高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
北川宏人
伊藤雅史VS佐々木豊
岡村桂三郎×河嶋淳司
原崇浩VS佐々木豊
泉谷淑夫
間島秀徳
町田久美VS佐々木豊
園家誠二
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
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坂本佳子
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久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治




'Round About

第66回 深沢軍治

群れとしての50、60年代と、個あるいは孤に向かう70年代の狭間が純粋無垢な多感期であった。美術界に押し寄せた時代全体の逃れようもない大きな波は、即応する質ではない深沢軍治に残酷なまでの屈折を強制した。このすさまじい美術状況との距離がもたらした根深いコンプレックスはしこりとなって、現在までも続くという。その呪縛がここへ来てようやく解け始めたらしい。その第一歩の心境を、140余作を没にし16作に絞ったという個展会場できいた。

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「現代美術」への劣等感から木版画をはじめる
●何よりも先に、作品の画肌が美しいのに驚きました。これは意識してそうされているのかわかりませんが、直に目にしないと決して得られない下地から受ける新鮮な魅力がありますね。また彫刻刀の彫り跡のような凹凸もあって、木版画の版木を連想しましたが、版画に携わった経緯はあるのですか?また作画法についても興味があります。
深沢:大学院が版画専攻でした。銅版画で入ったのですが、自由にできる木版画に変更したらこれが面白くなってしまいました。ここのところの作品は下地など、それは確かにかつて版画をやったことによる影響かも知れません。実はこの版画を始めた根本には、現代美術への強いコンプレックスがあるのです。
当時、もの派やアメリカの現代美術などに代表される新しい流れの中にいて、アカデミズムの学生だった私にはそれらに全くなじめず、また当時の先輩達の作品にも強い不信感をもっていたので、絵が描けなくなり、何を描いても無駄だという考えがつきまとったのです。版画はそれを忘れさせてくれました。
浮世絵の技術に憧れていたものですから、薄い和紙に墨一色で、線によるドローイングをたくさんして、気に入ったものを裏返して版木に貼り、それを彫り、主版として色版を起こして摺るという行程の多色木版です。毎日彫って刷って、ひどい時は12畳の部屋の床から壁、天井まで試刷りで埋まりました。自分の通路と蒲団が真ん中にあるだけです。その後、大学院を終えて6、7年、毎日あぐらをかいて彫って刷るのくり返しで、とうとう椎間板ヘル二アになって立てなくなってしまい手術するほど熱中しました。
 
それからもう一度油絵を描きたいと思い始めて油絵に戻ってから、版画は油絵を考えさせるのに好都合でした。その主なものとして、ある人が油絵は「唯一のもの」だと胸を張って言っていましたが、私にとっては「唯一のもの」ではなかったのです。そう思えたことで自由になれ、そして何をやっても無駄ではないと思うことができるようになりました。時には真っ白なキャンバスに脅え、エイッと一筆つけてしまうというような無計画な始まりや、途中でそれが行方不明になってしまったりということを繰り返しながら画面と戦い、最後は何らかの納得を得るのです。しかし、いいと言っても単に自分がそう判断しているにすぎず、確かなものなど何もないのです。実は昨年、久しぶりに版画をやりました。
 
下地にこだわる
●今回、その版画の効用はどのように出ていますか?
深沢:版画は結果が早く出ます。つまり行程を見ながら、途中を振り返ってチェックすることができます。ところが油絵で同じことをしようとしても、そのようにはいきません。そこで、一つのイメージを10枚程度、同時進行でやります。途中でいろいろな試行錯誤があってもある程度は対応できます。この過程でだめなものは振り捨てる。ですから仕上がりは時には一点も残らず、また複数になってしまうこともありました。そんな中で下地に対する関心がより増してきました。いろいろ工夫して、もし気に入った平面、つまり下地ができたら線一本、点ひとつでも絵になるかもしれないと思っています。
今回もうまく行ったとは言えませんが、さまざまな下地を作りました。たとえば麻布にカゼイン溶きの白を塗っているものがありますが、この乾いて明るくザラザラした質感の白の配合が実にややこしいのです。
 
また以前から版画などに使っていた福島県の楮の生漉き和紙を板や麻や綿などに貼っていますが、和紙は大きさに限界があるので同じサイズに切ってキャンバスに貼って箔のように使っています。また厚手のビニールをカットした版を使ってステンシル(型刷り)で白などを刷ると版木のような凹凸のある下地になります。ほかにも板を削ったもの、綿や麻にどうさ引きをしたものなどを試みました。それらに油絵具をのせて初めて下地として成功かどうかがわかります。もちろんそれらの下地に何を描くか、どう描くかも問題として不充分なところがありますが、いずれにしても失敗ばかりです。
このように試作の後に本番の制作をするつもりでいても、かつての版画の試刷りのように気分として試しの時には乗れるのですが、いざ仕上げになると硬くなり、これが面白くない。でも逆にこのあたりをひとつの自分のやり方として絞ってもいいかなと、つまりこれは実験であるという姿勢でこれからは行こうかと考えています。
 
