高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
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奥村美佳
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マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治




'Round About

第68回 杉浦康益

杉浦康益の作品は、「やきもの」だと謳われた美術館での展覧会よりは、「大地の芸術祭」や建築など、ごく一般の人の目に触れる場で展示されることが多くなった。しかも、自然の場を巻き込んだスケールの大きさや、積み重ねるピースの厖大さ、そしてときに不思議な巨大さからくる面白さは、素材がやきものであることを忘れさせる。その必然性すら失いそうだが、杉浦にとっては自らが「やきもの屋さん」でなければ表現できないものだと言う。

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◆石
●杉浦さんの肩書きは、ひとことでいえば「陶芸家」ですが、その表現方法は他の陶芸家の方たちとかなり違いますね。
杉浦:ええ、私はやきものということと同時に、空間というものも考えてつくります。ですので、現代美術のような環境彫刻のような捉え方もされます。いずれでもいいのですが。

●では、まず「石」のシリーズからお訊ねしていきたいと思います。
杉浦:「石」は大学4年、22歳から始めましたから、もう40年近くですね。

●つくり始めたきっかけは。
杉浦:やきものは、土を石化したものなのです。それで「やきものは石だ」という発想から、始めました。初めは丸い小石を拾ってきて、形や色をそのまま再現していました。その行為そのものが快感でした。
 路傍から拾い上げた一つの石の姿と、自分が重なったというのでしょうか。石をつくることが、自分を見つめることになっていました。


●石には、素焼きをしてから釉を掛けているのですか。
杉浦:いえ、生掛け(陶土の素地を素焼きせずに釉を掛けること。生掛けのあと本焼きする)です。掛ける量は通常のやきものに比べてほんのわずかです。写す石の肌合いに応じて、陶土や釉の調合を変えます。
 
  ●初期の「石」シリーズは、「本物の石と思ってよく見たらやきものだった」という驚きがありましたが、最近の同シリーズは、灰が被っていたり、どこか破裂していたりと、あえて「やきものらしい」面白さを出しているように思います。
杉浦:確かに初めの頃の「石」は、やきものらしさを消去するつくり方をしていました。自分の感性とか個性というものは、否定したいと思っていたんです。やきものの世界を愛しつつも、やきものが歴史ゆえに背負う古臭さというものには、若いうちは抵抗がありましたしね。
 
   
   
◆彩文器
●十数年前から、「彩文器」シリーズが始まります。 「石」も、このあと紹介する「ブロック」や「陶の博物誌」も、どちらかといえば「役に立たないやきもの」ですが、このシリーズだけは、器の機能が備わっています。
杉浦:始めた頃は、用途がない分どこまでも自由につくっていける石やブロックと、制約があるなかで自由に遊べる器を並行させることで、バランスを取りたいと思った時期であり、やきものに色を使いたいと思い始めた時期でもありました。さまざまな方法を試していくなかから、「彩文器」が生まれてきました。

●素焼き素地に白化粧土を塗り(表面を白く見せるための化粧方法)、その上から顔料ベースの下絵の具を、文様をつけながらしっかり筆塗りする。一度つけたその文様を、かすかな跡だけを残して金ブラシで削り落とし、透明釉を掛けて本焼きする、という手順ですね。
杉浦:私が好きなアフリカの織物やフレスコ画に見られるような素材感のようなものを、出せないかと思考錯誤して至った技法です。

●6色しか使っていないのに、色を二重に積み重ねて複雑な色合いに見せていました。木目のテーブルの上に置くと、映えます。
杉浦:しかし、色彩文器はほとんどつくらなくなりました。器は嫌いではないしお客さんも喜んでくれたんですが、僕には、結局適していなかったようです。

●適さなかった理由はなんでしょう。
杉浦:器は、つくっていると先が見通せて、面白くなくなってしまったんです。「石」は、30年同じことをやっても飽きない。同じものづくりでも、僕は、使う人を楽しませる方でなく、作品を通して自分を見つめる方に行ってしまったんですね。
 
