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壁画家 松井エイコ 壁画の道を歩み続ける 第7回 未来への扉
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北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイク W30×H3.1m 1997年 夜景)
写真・加藤嘉六

自由の森学園の壁画の次に、私は埼玉県の上尾市立「原市(はらいち)公民館」の壁画に取り組むことになる。初めての公共施設への壁画だ。この壁画制作の中で、私は新しい人間の造形を生みだしていった。

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 その機会をつくってくれたのは、当時の上尾市教育委員会社会教育課の山内淳一さんだった。山内さんは社会教育の理想に向かって、埼玉県中で人と人の出会いをつくり、休日も夜も情熱をこめて人間が学び合う場を育んでいた。
 私がフリースクール「寺小屋学園」を、十代の仲間と創立した年には、山内さん自身が授業をしてくれた。
 そして私が年賀状に、「自由の森学園壁画」の写真を貼り、めざす理想に向かって壁画の道を歩み始めたと、書いた時。山内さんはすぐに、電話をかけてきてくれた。
 「エイコさんの壁画を、上尾の市民ギャラリーで展示したらいいと思うんだ!」
 上尾市民ギャラリーを私が一週間借りて、壁画展をしよう。それを山内さんが助けてくれることになった。
 展示計画を練るために上尾を訪ねると、山内さんは私を社会教育課の部屋に連れて行った。山内さんの机には、「自由の森学園壁画」の写真が飾られている。打ち合わせコーナーに座ると、社会教育課の人たちが、笑顔で共に座ってくれた。
 「壁画展ってどんなもの? いつ、開こうか。どんなふうに準備しようか。」
 壁画家として出発したばかりの私を、こんなふうに支えてくれる人たち。一人一人の輝きに、私は包まれた。

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 壁画展の準備にかかっていた、ある日のこと。社会教育課から電話があった。課長さんからだった。
 壁画展のことだと受話器を握った私に、思いがけない、課長さんの言葉。
 「今、新しく計画している公民館に、壁画をお願いできますか?」
 身体中が熱くなって、うまく答えられない。お礼の言葉を、何度も何度も言った。
 すぐに山内さんに連絡すると、「課長から電話がいったでしょ」と笑っている。
 その声を聞いたとたん、喜びが広がった。
 山内さんと社会教育課の人たちは、きっと多くの人を説得してくれたのだと思う。29歳の私にとって、壁画の道を踏み出す「未来への扉」が開かれた。
今までにない公民館を上尾の人たちの思いのこもる図面
 1987年3月、上尾市立「原市(はらいち)公民館」の壁画の初めての打ち合わせだ。あの社会教育課の打ち合わせコーナーに座って。机の上に大きく広げられた図面がある。
 上尾の人たちは、熱く語った。
 「今までにない公民館にしたい」「原市は長い歴史のある町で、独特な風土なんだ」「このまちに生きる人たちが、自分の場所のように感じてもらいたい」
長い歴史のある原市の昔の街並み 壁画は、玄関ホールの中の「子どもコーナー」につくることになった。大人たちが活動する間、子どもたちが安心して過ごせる場が必要との発想で生まれた「子どもコーナー」。それは建築の中心に位置づけられていた。
 打ち合わせの後は、一日中かけて一緒に、原市のまち巡りだ。歴史、自然、文化に出合っていった。  

 最初の打ち合わせから工事着工を経て、壁画を制作する壁面ができるまでは、9ヶ月の時間がある。私は自分のアトリエの中で「どんな壁画をつくるか」の原画創作に向かった。
 アトリエで一人になると、自分の心の内側から、上尾の人たちの熱い思いが湧きあがってくる。その思いの中で、手渡された原市のまちや公民館についてのたくさんの冊子のページをめくっていく。すると、長い歴史を通して人間が一歩一歩、幸せを求めて前に向かって生きたことが見えてくる。アトリエに貼りだした新しい公民館の図面を見つめると、これから生まれる未来への希望が広がり始める。

