高橋美江 絵地図師・散歩屋
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'Round About

第71回 山田まほ

日本画家の山田まほさんは、実際に見たいくつかの風景やモノの印象を五感で受けとめ、それによって生れたイメージをそのまま絵にするということを一途に追及している。その幻想的な絵からは、風のざわめく音や、花の匂いさえもしてきそうだ。そんな絵を描く山田さんに、作品や絵を描き続ける理由などについて聞いた。

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●小さい頃は、どんなお子さんだったのでしょうか。
山田:普通に外で遊んだり、本を読んだりすることも好きでしたけど、とりたてて何をっていうことはしていないですね。まぁ、小さい頃から、絵っていうほどのものではないですが、描くことは好きでした。「好き」といっても、子どもが、クレヨン持たせられれば何か描いたりするというようなノリで。父は普通のサラリーマンですし、ごく普通の家庭の子どもだったと思います。

●普通といっても、小さい頃に、絵をコンクールに出したり、賞を取ったりしたことがあるんじゃないんですか。
山田:あんまり覚えてないですけど、コンクールに出すとか、賞を貰ったとかいうことはなかったです。だいたいこの辺(神奈川県・淵野辺)で生まれ育ったんですが、自然の中で、暢気でのどかな子ども時代を過ごしていました。

●そうでしたか。では、美大を目指すようになったのは、いつ頃からですか。
山田:美大に入ろうと思ったのは、高校で進路を考え始めた2年生か3年生の頃だったと思います。まず、中学の高学年になって、どの高校に行くかを考えたとき、自分が何をやりたいかと考えると、やっぱり絵が好きというのがあって。それで、近くに普通高校なのに「美術コース(現・芸術科)」がある県立弥栄東高等学校(現県立弥栄高等学校)が新設されていたので、そこに入ることにしました。絵を描くのが好きだったという理由と、校舎が綺麗だったという位の単純な理由で決めました。私は2期目だったんですよ。

●そういう高校ですと、美大に進むというのは自然な流れだったんでしょうね。高校では、どういうことをされたのでしょうか。
山田:今考えれば、自然な流れといえるのかもしれませんが、当時は、漠然としていて、まだ美大に入ろうとは思っていませんでしたね。もうあまり覚えていませんが、2、3年生になると、美術の授業が週に7、8時間あったり、午前の授業が全部デッサンの日だったりしました。デッサンのほか、デザイン的なこと、彫刻、油絵や模写など、色々なことをしました。それから、だんだん進学を考えるようになって、そのまま美大かなと思ったぐらいなんです。美術コースといっても、進路は美大に限らず様々でした。個性的な生徒の多いクラスでしたね。

●大学では日本画を専攻されましたが、その理由を教えて下さい。
山田:一応、油絵も描いてみたことがあるんですが、油絵具の油の匂いや、ベチョッとした感じがダメで、ピンとこなかったんです。それで、油絵より水彩画の方が好きだったので、日本画なのかなと思って選びました。日本画は、高校三年生のときに、1枚描いただけで、本格的に描き始めたのは、大学に入ってからです。今思うと、日本画の「線」に惹かれたのかなと思いますけれど。
 
●では、山田さんの作品とテーマなどについて教えて下さい。風景や花の絵が多いですね。
山田:そうですね。個展を始めた頃の作品は、学生時代の名残がある絵で、こちら側(自分)のイメージや頭で考えた事ばかりが先行していたように思います。それが、ちょっと変わっていったのは、93年か94年ごろに、生まれて初めての海外旅行でメキシコとグアテマラに行ってからかもしれません。もう、見るもの聞くもの全てが初めてですし、印象が強く残ったんです。教会内部を描いたのですが、その内部の風景だけでなく、教会を外から見た印象も合わせて描いています。ほかにも、遺跡というか、モノを燻したり、ろうそくを燃やしたりして、現地の人がお祈りする場所があったので、それを描いたのですが、その場所はただ黒いところに石の神様のようなものが置いてあって、なんということはない場所なんですけれど、妙な空気があって…。それで、見た風景といくつかの風景の印象を合わせて描きました。次第に、対象に対してもっと切実でありたいというように、思うようになりました。
 テーマは、これといってはっきりしたものはないんです。あえて言えば、自分がこうして生きていること、しかも絵を描かせて貰いながら生きていること自体が、稀なことだなってすごく思っています。それが原動力というか自分の基、テーマなのかなと思いますね。それは、ずっと変わらずに描いています。制作方法としては、スケッチ・デッサン等を基に、画面のイメージをまず小さい画にしてみます。それを実際の大きさに拡げて本画にはいります。「無題(1994)」は、およそ2〜3ヶ月くらいかかったと思います。印象がしっかりイメージできている時は比較的時間はかからないです…体力的、量的な面は別として。
 
   
●山田さんの作品は、「無題(1994)」や「残響(2005)」など、惹き込まれそうな幻想的な絵が特徴となっていますね。
山田:ええ、「無題(1994)」は、中米に行く前でしたか、月山(山形県)に初めて行ったときに見た印象を描いたものなんですが、月山に登ったら、途中から霧と雨で、天気がすごく悪くなって幻想的な風景だったんです。そこで、「ああ、やっぱりこういう世界がリアルにあるのか」と思って、本当に惹き込まれそうな風景だったんですね。その時はよくわからないんですが、ちょっと作品に違いが出てきたというか、自分の興味が広い方に向かったのではないかと思います。それ以来、色々なことを面白いと思うようになりました。「残響(2005)」は、何箇所かのイメージを含めたものを、海辺の印象と合わせて描きました。台風が来たときの海とか、ちょっと面白いなと思ったんです。
 個展のタイトルにも、「水音の風景」とか、「Voices」、「CALLING」、「水の原」など、自分が見たいと願っているものですとか、その時々、感じることなどを言葉にして付けています。


