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壁画家 松井エイコ 壁画の道を歩み続ける 第1回 出発の時
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北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイク W30×H3.1m 1997年 夜景)
写真・加藤嘉六

 私は壁画家として25年間、全国各地に「人間」をテーマとする壁画を130作以上、創り続けてきた。素材はガラスモザイクや織物、金属、陶板などだ。日本で壁画を専門とする人はほとんどいない。でも私は、壁画にしかない世界を追い求めて歩んできた。
 壁画は2万年以前の旧石器時代、人間が食べるだけで精いっぱいだった頃に、存在している。だからきっと、人間が生きるために、壁画は必要なものなのだと私は思っている。

 「なぜ、壁に絵をつくるの?」
 5才の男の子が私に、たずねた。
 11年前、北海道・帯広市の幼稚園にガラスモザイクの壁画を取り付けていた時のことである。新築ではなく、すでに建っている園舎の壁への取り付けだったので、そこに子どもたちがいた。ガラスモザイク専門の職人さんが壁に接着剤を塗り、工房でつくりあげてきたモザイクを、下から順に貼っていく。私はその後ろに立って、壁画の10分の1サイズの原図を手に、職人さんの仕事を見守っていた。男の子は、私の手元の原図をのぞきこみ、まだ下半分しか貼られていないモザイクを見つめ、問うた。
 私自身のすべてを語らなければ、答えられない質問に、私は全身で答えようとして、その子の丸い手を握った。何と答えたのか、覚えていない。うまく話せなかったこと、でも、うなずいてくれた子どもの姿が、小さな手のやわらかさと共に、いつも自分の中にある。
 あの子は今、16才ぐらいだろうか。
 「なぜ、壁画をつくるの?」この根本的な問いに、答えたい。そのために、自分が一歩、一歩、壁画家としての歩みの中で、追い求めてきたこと、出会ったこと、発見したことを、これから書いていきたい。

スペース 松井エイコ
松井エイコ
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出発の時
 私が初めて壁画を描いたのは、25才の時。美術大学の油絵科を卒業後、「自分らしく生きたい。今までにない、自分にしか描けない作品を創作したい」と渇望するのに、それを表す方法が見えなかった。絵が一枚も仕上がらない1年が過ぎた頃、一本の電話があった。東京・原宿にある児童書専門店『クレヨンハウス』からだった。
 「うちの店に登っていく階段まわりの壁に、壁画を描いてくれる人いないだろうか?」
 なぜか身体中が熱くなり、
 「私がやります」
 と、答えていた。
 自分自身の人生にとって、大切なことは、心の奥底が一瞬で判断するのかもしれない。電話を切ってから、自分が壁画をつくる方法を全く知らないことに気づいた。油絵や水彩の描き方、版画のつくり方などの本はたくさんある。でも『現代の壁画のつくり方』という本は見あたらない。数年で、色落ちやはがれが起きてはならない。責任の重さに、眠れない夜が続いた。そして1週間後、私の行動の第一歩は、塗装屋さんに会うことだった。まず、デパートへ行き、千円ほどの菓子折を買い、それを持って知り合いの塗装屋さんを訪ねた。
 「壁画をつくりたいのです。そのための下地づくりの方法を、どうか教えてください」
 この一言から私の仕事はスタートした。

 当時はアクリル絵の具を使い、壁に直接描くという技法だった。実際に描き始めてみると、壁画は、額縁に入る絵を描く時とは全く感覚が異なる。建築と共にある「動かせない壁」に毎日向かっていると、「新しい未知な何か」が見えてきそうな予感が胸にあふれた。
 夢中になった私は、1ヶ月が完成期限だったクレヨンハウスの壁画を、2年間、描き続けた。暖房のない冬の寒さにこごえ、足場にのる疲労から右肩を脱臼。それでも、面白かった。お店に来るお客さんは、私の描いている姿に関心を持ち、クレヨンハウスは、「納得いくまで描いてください」と言ってくれた。
 壁画が完成した時、私は「壁画には壁画にしかない世界がある。一生かけて、壁画の仕事をやっていこう」と、決めていた。
 名刺に『壁画家』と肩書きを入れた。

 壁画家として出発するには、次の仕事が重要だ。私は子どもの頃から「ぐずぐず」「ゆっくり」「ぼー」とした性分。だから自分を追い込むために、心の中で決心したことは、すぐに周りの人に叫ぶことにしている。
 会う人ごとに「壁画の仕事がしたい」と言う27才の私に、次の仕事の場が生まれた。埼玉県飯能市の『自由の森学園』中学校・高校の校舎への壁画である。
松井エイコ 松井エイコ 松井エイコ
 2年半かけて、生徒たちに制作過程を見てもらいながら、「十代の人間の姿」をアクリル絵の具で、校舎4壁面に描いた。この自由の森学園でのことが、私の「今」を貫く大切なこととして、心に刻まれている。
 壁画を集中して描いていて、ふと、何かを感じ、筆を休めると、私の後ろには必ず、壁画と私を見つめる生徒がいる。
 最初に話しかけてくれたのは、
 「姉さん」
 その声に振り向くと、そこにいたのは、背中に金の龍の縫い取りのあるガクラン、リーゼントにつっかけサンダルの少年。
 「姉さん、不良は描かねえの?」
 まっすぐな目がそこにあった。

(次回に続く)

※クレヨンハウスは移転したため壁画は現存しません。


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松井エイコ(壁画家)

1957年
1982年
1983年




1989年
1994年
1997年
2002年〜
2006年
2007年〜

東京に生まれる。
武蔵野美術大学油絵科卒業。
壁画家として出発。
公共施設を中心に「人間」をテーマとする壁画、モニュメント、
ステンドグラス、レリーフ、緞帳、を創作。
ガラス、金属、陶板、織物、タイル等、多様な素材を使用。
全国各地で壁画展開催(20回)
中国北京国立中央美術学院にて個展開催(中国主催)
国際モザイク展出品
建築家倶楽部主催「松井エイコ壁画の世界展とフォーラム」開催
フランス、ベトナムなどで講師をつとめ、日本各地で講演活動
ドイツにて講演、
アメリカにて病院の壁画プロジェクトに取り組む。

主な作品
北海道士別市ふれあいの道公園、沖縄くすぬち平和文化館、埼玉県蕨市民会館
東京都三鷹市高齢者センター、新潟県与板町立与板中学校、茨城県水戸市斎場
岡山市西大寺福祉センター、茨城県農業総合センター、静岡県富士市・幼稚園
常磐大学、大阪産業創造館、愛媛県松山市・幼稚園、北海道中富良野保育園
京都・立命館小学校、等の壁画やモニュメント他、130余作。

著書 「都市環境デザインへの提言」(日刊建設工業新聞社刊・共著)、エッセイ多数、
    童心社刊・紙芝居「二度と」「かずとかたちのファンタジー全5巻」

日本建築美術工芸協会会員、建築家倶楽部会員、士別市ふるさと大使


 写真・加藤嘉六(かとうかろく)
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