高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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絹谷幸二
'Round About

第49回 絹谷幸二 VS 佐々木豊

東京芸術大学卒業後、1971年イタリアに留学。フレスコ画の基礎を学び帰国。その後、1974年当時史上最年少で「安井賞」を受賞、一躍人気作家に躍り出た絹谷幸二。そして、独自の画風で、現在まで日本洋画界のスーパースターであり続けている。その絹谷を天才と呼んではばからない洋画界の奇才佐々木豊が、その天才たる所以、人気作家の奥義をあぶり出す。

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  量とスピードこそ“天才”たるゆえん  
   
依頼をいかにこなすか
佐々木:今日は、タイトルを決めてきたの。「絹谷幸二、天才の秘密」。
絹 谷:何を言うの。
佐々木:天才の属性はまず「多作」。多作の天才はよく「他人が乗り移って、描かされているような感じがする」と言うんだけれど。
絹 谷:ぼくは他力本願なんだよ。今、大山忠作先生の句会に参加させていただいて俳句を勉強しているけれど、お題がいただける方がいい。自由だと広すぎて定まらなくて。
佐々木:他人との合作という感じ?
絹 谷:合作ではなくて、例えば、三越の展覧会で「イタリアを描いてくれ」と言われれば、自分の終生のテーマにあるんだけれど、お題をちょうだいして、それを紡ぎ出していく。富士のテーマも、「富士三十六景」という未知の分野のご依頼をいただいて描くようになった。江戸時代の絵師も、武将や商人から「こんなのを描いてほしい」と言われて、それをいかにこなせるかというのが力量のうちだったでしょ。
 
 
一日36点描いたピカソ?!
佐々木:天才のもうひとつの属性は「速い」ということだね。
絹 谷:イタリア人はずぼらだって言うけれど、皆ものすごく仕事をするんだよ。
佐々木:それで速いの?
絹 谷:優秀な連中は全部速い。例えばイーゼルを一つ立ててなんていうんじゃない。30台くらい並べて、バーッと描いていく。ぼくがやっているフレスコ画は、壁が渇くまでに仕上げなきゃいけないから、ぼやぼやしていられない。合理的な準備とスピードが必要になる。
佐々木:絹谷さんの絵は独自の画材だから、朝描き始めた作品が昼には乾いて、仕事がババーッといくでしょう。
 
絹 谷:ぼくが田口安男先輩から学んだ黄金テンペラは絵の具をはじめ全部自家製だが、つくるのに時間がかかるけど瞬時に乾くわけ。それですぐ次の筆が重ねられる。
佐々木:絵が乾くのに神経を使わなくていいと、どんどん思いつくまま、絵のほうで「ああせい、こうせい」と言ってくれるわけでしょ? いちいちデッサンとか構図とかに悩まず。
絹 谷:デッサンとかは、学校の会議や電車の中で。
佐々木:何もなしで描き始めるときもあるでしょ?
絹 谷:ありますよ。お箸の紙袋のメモが200号になったりする。ピカソなんかは1日に36点描いているんだよ。
 
 
 
佐々木:36点描いた時があるの?
絹 谷:違う。全作品点数を彼の寿命で割ると、一日36点なんだよ。
佐々木:そうなの?
絹 谷:日本人もかつて運慶とか快慶といった人はものすごく仕事をしたと思う。彫刻というのはほんの余技であって、本業は建造物をつくったと思うんだよ。ミケランジェロもシスティーナ礼拝堂の天井画を描き、ドゥオーモの天井をつくったり、レオナルド・ダ・ヴィンチにしたって絵だけでなく医学から航空工学まで一人十役くらいこなしている。彼らは、現代人の三十人力くらいのことをみなやっていたんだ。今の日本の沈滞の原因は、要するに仕事の量がまず足りないということ。日本は戦艦大和を一つつくれば事足りると考えるでしょ。グラマン戦闘機が量で襲いかかったらひとたまりもない、という発想がないのね。
 
 
人生は芸術だ
佐々木:絹谷幸二のもう一つの特徴はカンターレだと思う。題材を与えられれば詩人の歌いあげる力で何でも描ける。イラストレーターが内在していると思うんだ。
絹 谷:壁画はただ描いてあるのではなくて、内容を人に知らしめすという役目があるわけね。
佐々木:絵でわからせる。
絹 谷:言葉がなくても「悪いことをしたら地獄に行きますよ」と、一目瞭然に伝えられる。ところが日本では、絵はお金持ちが楽しんでいればいいとしか思われてない。不動明王を描いているときに9.11の事件があった。それをぼくはその時の絵に描き留めるわけなんだけど、日本ではそういうことをする芸術家は非常に少ない。
佐々木:ぼくも翌日から9.11を描き始めて両洋の眼展に出した。
絹 谷:そう、佐々木さんとぼくはよく似ているんだよ。
 
 
  佐々木:ぼくがリオのカーニバルでハッピを着て踊った紀行文を新美術新聞に書いたらすぐ電話をくれて、「モンゴルに行こう」って。そのときに感じたのは、絹谷さんもラテン気質の絵描きだなって。精一杯歌え、踊れ、生きようという生命賛歌が横溢している。
絹 谷:奈良に生まれたというのが影響しているんだよ。東大寺の上司海雲という和尚は、自分が癌だとわかった後に医者に行かないでぼくの実家のお茶屋に来た。それでドンチャン騒ぎをして人生を楽しんでた。生命賛歌はリオだけじゃなくて日本人にもあるんですよ。ところが今は、皆が薬師如来を拝んで、自分は助かろうと命を少しでも伸ばそうとするわけ。でも、奈良仏教は「死んだらおしまい」という思想。だから興福寺にも東大寺にも墓地がない。 絹谷 絵描きなら皆「芸術は人生である」と考えるでしょ。ところが、「人生は芸術である」というのがお留守になるんだよ。絵を描いている時間はぼくの人生の中で20パーセントくらいでいいと思っているわけ。
佐々木:えっ、20パーセントでいいの?