名祭「ねぶた」をテーマにした「天井画」を完成されたとき、地元テレビの取材にこたえてこんなことをいわれていたことをおぼえているからです。
 インタヴューのアナウンサーが、なぜ「天井画」のテーマに「ねぶた」をえらんだのかという質問に対して、たしかNさんはこうこたえておられました。
 「ねぶたは、長い年月をかけて青森の民衆が築きあげた文化です。長くきびしい北国の冬を耐えしのんだ人々だけが、つかのまの夏の到来を祝う歓喜の祭です。ことにわが五所川原が誇るは、明治末期に生まれた新しいポップ・アートの要素をもつ祭礼だと思います。そこには人間が人間らしく、自然とともに生きる、本源的な姿があるのです。ぼくはN家の菩提寺であるこのお寺に、そうした東北人の魂の叫びを再現してみたかった。そして、この郷土がたどってきた過去の悲しい歴史や過ちをも、ぼくの描くねぶたの力によって断ち切ることができれば、と思ったのです」
 心なしか私の耳には、「郷土がたどってきた過去の歴史」という部分に、Nさんがとりわけ力をこめたようにきこえました。
窪島誠一郎
略歴
1941年東京生まれ。印刷工、酒場経営などを経て1964年東京世田谷に小劇場の草分け「キッド・アイラック・ホール」を設立。1979年長野県上田市に夭折画家の素描を展示する「信濃デッサン館」を創設、1997年隣接地に戦没画学生慰霊美術館「無言館」を開設。
著書に生父水上勉との再会を綴った「父への手紙」(筑摩書房)、「信濃デッサン館」|〜|V(平凡社)、「漂泊・日系画家野田英夫の生涯」(新潮社)、「無言館ものがたり」(第46回産経児童出版文化賞受賞・講談社)、「鼎と槐多」(第14回地方出版文化功労賞受賞・信濃毎日新聞社)、「無言館ノオト」「石榴と銃」(集英社)、「無言館への旅」「高間筆子幻景」(白水社)など多数。「無言館」の活動により第53回菊池寛賞を受賞。

信濃デッサン館
〒386-1436 長野県上田市東前山300
TEL:0268-38-6599 FAX:0268-38-8263
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:12月〜6月毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休館)
入館料:一般 800円(700円)小・中学生 400円(350円)※( )内は団体20名以上

昭和54年6月、東京在住の著述家・窪島誠一郎が20数年にわたる素描コレクションの一部をもとに、私財を投じてつくりあげた小美術館。収蔵される村山槐多、関根正二、戸張孤雁、靉光、松本竣介、吉岡憲、広幡憲、古茂田守介、野田英夫らはいづれも「夭折の画家」とよばれる孤高の道を歩んだ薄命の画家たちで、 現存する遺作品は極めて少なく、とくに槐多、正二のデッサンの集積は貴重。 槐多は17歳ごろ、正二は16歳の春に、それぞれこの信濃路、長野近郊あたりを流連彷徨している。

無言館
〒386-1213 上田市大字古安曽字山王山3462
TEL:0268-37-1650 FAX:0268-37-1651
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:12月〜6月毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休館)
鑑賞料:お一人 1000円
入館について:団体(20名様以上)での入館をご希望の方は必ず事前予約を。

「無言館」は太平洋戦争で志半ばで戦死した画学生の遺作を展示する美術館。

© Copyright Geijutsu Shinbunsha.All rights reserved.