高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

森村泰昌氏
'Round About

第47回 森村泰昌 20世紀の男たち

20世紀を代表する革命家や科学者に扮した森村版セルフ・ポートレートの世界。そして映像の部屋。そこには、写真作品と映像作品で構成される「荒ぶる神々の部屋」と「レーニンの部屋」とがあり、モノクロの等身大の扮装写真などが並ぶ。写真の額装作品は、ヒットラー、アインシュタイン、トロツキー、ゲバラ、毛沢東などで、1951年生まれの森村の青年時代を投影するかのようだった。英雄たちの尊顔の瞳が、少女マンガのように輝き、みな「善人」にみえた。

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■映像と声
●森村さんの映像作品の中に本人の肉声が現れだしたのはいつごろからですか。
森村:私が最初に映像作品を作ったのは、1991年でした。そのころは遠慮があって自分の後頭部あたりだけを登場させていました。ですから顔はほとんど映っていません。もちろん声も出ていません。98年ころになると、アンディ・ウォーホルなどをテーマに映像作品を作りましたが、このときもまだサイレントでした。2000年に今度は、フリーダ・カーロをテーマにした映像を作り、言葉ではなくて音が加わりました。そして昨年の2007年、三島由紀夫をテーマとした映像作品によって、はじめて言葉が重要なメッセージになってきたといえます。というのも、1970年11月25日の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地での三島由紀夫事件を扱っているものですから、演説という声の部分が必要でした。
 
 
●そうすると、今回の作品もチャップリンの『独裁者』の独白やレーニンの演説がテーマですから、三島由紀夫と同傾向で、言霊の力が肖像的な要素とともに最重要ですね。長い台詞ですが、アフレコはしていませんか。
森村:いえ、していません。多少のカンニングはあっても、ひとり芝居の流れが滞ったらぶち壊しですから、なんども取り直して編集をしました。
 
■決定的瞬間
●今回の2つの部屋は、ある面で対照的でしたね。ヒトラーは一人だけの長い独白で、英語と日本語の演説からなり、ほとんどが近影。ところどころにカラーの映像が挟まって、現代の都市風景が窓外に現れて孤独。レーニンは大群集とともにいて、壇上でアジテーションをしている。演説の内容はよく分からない。夜霧と人為的なスローモーションとが、定点観測のように描かれているが、途切れ途切れで、言葉と映像とがズラしてあった。また労務者のシュプレヒコールがふぞろいで、奇妙な存在感があった。
森村:私はいま20世紀をテーマとしています。その前は、19世紀までが私の基本的な持ち場だった。21世紀の現在でもいろんな絵画はあります。でも、レオナルド・ダ・ヴィンチが『モナリザ』を描いたような時代の証言力というか、インパクトの強さは、20世紀に入るとずいぶん分散してしまい、小さくなってしまった気がします。絵画に代わって報道写真や映画・映像などが20世紀を語るときに、とても重要になってきた。
私は美術をテーマにしているわけですが、自分の中では19世紀まではそれが可能でも、20世紀に入ると美術や絵画だけでは収まりきらない多様性を感じます。そうなると、いろんなメディアを駆使するしかない。ジャーナリズムの写真にも喚起力の強い決定的な瞬間がある。それを私なりに検証したい。
 
■直感が推進力
●森村さんの映像は、シュールレアリストたちが作った形而上学的な映像とはちがう側面がありそうですね。本格的というか、映画そのものを俎上にのせてきた。以前は「女優」という切り口でしたが、今回はチャップリンへのオマージュのようにも見える。そして政治にまで切り込んできた。
 
 
森村:私は、「直感」でやっているだけですが、その直感が働かないと、推進力にならないようです。直感が表現の基本といってもいい。ただ、作品作りをしていくと、必ずいろんな問題が出てきて、はじめにイメージしていた着地点とはちがったものになっていく。それが面白い。ひとつひとつの過程を決めていきながら、かたちを結実していく作業の中で、新たな発見や意外性がうまれるからスリリングだともいえる。
レーニンの場合は、まず、ひとつの写真があった。その写真には多くの群集が写っていた。私のこれまでの手法なら、その群集のひとりひとりに私が扮装することも考えられたが、今回はちがうことを考えた。
 
■昭和の顔
森村:群集は、20世紀のイメージです。それは作品のバックグラウンドとして、重要なポイントなので、その顔をどうやって揃えるかが、大問題でした。私は大阪に住んでいるので、釜ヶ崎が連想された。レーニンが築こうとした理想社会、当時の労働者階級を現代日本のそこに重ね合わせてみた。私の映像に出てくれたおっちゃんたちは、かつては労働者であっても、現在は仕事がなくて野宿をしている。レーニンそのものは、この現実を知らないが、レーニンに扮している私は、ソ連の崩壊までも知っている。その上に立って、ドヤ街で演説をしなければならない。日本の戦後経済を支えてきた人々百数十人を前にしての演説は、最初考えていたものではだめで、すっかり内容を変えることになった。
●上野のホームレスの人たちが、キリスト教関係者の慈善事業の差し入れで、まず一緒の賛美歌かなんかを合唱する場面にでくわすと、あまり気勢が上がっていない場面に出くわして、後に曳く。森村レーニンの演説に合わせてシュプレヒコールを上げている人々も、なんだか肩透かしで、それがかえってリアルだった。
森村:まさにそこですね。高齢者だから働きたくても職場がない。一時的に私が仕事として雇用する。ボランティアの学生を集めようとすれば、それも可能だった。俳優の卵を雇った方が、見栄えがよくて、それらしい元気のいい演技をしたかも知れない。私はそれでも20世紀の現実が欲しかった。だらだらやっているわけではないけれど、そんなに気勢は上がらない。それでもおっちゃんたちは何かの役に立っていることが分かってくれていた。強力な撮影ライトが当たって、自分たちに脚光が当たっているのを感じていたと思う。レーニンの立つ演壇を撮影するためには、手前の足場のしっかりした高い位置にカメラをセットしなければならない。そのセット作りを、おっちゃんたちは瞬く間に作りあげてくれた。工事現場で慣れたその作業手順は、感動的だったといってもいい。ここには昭和というが時代がしっかりと刻み込まれた顔があった。
 
■芸術の特異性
●クリストの布で覆うパフォーマンスなどは、大勢のボランティアがいてようやく成り立つ。森村さんには、そんな甘えがないらしい。自立していて、資本主義を深く見つめているという意味では、レーニンよりも「レーニン」的だったかもしれない。
森村:このレーニンが亡くなってから百年になります。その時代の違いを描くのが、私の関心事でした。