 
◆ブロック
●10年ほど前、「石」がやきものらしくなりましたね。
杉浦:薪を燃料とした登り窯で焼いたとき、意識の上でちょっとした変化が起こりました。「これからは、楽しんでもいいんじゃないか」と。それから、やきものを意識していることを、あえて見せていこうと思うようになりました。ただ周囲では「いままでとイメージが違うではないか」と賛否両論でした。そんななかから、「ブロック」の仕事が本格的になってきました。10年ちょっと前のことです。
 
●近年の展示ですと、〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉における、「風のスクリーン」(2006年)、「風の砦」(2009年)が、それぞれブロックを使った作品でした。棒とタタラを組み合わせ、一つひとつ手づくりされたブロックを一単位とし、それを積み上げることで作品ができていくこのシリーズが生まれた経緯を教えてください。
杉浦:自宅の周りが防風林になっているんですが、家を囲んで枝が伸び、そこに光と影、風が交差する状態のなかで空を見上げると、包み込まれるような感覚を感じたんですね。そんな、囲まれた空間をやきものにしてみたいと思いました。  でも、やきもので枝をそのまま表現するには、形や大きさに制限がある。どうしようと考えていたところ、いわゆる軽量ブロックからヒントが得られました。隙間があって風を通す形や、持ち運びに最適なサイズ。このような形を積み重ねていけばいいんだということで、軽量ブロックと少し似た大きさで、高さ25cm、幅40cm、奥行20cmでつくりました。
 
   
  ●ブロックの棒は、ねじれていますね。
杉浦:もともと30cmくらいの棒を、ねじって25cmにし、それをタタラでつないでいきます。〈大地の芸術祭〉のブロックは棒が9本くらいでしたが、いま、次の展示のためにつくっているのは12〜13本です。これに釉掛けして、窯詰め、本焼きします。とにかく、つくり出すと雪だるま式に膨らんでいく作業です。
 
●作業だけ聞きますと、外注できそうにも思いますね。
杉浦:僕はやっぱりそこが、「やきもの屋さん」なんですね。自分でつくらないと気がすまないんです。ただ、〈大地の芸術祭〉のブロックだけは、時間的な制約もあり、一部をプロの陶工さんにお願いしました。

●そのときつくられた方々を取材したことがあります。土鍋をつくる職人さんたちでいわゆる職人のなかでも力のある方たちなのに、みんな腱鞘炎になりました。やきものづくりで「ねじる」というのは、あまりふだんやらない作業ですよね。
杉浦:ぼくはすごくねじるんだけど、彼らはあまりねじらなかった。ねじると切れちゃうって職業的に知ってるから。まあ、数が一杯あれば、多少のねじれがどうこうっていうのはわからないんだけど、僕自身にこだわりがあるもので。いまでも、一所懸命ねじってます(笑)

●基本的には全部おつくりになられているわけですね。1日いくつくらい成形できますか。
杉浦:昔は10個くらいつくりましたが、いまは3個が限界です。そろそろ、手伝ってくれる人を見つけなきゃいけないかな。
 
  ●一つひとつが手作業のため、工業製品のブロックとは異なる、積み上げた時にゆらぎが生じていく。ただこの表現をするのに、素材がやきものであるかどうかは、杉浦さんのなかでどこまで重要ですか。
杉浦:インスタレーションの素材を、一度やきものでつくってからそれを組み合わせるというのは、時間とコストが一手間も二手間も違います。作家の精神構造は、この物質的な制約で、すでに方向づけられています。僕にとってこの表現は、気持ちのなかでも、表現方法としても、完全にやきものでなくてはできないものです。
 