   
   
長い呪縛からの解放 
●先ほど話の出た「現代美術」へのコンプレックスとは?
深沢:私が若い頃の美術状況は激しい変化の中にあったと思います。当時いわゆる現代美術は、賑々しく、そして華やかに若者を誘いました。そんな中、昨日まで一緒だった仲間が次々とそれに理解を示し、変わっていくのを横目で見ながら、私は何もできずにいました。自分の中の頑固さもあって、その新しさに納得もいかず、また自分をそのままで良いとも思えなかったので、辛いものがありました。それは屈折して現代美術へのコンプレックスとしていつまでも自分の中に残りました。この話をすると意固地に思われるので嫌なのですが、今でもそれはあります。時代の流れの中で群れに入れず、孤立する自分の始まりでした。でもその縛りが実は最近ちょっと取れ始めています。
 
京都の救い
●そのきっかけは? 
深沢:それは思いがけず7年前、京都市立芸術大学へ赴任することになって、私はこの大学で久しぶりにそのコンプレックスを生々しく復活させました。ここには私にとっての若い頃からの現代美術がたくさんありました。その中で揉まれるうちに、冷静に接することもでき、全部とは言えませんが受け入れることができました。その結果、私とどこがちがうのか、それはなぜなのか、そして自分の向かうべき方向も見えてきました。私は私でいい。もともと油絵が好きで得意で始めたことですから、このまま油絵をグチャグチャドロドロと描けばいいのだと、今度こそ自分を肯定できそうです。3月に退任しましたが、そういう思いにさせてくれた大学と学生達に本当に感謝しています。
 
この仕事は消耗品ではない
●ニューヨークから帰国後の17年間にも及ぶ福島県内での孤独な制作の経験など、長年、自分を貫いてきて今感じ、考えることはどんなことですか?
深沢:今回の個展は、原点に戻るつもりで、約2か月間、自分に何ができるか、始まりのつもりで取り組みました。うまく行ってはいないのですが、ある方向をめざしたのは私にとって珍しいことです。昔からよく泥沼の中をかき回していると言うのですが、約40年間、自分が体で感じたものを同時に表し、絵具と筆を持ちながら時代の中、環境の中、時間の中でかき回し続けてきたものが積み重なって、少し上に上がれそうな感じがしています。
ここを基点に、今まで感じていた日本という環境と時代の中で離れたりくっついたりしながらそれでも続けてきたものが、無理をして自分を作ってみせるとか演技をするとかではなく、また昔からたびたび受けた、「あなたはあなたをもう少し規定して見せるべきだ」というようなアドバイスをも受け止めながら、自分に決めたことがあるのです。それは自由であること。人の意見をいくらでも聞き、いくらでも染まるが、それは自分の判断に任せ、やれることは自分の下らない発想で生まれようが、何をしようが、時には誰かにそっくりでも構わないと思うのです。むしろそのありようが実は新しくはないですかと。それほど自由に今の社会の中で自然な自分でいられるタイプはすでにほとんど潰れてしまって、残った者はわずかだと思うのです。若いころ、偶然でも演出でも作られた作家像というのがあって、あの人はこういうのを描く人、この色があの人のカラー、ひどいのになるとあの人の額はあの人らしいとか、そんな話をして自分たちを売り物として早く作家像を作って早く消えて行った例が数え切れません。
 
しかしこの仕事は消耗品じゃない。わずかな間にパッと花を咲かせて散る人もいて結構ですが、もう一方に何十年もかけて追い続け、作り続け、それが次の時代や後の世代の人に魅力を与えることが多分にあったはずです。たとえば1000年前、500年前のものを見てジワーッと染みこんでくるのはそういうもの作りがいて、作品を通して普遍な付き合いをしてきたことによると思うのです。ものには新しいものと変らないものとがあって、僕はできれば変らないものの方に参加したい。作品の普遍性ということに興味があります。
この間、新しいと言われるものが、ごく短い時間の間に次から次へと現れてきました。それをここのところ、ヨーロッパ各地の、私の年代の人間が行きそうもないようなイベントや展覧会まで数多く見て回る機会を得て、そこで感じたことは、この傾向は何も日本だけではないということです。この新しさのサイクルの速さと軽さは、つまり行き詰まりは、同じなのです。それを見て、新しさの変化はあってもいいけれど、これは僕のものではない、私の求めるものは新しさなんかではない、そんなものに興味はないということを感じました。
 
