高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治




'Round About

第67回 木津文哉

道路標識「飛び出し坊や」の絵で広く知られることになった木津文哉は、ブリキのおもちゃの骨董品的な価値が社会的に認知されていく時代の美の発見者だ。画壇が、具象派と現代派に分かれた1960年代の時代風俗を身近に引き寄せながら、対立する両者を普遍化するテーマを提示したのである。木津のテーマこそが「Jポップ絵画」の創出を意味する。西洋絵画の写実の王道を踏まえながら、絵画から造形へという時代を背景として、物理的な三次元絵画の可能性を見据えて、トリックアートのごとき迫真性を追求している。

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出発点は木炭と鉛筆と紙のシンプルな制作
●木津さんの絵は、下地ができれば約八割方が完成と言いますね。凹凸や傷のある無彩色のフォルムをまず時間をかけて確定していくこの方法論が出来上がるのはいつですか。
木津:うーん、どこから話せばいいかな。

●兵庫(教育大学の教官)時代にその方法論が完成しているのでしょうが、最初にスルガ台画廊で展覧会を開いた頃はまだですね。
木津:スルガ台画廊では何回も個展を開いていますが、最初の個展は大学院二年生の時です。田口安男先生の研究室にいたころです。初個展を終えて、すぐに兵庫教育大学に赴任しました。

●その頃の問題意識は何でした?
木津:当時、混合技法をやる人は結構多かった。仲間や先輩たちが、そういった技法を使って盛んに個展やグループ展を開催しているのを横目で見ながら、そうした渦の中で自分が見えなくなっていく焦りのような気持を感じていました。そこで一旦、そうした環境から離れたいと思った。情報過多の東京から離れてみると、こんどは全く最新情報や刺激的な仕事に触れられなくなる。そこで毎年定期的に展覧会を開催することにしました。その場所に選んだのがスルガ台画廊や玉屋画廊でした。

●玉屋画廊では、日本画のニューウェーブでしたっけ、盛んに言われていた。
木津:マコト・フジムラ、斎藤典彦、岡村桂三郎といった面々が盛んに発表していました。岡村君の、木を削ったり支持体に穴を開ける、といった仕事なんかが強烈に印象に残っています。
 
   
●そんな時代の機運が、凹凸のある下地の仕事のきっかけですか?
木津:そこに至る以前、1991、92年くらいまでは白黒の仕事です。限られた時間の中で、作品を多作する方法を模索している時期の一つの結果。結婚をして、子供ができたこともあって、制作に割ける時間がなかった。そこで制作場所を選ばず、短時間で形が見える、紙に木炭と鉛筆による、シンプルな制作法を選びました。

●その傾向の作品で、独立展とか安井賞展で、頭角を現していく。
木津:ええ、少しは認められたかな、という手ごたえはありました。当時もう一つ考えたのは、公募展・コンクール等を見渡すと、紙に木炭と鉛筆で描いた白黒作品が皆無だったからです。大矢英雄さんなどテンペラと油絵の混合技法が輝いていて、そういう傾向の人はたくさんおられた。埋没しないためには白黒の方が却っていいという戦略を立てたわけです。
 
   
●なるほど、優れた戦略と戦術だ。かなり自由で柔軟な発想。
木津:ぼくらは、浪人から芸大にかけてアカデミックな教育を受けましたから、当時の絵画科の常識が刷り込まれている。キャンバスに油絵の具で描くのが王道であるという常識の中にどっぷりと漬かってきた。オーソドックスでクラシックな研究者の最右翼として恩師・田口安男先生の研究室でその事を学んだ。筆使いとか、線の意味だとかを教えられ、古典技法の大切さを教育されたわけです。ところが、ぼくの三学年上には川俣正さんがいて、二つ下には村上隆がいた。ちょうど僕の学年がそんなパラダイムの境目にいたような気がします。

●その振幅の大きさは貴重ですね。
木津:あの頃は、テンペラとかの古典技法の招来とともに、高橋由一の再評価というか、油画が日本に伝来した当時の研究も進みました。由一の真迫表現がまず日本人を驚かせた。「芸術」とか「美術」という概念を振りかざす前に、本物そっくりの手ごたえに誰もが驚いた。日本人の油画的体質の貧困、日本画と油画は何が違うのか、なんていう議論も結構ありました。
 
   
   
トリックアートと写実の伝統
木津:ここ二、三年、NHKの迷宮美術館とか日曜美術館に出演しました。企画者側の意図としてぼくの位置づけは、トリックアートのカテゴリーです。どういう風に見られてもかまわないわけですが、自分としてはトリックアートという意識は全くありません。
でも冷静に考えてみると、日本で最初の本格的な油彩画、と認知されている作品のモチーフが、ヨーロッパでの「だまし絵」の伝統の中では極めてオーソドックスな「壁から吊るされた食材」という系譜にのっとっているというのは面白い気がします。壁に吊るされた鮭は、われわれ絵描きにとっては、日本における油絵の原点ですが……。


●日本の油画の輸入初期時代が、現代ではトリックアートに見える。この美術史の読み替えがいま風です。
木津:私も学生時代には、コンテンポラリーアートとかサブカルチャーに魅かれました。浪人時代から西洋絵画の勉強をしているわけですが、高橋由一とか司馬江漢とかは頭にない。レンブラント、シャルダン、ブラック、そしてアンドリュー・ワイエス、ルドルフ・ハウズナーなどです。画肌のざらざらした抵抗感に魅かれる。西洋画にはずしんと腹にこたえるような重みがある、存在感への信仰みたいなものが、ぼくの画肌偏愛のベースにはあります。