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壁画家 松井エイコ 壁画の道を歩み続ける 第5回 初めての壁画展
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北海道士別市ふれあいの道公園壁画「未来を拓く四つの力」(ガラスモザイク W30×H3.1m 1997年 夜景)
写真・加藤嘉六
初めての壁画展

「理想に向かって生きる人間に成長していきたい」と、十代の仲間と共につくり運営した「寺小屋学園」は、1985年4月に閉じた。その時、寺小屋学園を支え、私たちを育ててくれた日本中の人たちに向けて、私たちは感謝の思いと共に「これからは一人一人が自分自身の道を見つけ、その道を歩む中で、理想をめざしていきたい」と手紙を書いた。

自由の森学園壁画モノクロ 1986年の年明け、私は「寺小屋学園」を支えてくれた人たちに、私自身の年賀状を送った。それはハガキではなく、淡い色のラシャ紙を切り取り、二つ折りのカードのようにし、そこに「自由の森学園」中学校・高校での1作目の壁画を制作している写真を糊で貼って、つくったものだ。

 28才の私がどんなふうに生きているのかを年賀状にしたかった。めざす理想に向かって、壁画家として歩き始めた喜びをこめ、壁画の写真を一枚一枚、貼っていく。そして茶色のサインペンで、手書きの文章を添えた。「壁画独特の世界を追求しつづける仕事の中で、私にとっての寺小屋学園を結実させたいと思っています」と。

 この年賀状を見て、私にさらに新しい一歩を踏み出す機会をつくってくれた人がいる。茨城県に住む、有田道子さんだ。子どもたちに本の世界のすばらしさや、演劇などの文化を通して「生きる喜び」を手渡したいと、有田さんは1960年代からずっと、たくさんの仲間たちの中心となって草の根の児童文化活動を展開し続けている。その有田さんが、取手市立図書館に働きかけて、図書館主催の場で絵本や文庫の展示と一緒に「自由の森学園の壁画を紹介する展示」を実現してくれた。

 嬉しかった。
 同時に、子どもが成長する上で大切なものを、文化を通して手渡す、という活動の場で、「壁画を」と考えてもらえたことに、大きな責任を感じた。

 展示のタイトルは「松井エイコ壁画展―人間を描くー」と決まる。
 でも、実物の壁画を展示するわけではない。一点、一点の絵を紹介する展示とは違う考え方が必要だった。有田さんたちは本の世界で大切なことを届けている。私にとって、本はページをめくるごとに物語の中に入っていき、起承転結を通して、生きることを実感できる世界だ。ならば壁画展そのものも、一冊の本のように、見る人が順を追って壁画の世界に入り、壁画の制作過程を共に歩み、壁画にこめられたものを、自分のものにしてもらえる方法をとりたいと思った。

 まず展示の最初は、本の表紙のイメージで、タイトルと共に、松井エイコが脚立の上で壁画を描いている大きな写真。続けて、本の扉のように白い紙を使い、「なぜ壁画を描くのか」を詩のように書いたものを並べる。
 そして次は、壁に描く前の「準備の過程」を順に展示する。

 1番目が「デッサン」。紙に鉛筆やコンテで、壁画の中心人物を描いたものだ。中心人物を創りだすことで、壁画全体のテーマを構想していく。2番目が「材料と技法の実験」。塗料メーカーが試作として、壁の下地と同じ素材でつくった30センチ四方の板に、アクリル絵の具で描き、絵の具がどのように下地に定着するのか、また、色はどんな風に発色するのか試したものを、見てもらう。3番目は「空間の追求」として、実際の壁面の10分の1の縮尺の紙や木のパネルに、壁画全体の下絵を描いたもの。この下絵で、画面の構成が決まる。4番目が「内面を描く」と題して、色を使い、かなり描きこんだ人間の顔のクローズアップの絵だ。実物の壁画と同じ大きさの顔を描き、その内面を追求している。5番目は「現場での準備―壁画のための壁の下地づくり―」。小さい写真を多数、一枚のパネルに貼り、職人さんが壁の下地づくりをする工事のプロセスを紹介する。6番目には「企画書」として、壁に描く前に自由の森学園の先生たちに向けて、壁画の内容や制作方法、生徒との関わり方などを冊子にして配布したものも、置く。
 ここで一区切りの後、「人間を描く」と題して、自由の森学園の2階と3階の壁に、私が壁画を 描いていく、その始まりから完成までを、48枚の写真を順に並べる。写真は自由の森学園の高校生で、写真部の岡田啓希くんが撮ってくれたものだ。