   
   
●具体例をあげるとどんなことがありますか?
深沢:新しさというのはどうも極端で、材料に軽いものが使われ、重いもの硬いものはいじらないようにする。技術面でも加工し易くて安価な材料が使われがちです。つまりそこにどれほど高尚な思考があってもベニヤ板でできていたり、綿だったり、コピーだったり、写真だったりするものは、やはり第一に残らないし、解説つきでなければただのゴミです。それは僕のものも、こういうものが道に落ちていたとしたら、みんな踏んで歩くと思うのですが、しかしゴミそのものに理論をくっつけて成り立つ世界はもう全世界的に無理だなと感じました。ドイツのドクメンタを見ても、フランスの現代美術館へ行っても、ベルリンの現代美術館を見ても、感じることはいつも、なぜこんなことになってしまったのだろう。物質に託するという基本の行為がどこで薄れたのだろう。これはやはり作ることが苦手な人間たちがやったことなのだなというものでした。それからいくと、手間ひまかけて作っていけば、受けるか受けないかは別にして、どこかに存在価値はあるだろうと思います。それをまたこの展覧会でやったような気がします。
 
もちろん以前から同じようなことは考え続けていますが、なかなか肯定できなかったのです。ここでようやくある程度、開き直ることができました。これからは時間がどこまで許すかわかりませんが、これからやりたいことは、今までのベースが割と広いことと、あちこち泥沼をかき回した結果、興味を持ったことがたくさんあります。もの作りとして朝から晩までやることはいっぱいで、しかも夢中になれて、外に出るのが嫌なような暮らしをしていますので、近い将来、何かできると考えています。

●このままゆっくりじっくり、流行に左右されず、もの作りとして妥協のない仕事を刻み続けて下さい。ドロ沼かき回し作画術バンザイ! ありがとうございました。
 
(2009.6 始弘画廊個展会場にて/取材:常盤 茂)  
  深沢軍治(ふかさわ・ぐんじ)
1943 甲府市に生まれる
1971 東京芸術大学大学院 美術研究科(版画専攻)修了
1972〜1980 愛知県立芸術大学 美術学部 非常勤講師
1985〜1993 学校法人 郡山女子大学 短期大学部 助教授
1986〜1987 文化庁派遣在外研修員として米国
1986〜1987 ニューヨーク市に一年間滞在研修
1992〜2002 福島県立会津大学 短期大学部 非常勤講師
2002〜2009 京都市立芸術大学 教授
2009〜 京都造形芸術大学 非常勤講師

<個展>
1972〜自由ヶ丘画廊(東京)、みゆき画廊(銀座)15回、77ギャラリー(銀座)4回、日動画廊(銀座)2回、杏美画廊(新宿)6回、椿画廊(京橋)、郡山文化センター(郡山)、長谷川アート(名古屋)3回、ギャラリー観(郡山)3回、ギャラリーいせよし(銀座)、蔵丘洞画廊(京都)、会津武家屋敷足利家(会津若松)、画廊宮坂(銀座)3回、ギャラリーヴィヴァン(銀座)3回、museum1007(大磯)、すまいギャラリー(いわき)、三彩洞(甲府)、始弘画廊(青山)3回、ギャラリーオリーブ(代官山)、ほくと画廊(郡山)2回、ギャラクシー(甲府)、ラボット(郡山)、ジ・アースミュージアム(鎌倉)2回、ギャラリーa(京都)、しらみず画廊(銀座)4回、イノセント(甲府)2回など。

<主なグループ展>
1970 ごいす展〜89まで(フォルム画廊など)
1971 日本版画協会展(東京都美術館)新会友、奨励賞、76年退会
1985 具象ビエンナーレ(神奈川県立近代美術館)、三人展(スペース・ニキ)
1985 安井賞展、86年にも(西武美術館、他)、IMPACT・3(ギャラリーユマニテ)
1986 第2回山梨県新人選抜展(山梨県立美術館)、美術館賞受賞
1986 素描100年の歩み展(奈良県立美術館)
1988 描かれた道展(宮城県美術館)
1988 日本の現代作家による都市の美術館(横浜みなとみらい)
1990 第2回倫雅美術奨励賞
1991 韓、日、現代具象絵画展(韓國ソウル)
1993 現代の視覚展(有楽町、西武)
1995 磊(ライ)の会〜97(古心堂)、モノクローム展(喜多方美術館)
1996 素材の予感(マスダスタジオ)
1996 他多数。