●花の絵に牡丹の絵が多いですが、花の中でも牡丹を選んで描くのはどうしてですか。
山田:どうしてでしょうね。昔から上手な方が、いっぱい牡丹を描かれていますけど、その花が咲いているところを見たときに、感じる印象とか香りとかが、描かれているように綺麗なだけではなかったので、自分が描いたらどんなものになるかなと思って描き始めたんですよね。牡丹も風景と同じように、デッサンなどを基にした印象を描いています。
 
   
   
●現在開催されている第42回日本美術展覧会「日展」の日展に所属されていますが、入るきっかけとなったのはなんでしょうか。
山田:ずっと個展を開催していたものの、団体展に出したことがなかったんです。でも、先生とお話ししている時に、「自分の世界だけでやっているよりも、違った個性の作品達の中で、自分の作品をみるのも勉強になるよ」と言われたのをきっかけに出してみました。確かに、個展とはまた違った発見がありますし、いろんな団体展を見ている中でも面白いと思っています。

●山田さんにとって、絵を描き続ける理由というのはなんでしょうか。
山田:基本的に「好きで描いている」と言っていますけれど、私にとって絵を描くことは簡単なことではないんですね。イメージを絵の具に置き換えて計画するのですが、「ここにこの色を置けばこうなる」ってわかっていても、いざその色を置いてみると思い描いたイメージとは違ったりして。ほんのちょっとしたこと、例えば少し色をのせるだけで、近づくこともあるけれども、そういうことがすぐできない、簡単じゃないというところも好きなんです。
 そして、日本画の絵具は、持っている質みたいなものも含めて、絵具なりに主張を持っている感じがして面白いと思っているんですよね。その辺のものと、自分のやりたいことが画面中で折り合いがつけば、スッと決まった絵になると思うんですけど、簡単じゃない。でも、難しいことって、面白いですよね。画面は、ここまでだなというところで止める(完成させる)ので、そこでおしまいになるんですけど、時間がたってから見ると、「仕事が足りない」と感じたりしますね。ある意味「これで由」となってしまうと、それこそおしまいかなとも思いますけど。
 私が絵を描く(生きる)うえでの大切な示唆としているのが、リルケの『マルテの手記』の中で、主人公が「詩は感情ではない」と独白するところにあります。描き続ける理由と言うよりは、制作の喜びにつながることのように思いますが。
   
「詩は人の考えるような感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩は本当は経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道、思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。…(略)…。それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。…(略)…。しかも、こうした追憶を持つだけなら。一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れてくるのだ」。(『マルテの手記』リルケ・大山定一訳新潮文庫)  
   
●絵を描くことも、マルテを通したリルケの詩と同様に「経験」で、色々なものを見たり感じたり経験しながら描き続けることによって、時に見たものの感覚が忘れ去られても、それがあるとき自分の中で消化されて画面に形で現れてくるというようなことでしょうか。
山田:そうですね。モチーフや対象から一旦離れる。そうして自分のなかで顕在化するまで、よりはっきりとイメージ出来るまでの時間を持つこと。と同時に、ここに咲いている花・目前に広がる景色が、今現在あるまでに経た時間やその理由を考えるのも大事に思います。自分の五感をもって受けとめ、吸収したものを、画面にリアルにあらわす事をねがう。それが描き続ける動機あるいは原動力かもしれません。このリアルというのは、写真のように見たままのという意味合いではなく、自分が見たときに感じた感覚を自分の中で消化させてより解り易い形で画面に残す作業をするときの感覚のリアルさということです。常に、どうして絵を描かせて貰えているのかを考えながら描き続けています。それが、答があるものかどうかもわかりませんが。

●今回の個展について教えて下さい。
山田:11月30日(火)から12月12日(日)まで藤屋画廊で個展「風の面影」を開催します。今回の個展では牡丹が多いですね。それに加えて、だいたい150号位と120号位の山の風景を描いたものと、風景や花を描いたもの、全部合わせて15点位になると思います。
 
(2010.10.24・神奈川県・淵野辺にて取材/藤田礼子)  
 
山田まほ(やまだまほ)略歴

1968年 神奈川県に生まれる
1991年 武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業
1993年 同大学院造形研究科日本画コース聴講修了
2001年 日展第33回初入選
     (以降入選05年・06年・07年・09年・10年)
2001年 日春展第36回初入選(以降入選02年奨励賞
     ・03年・05年・06年・07年・08年・09年・10年)
 
■個展
1991年 乃木坂 MSBサロンギャラリー
1994年 銀座 Gアートギャラリー
1996年 銀座 クレイギャラリー
1997年 銀座 藤屋画廊
1999年  〃     ・水音の風景
2000年  〃     ・Voices
2001年  〃     ・CALLING
2002年  〃     ・水の原
2004年  〃     ・原生
2005年  〃     ・Recordare
2006年  〃     ・distante
2008年  〃     ・山田まほ展

■グループ展
1994年 ノ会(銀座ギャラリーミハラヤ)
1998年  〃 (神田 淡路町画廊)
2002年  〃 (銀座 Keyギャラリー)
2006年 ノ会ファイナル
    (国立 コートギャラリー)
2009年 子の星日本画展

 
  ●information
山田まほ個展「風の面影」
2010年11月30日(火)〜12月12日(日)
藤屋画廊
東京都中央区銀座2-6-5 藤屋ビル2F tel 03-3564-1361
http://blog.goo.ne.jp/fujiyagallery


第42回日本美術展覧会「日展」
2010年10月29日(金)〜12月5(日)
国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
http://www.nitten.or.jp/special2010/index.html


「子の星日本画展」
2011年、銀座松屋にて予定