◆陶の博物誌 植物誌
●2000年代初頭からは、「陶の博物誌」シリーズが始まりました。実在の花や実などの植物を写実的な造形で何十倍もの大きさで表しています。花を絵柄のモチーフにしたやきものの表現は歴史上たくさん登場していますが、花そのものをつくるという発想はどこから生まれたのでしょうか。
杉浦:花が大好きってわけでもなかったんです。ただ、生まれた家には花や木が多く、割と身近に感じて育ちました。悶々としていた中学・高校のときには、庭に出てはチョキンチョキンやってました、ひまつぶしに(笑)。
 30歳で神奈川県真鶴町に移ってきたら、家の周りはミカンだらけ。「違う木も欲しいね」と、花木、山野草など移植を始めたんです。庭仕事は僕の性分にも合い、手入れを楽しむ暮らしが、20年ほど続きました。
 庭に植えるスペースもなくなった頃、ツバキの花びらをなんとなく見た。次にルーペで覗き込んだら、中の構造が造形的で面白かった。「これ、やきものでできるかも」と思ったのが始まりでした。
 
   
   
●最初の頃は、大きさも控えめでしたね。蓋物の構造になっているものもありました。
杉浦:最初は、器の要素も取り入れていました。徐々に、使い勝手などより、花の本質に迫りたい要求が勝ってきました。
 花の表現は、エロティックさなどになりやすいですが、僕の見方は「石」と同じ。ボタンならボタンを、サイズを大きくするだけで、デフォルメなしで忠実につくることによって、その花のもっている存在感やエネルギーを出したいわけです。


●中国の清の時代の、漆や象牙の工芸品を「これでもか」というほど忠実に模したやきものに近い、執念のようなものを感じます。質感こそやきものらしいですが。
杉浦:そうですね。一つの花を写生するということはなくて、まずは、その花の咲き始めから終わりまでを、ずっと見ます。
 形のきれいな花も咲けば、崩れた花も咲く。その様子をシーズン中とにかく見続けて、どの瞬間がよかったかを頭に入れていく。「これだ」というのが掴めたら、1〜2輪を切ってきます。一つはスケッチ、一つは解体してみます。
 花びらやしべの形、それらがどんなふうに組み合わさっているかを理解して、細かなパーツをつくります。それを、風が吹いている感じや揺らいだ雰囲気などが出るよう、組み立てていきます。
 
  ●自身のなかでの変化は感じられますか。
杉浦:初めはただ楽しかったのが、10年続くと、どこかで「苦行」になってきます。ただ、同じ自然物でありながら石にはない「サービス精神」といいますか、花の楽しませる力というものには、ずいぶん救われています。
 これからももっと、バリエーションを広げたいと思っています。仕事を続けながら、考えていきたいですね。
 
(2009.10.17 取材/坂井編集企画事務所:坂井基樹)  
  杉浦康益(すぎうら・やすよし)
1949年 東京都葛飾区に生まれる
1975年 〈東京芸術大学大学院美術研究科陶芸専攻〉修了後、
1975年 作陶活動に入る
1984年 神奈川県足柄下郡真鶴町に築窯

主な展覧会・賞歴に、
1997年 「杉浦康益 陶の岩・陶の木立」、
1997年 キリン横浜ビアビレッジ(神奈川)
1999年 「TUES1999 杉浦康益展」、美ヶ原高原美術館(長野)
 
2005年 「陶による大地の恵みを謳う 自然の息吹とかたち」、神奈川県民ホールギャラリー
2006年 「越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟)
2007年 第14回日本現代藝術振興賞受賞(日本文化芸術財団)
2009年 「水と土の芸術祭」「越後妻有アートトリエンナーレ」(ともに、新潟)
 
 
●information
杉浦康益個展
■2010年1月15日〜3月12日
 GALLERY A4(ギャラリーエークワッド)
 東京都江東区新砂1-1-1 (株)竹中工務店1F TEL:03-6660-6011
■6月13日〜6月20日
 寛土里
 東京都千代田区紀尾井町4-1 ホテルニューオータニ(ロビー階)TEL:03-3239-0146
■7月5日〜7月10日
 ぎゃらりー堂島
 大阪市北区堂島浜1-1-15 TEL:06-6345-9363
■10月15日〜10月24日
 アサヒギャラリー
 山梨県甲府市若松町10-6 ドエル・セントラル1F TEL:055-227-7611