 こんなふうに制作過程を見てもらう展示の計画を練り、準備を始めると、「壁画をつくる歩み」は、油絵を描いていた頃とは、はっきりと違うことが見えてきた。

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 自由の森学園の壁画に使った材料は、合成樹脂でできたアクリル絵の具で、市販されていて、誰もが使える画材である。けれども、もとは1930年代の初めにメキシコの壁画運動の中で誕生した絵の具だ。だから水に溶いて描けるが、屋外でも落ちない耐久性があるといわれる。私は「この絵の具をこの壁に使って大丈夫なのだろうか」と、アクリル絵の具メーカーの人に会い、相談していく。
img 壁の下地づくりは、工事の現場監督さんが助けてくれなければできなかった。自由の森学園の新築の壁面は、アクリル絵の具が定着しない塗装仕上げがしてあり、最初、私は自力でその塗装を剥がそうとした。一人で壁面をサンダーで削り、削った塗装の粉だらけになっている私の姿を見かけて、現場監督さんが心配し、声をかけてくれた。そして「アクリル絵の具が生きる、長い時間が経っても剥がれ落ちることのない下地をつくりたい!」と願う私に、塗料メーカーの人、塗装屋さん、左官屋さんを会わせてくれて、皆の智恵で壁画に適した下地づくりを考えてもらい、工事をしてもらうことができた。

 私にとっての壁画をつくる歩みとは、「壁画のつくり方」を知っている人は誰もいなくとも、出会った人から学び、共に考え、発見する喜びだった。
 壁画家として歩み始めた私には、世の中が壁画の学校、寺小屋学園となっていた。

 一つ一つ、壁画づくりをもう一度、自分の中で確かめながら、準備した展示物は65点できあがり、1986年の10月、搬入の日が来た。友人の車で運んだ展示物と共に、私が取手市立図書館に到着した時、迎えてくれたのは、有田さんの笑顔。そして文庫の活動をしている人たち。みんなで一緒に展示をした。子どもたちの未来が幸せなることを願って活動する人たち、一人一人の手で、図書館の壁に展示物が掛けられていく中にいて、私は、私自身と壁画が、皆に育てられていくのを全身で感じていた。
 この人たちのもとで、初めての「壁画展」を出発させてもらえたことを、生涯、忘れることはないだろう。

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(次回に続く)

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松井エイコ(壁画家)

1957年
1982年
1983年




1989年
1994年
1997年
2002年〜
2006年
2007年〜

東京に生まれる。
武蔵野美術大学油絵科卒業。
壁画家として出発。
公共施設を中心に「人間」をテーマとする壁画、モニュメント、
ステンドグラス、レリーフ、緞帳、を創作。
ガラス、金属、陶板、織物、タイル等、多様な素材を使用。
全国各地で壁画展開催(20回)
中国北京国立中央美術学院にて個展開催(中国主催)
国際モザイク展出品
建築家倶楽部主催「松井エイコ壁画の世界展とフォーラム」開催
フランス、ベトナムなどで講師をつとめ、日本各地で講演活動
ドイツにて講演、
アメリカにて病院の壁画プロジェクトに取り組む。

主な作品
北海道士別市ふれあいの道公園、沖縄くすぬち平和文化館、埼玉県蕨市民会館
東京都三鷹市高齢者センター、新潟県与板町立与板中学校、茨城県水戸市斎場
岡山市西大寺福祉センター、茨城県農業総合センター、静岡県富士市・幼稚園
常磐大学、大阪産業創造館、愛媛県松山市・幼稚園、北海道中富良野保育園
京都・立命館小学校、等の壁画やモニュメント他、130余作。

著書 「都市環境デザインへの提言」(日刊建設工業新聞社刊・共著)、エッセイ多数、
    童心社刊・紙芝居「二度と」「かずとかたちのファンタジー全5巻」

日本建築美術工芸協会会員、建築家倶楽部会員、士別市ふるさと大使


 松井エイコ写真・加藤嘉六(かとうかろく)



松井エイコさんが掲載されました
記事画像●松井エイコさんへのインタビュー記事が、2008年12月5日付・日刊建設工業新聞に掲載されました。
右の画像をクリックすると、大きい画像を開きます。