 その時、私は「幸せな未来を願う人間」を描こうと決め、鉛筆を持った。描き始めた人間の形は、「子どもを抱く親の姿」だ。親が子どもの成長を願う姿を描くことで、「幸せな未来を願う人間の内面」を表したかった。
 白い紙から人間を生みだすように、少しずつ、目、鼻、口の線を引く。手や足は形を探るように、薄く描く。さらにデッサンを進めようとして、具体的にはっきりと描き込もうとした。
 ところが、描けない。
 具体的に人間の顔や体を描いてしまうと、「親と子どもが今、ここにいる」という実感が強くなる。すると、「これから」を感じにくくなるからだ。
 未来を感じる造形にしたい、深い人間の願いを表したい。
 鉛筆を墨のついた筆ペンに持ちかえ、息を止めて、白い紙の上に墨をのせていった。目と鼻は、点と線。僅かな体の線。祈るような手の形。大きく踏みしめる足。
 最も単純な黒い線のみで、人間の姿が生まれた。

生まれた人間の姿
未来を感じる造形を追求する

 初めて描いた造形だった。人間の線と線の間には、何も描いていない空白の空間ができている。その空間が、「これから」を感じさせた。

 9ヶ月の時間の中で、原画ができあがった。線で描いた親と子どもの姿。そして未来が光で満ちるように、淡い透明な黄色を画面全体に薄く薄く、重ねた絵。
 上尾の人たちはその原画を見て、新しい絵が生まれた喜びを、共にしてくれた。そして壁画展は上尾市教育委員会の主催として、「原市(はらいち)公民館」の壁画の原画も展示することが決まった。

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 原画をもとに実物の壁面に、アクリル絵の具での制作は3ヶ月間。こうして1988年5月、「育ついのち」(9.2m×2.4m)という題名の壁画が完成した。
 開館した公民館の中心で、壁画は淡い光を放つように見える。ここに集う子どもたちが、その幸せな光に包まれることを、私は願った。

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 壁画の中の「手を差しのべる子どもの姿」を見ると、それは上尾の人たちに育まれた私自身と重なる。
 「人間が未来に向かって生きることの喜び」を私自身の人生をこめて刻んだ、上尾市立原市公民館の壁画。それは、私の仕事すべての土台となった。

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(次回に続く)

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松井エイコ(壁画家)

1957年
1982年
1983年




1989年
1994年
1997年
2002年〜
2006年
2007年〜

東京に生まれる。
武蔵野美術大学油絵科卒業。
壁画家として出発。
公共施設を中心に「人間」をテーマとする壁画、モニュメント、
ステンドグラス、レリーフ、緞帳、を創作。
ガラス、金属、陶板、織物、タイル等、多様な素材を使用。
全国各地で壁画展開催(20回)
中国北京国立中央美術学院にて個展開催(中国主催)
国際モザイク展出品
建築家倶楽部主催「松井エイコ壁画の世界展とフォーラム」開催
フランス、ベトナムなどで講師をつとめ、日本各地で講演活動
ドイツにて講演、
アメリカにて病院の壁画プロジェクトに取り組む。

主な作品
北海道士別市ふれあいの道公園、沖縄くすぬち平和文化館、埼玉県蕨市民会館
東京都三鷹市高齢者センター、新潟県与板町立与板中学校、茨城県水戸市斎場
岡山市西大寺福祉センター、茨城県農業総合センター、静岡県富士市・幼稚園
常磐大学、大阪産業創造館、愛媛県松山市・幼稚園、北海道中富良野保育園
京都・立命館小学校、等の壁画やモニュメント他、130余作。

著書 「都市環境デザインへの提言」(日刊建設工業新聞社刊・共著)、エッセイ多数、
    童心社刊・紙芝居「二度と」「かずとかたちのファンタジー全5巻」

日本建築美術工芸協会会員、建築家倶楽部会員、士別市ふるさと大使


 松井エイコ写真・加藤嘉六(かとうかろく)

松井エイコさんが掲載されました

●松井エイコさんへのインタビュー記事が、
2009年11月17日付・日本経済新聞に掲載されました。
右の画像をクリックすると、大きい画像を開きます。
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