高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
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増田常徳VS佐々木豊
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増田常徳
'Round About

第32回 増田常徳 VS 佐々木 豊

人間とは何か…、自分自身とは何か…。素直に受け入れたい心と、その裏側にじっと巣くう懐疑…、そして葛藤…。描くことと自分の今が直結してないと前に進めない、増田常徳とはそんな作家なのかも知れない。一昨年のドイツ研修を終え、さらに根源的なテーマに取り組み出した増田常徳。そんな彼の創作の原点に佐々木豊が迫る。

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  独学で絵描きになる法  
   
 
賄い二食でつなぐ
佐々木:五島列島の出身の常徳さんは、一人で上京し、美術学校にも行かず団体展にも属さず、絵描きになった。日本の美術風土を考えると奇跡だよね。
増 田:美大には行きたかったんだけれども、家業の建設会社を手伝わなければならなかったんです。で絵描きの夢を断念しました。その後会社が倒産して、借金を返済するために、兄弟といっしょに、六甲山へ新幹線のトンネル工事に行くことになったんです。万博の頃です。
佐々木:1970年ころだ。何歳くらいまで?
増 田:1970年に上京ですから、21くらいまで。
佐々木:その頃は絵を描ける状態ではないよね?
増 田:でも、六甲は百万ドルの夜景があり、別荘地には松並があってすごく景色がいい。仕事は三交替制で時間があれば油絵を描いていました。休みの日には神戸の元町の路上に絵を並べて売ってました。その頃、犬を連れて散歩していた印刷会社の社長のT氏が、ぼくの絵を気に入ってくれて、小磯良平を紹介してくれた。
佐々木:小磯良平はあなたの絵を見て何と?
増 田:「芸大に行きなさい」って。
佐々木:それで?
増 田:絵描きへの夢が大きく膨らんだんです。そして、片道の電車賃を何とか工面して東京に出ました。
佐々木:何で食べていくことにしたの?
 
増 田:東京駅のレストランで皿洗いをやって。金が無くても、賄いを二食食べられるというのでまずそこを選んだんです。
佐々木:部屋は何畳?
増 田:東京に来たときは、江戸川区の三畳間。
佐々木:絵なんて描けるの?
増 田:描いてましたよ、ずっと。H型イーゼルを置いたら、寝るところが無くなりましたけど。
佐々木:芸大は実際に受けたの?
増 田:一回。落っこちましたけど。
佐々木:美大の目標はそれで自然消滅したわけ?
増 田:そうですね。でも、今からでも行こうかなと思う時がありますよ。
 
 
 
公募展のハシゴ
佐々木:結婚したのは。
増 田:26。27で子供が生まれ、女房は教員をし、オムツの取替えから育児は全部ぼくがやりました。女房の月給は家賃でなくなり、ボーナスは、画材のツケに消えたんです。
佐々木:その頃、どんな絵を描いていたの?
増 田:ほとんど人物画で浮浪者がモデルでしたね。
佐々木:親近感があった?
増 田: そうですね。うちが土建業をやっていたし、六甲山で働いていたし。高度成長で取り残されていく人たちでした。
 
   
佐々木:公募展に出そうと考えたのは?
増 田:恥ずかしい話、あの当時は現代の絵描きがどういう絵を描いているのかまるで知らなかったんです。はじめは小磯良平さえ知らなかった。それで、上野の公募展にできるだけ出品していきました。
佐々木:公募展のハシゴだ。
増 田:同時期に二団体で受賞したことがありました。同僚に片方の授賞式に出てもらって帰りに賞金で二人で飲んだ(笑)。入賞すると、ぼくのような駆け出しに賞を出す団体には二度出してもしかたがないと思いました。
  佐々木:面白いね。普通は逆じゃない? 自分の絵を認めてくれたらそこに居座ろうと考える。あなたは、「こんな程度なのか」と、軽蔑してしまう。
増 田:そういうことじゃなくて、いろんな絵を見たかったんです。一回出すと、入場パスがもらえました。自分の絵をどう描いていこうかと悩んでいる時なので、どういう表現で、どういう作家がいるかじっくり見られたんです。
佐々木:一番最初に惹かれたのはだれ?
増 田:鴨居玲さんでした。
佐々木:でも結局公募展はやめてしまう。
増 田:団体が合わないことが分かったんですよ。ぼくは本音で生きていきたいので、団体展は、本音と建前を使い分けざるえないところがありますから。