高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
北川宏人
伊藤雅史VS佐々木豊
岡村桂三郎×河嶋淳司
原崇浩VS佐々木豊
泉谷淑夫
間島秀徳
町田久美VS佐々木豊
園家誠二
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

吉武研司氏
'Round About

第36回 吉武研司 生命の祝祭

「自分のなかのいちばん優しいものが表現でき、それがさまざまに伝わってくれればいい」として、新都営地下鉄13号線北参道駅への陶板壁画を制作中の吉武研司さんである。完成は来年6月だが、ここにいたっての脱皮、開眼ともいえる境地がいかんなく発揮された作品となる。それは吉武さんにとって、これまでの自分のなかのいちばん身近なものの掘り下げである「絵日記」の連作の次にくる、より根源にあるものの発見と再認識に裏打ちされた自在な展開の開幕を物語っている。そうした新作の個展「八百万の神々」会場で、がばい(すごい)この作域にいたった経緯などを話してもらった。

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八百万の神々シリーズのはじまり
●「八百万の神々」と題された今回の個展は、これまで続けてこられている「絵日記」等と題された日常の私生活を素材にした一連の作品と様相が変り、もっと我々をとりまく環境や、それこそ地球、宇宙規模の視点で人間をはじめ生命全体を見つめようとした作品になっているように感じられますが、これからは神さまたちの登場が続くのですか?

吉武:これがはじまりです。しばらく続けます。そのうち点ひとつにも、そのなかに神さまが宿っているぐらいの気持ちまでいきたいと思います。そうしたら八百万の神も可能かもしれません。高さを全作120号で揃えていく予定で、これをユニット式にして重ねたりすると大画面にもなるので、それを組み合わせていくと縦横自在に巨大な作品になります。そんな壮大な構想のもとにひとまず800万を目ざして制作しようと思います(笑)。
 神々シリーズのベースとなっているということでは女神シリーズというのが昔ありました。これは結婚前に女の人をどういうふうに描くか、自分の中での探りがあって、それを女神シリーズとして作品にしました。結婚して子供が生まれ、家族の風景を描くことがだんだん自然な関心事になっていって、それが絵日記シリーズになっていったわけです。
 そのあともうひと区切りあったのが母の死です。亡くなる前、母を車に乗せて山道を走ったとき、しきりに緑がきれいだと言っていたものですから、母のその末期の目を意識してそれを追体験しようと思って緑シリーズを描きました。そのあと佐賀で少年によるバスハイジャック事件があったり、さまざまなやりきれない事件や社会現象が止めどもなく続くなかで、魑魅魍魎としたものを4,5年描いていました。それらにかかわる人達がなにによって癒されるのかと考えることが多くありました。救いになるのはこのような昔から信仰されている大らかな八百万の神さまのようなものじゃないかと考えたのです。同時に、曖昧だと言われるけれども、さまざまな神さまを受け入れられる日本人の感覚をすばらしいと思いました。それは絵かきの、ものを見て描く関係と似ている。絵かきも畏敬の念をもってものを見ていくし、自分の範疇だけではどうしてもつまらないから外からの力をもらうわけです。このふたつの感覚が近いということで、日本古来の考え方や感じ方を突きつめてみたい気持ちが前からあったことが加わり、これからはこの感性に触れる部分を主題にしていくつもりです。
 
 それからこれには、現代という時代は自分たち本来のものに戻る、再考する時期にあるという思いも重なっています。かつてあれだけさんざん欧米に憧れたけれど、自分のなかには遺伝子のように残っているものが絶対にあると思います。そういうものをもうここいらで正直に出せる形はないか、というのが結構ここへきて僕のなかに出てきている。自信のないのは相変わらずだけれども、もうそんなことではなくて、その正直に出せる形に関わることについては、はっきりものを言っていこうかな、そういう時期にきたかな、と居直っています。  
●言われてみればたしかにある時期から吉武さんは、赤の色彩にせよ構図の密集度にせよ、えてしてこれまでの多くの同世代の画家が避け、嫌い、軽蔑し、駆逐してきたかもしれない俗悪とされがちな日本らしさに満ちた、パワフルでグロテスクで下手うまなものの方向を、あえて指向されはじめたように感じていました。でもそれは縄文を弥生でくるんだような色調の、毒々しいものではなく、透明感ある味わいぶりをもつ日本らしさです。  
   
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日本には日本の赤がある
吉武:日本には一方には原色の歴史があり、一方にはわびさびがある。両方とも僕につながってくるものが絶対にありますね。色について言うとどうも赤にずっとひかれ続けています。なぜかときかれると困るけれど、つねに赤のグルグルが頭のなかを回っています。韓国でも中国でも、いろんなところへ行きましたが、どこへ行っても必ず赤に目がいきます。そして国によってその赤が少しずつ違うのです。ハワイやメキシコも違うし、となりにくる色の問題なのかはわかりませんが民族によって同じ赤にもある好みがある。この好みを自分のなかでも出していきたいと思い続けています。朱というかバーミリオンに近い赤がずっと好きです。
 関根正二の「信仰の悲しみ」の赤、青木繁のバーミリオンでメラメラ燃える赤とか、赤の系譜ではないけれど日本人の好みの赤は絶対にありますよ。それは民族のなにかを背負っている赤ですね。そういうものが自分の体のなかを通って、どのように外に展開できるかみたいなところを大いにこれから楽しみにしたいと思います。いろいろな赤が出てきてもある範疇に収まってしまうというか、どこかでバランスをとってしまうから、そのバランスが収まるようにその人が自分のなかで、その色を持ち続けていくのでしょうね。
 


●はじめに戻りますが、吉武さんの神とは、自他にかかわらず命としてつながる森羅万象を指すのですね?

吉武:そうですね。万物、山川草木すべてに仏性ありではありませんが、そういうどんなものにも神々を見る日本人の伝統的な目を自分のなかにも自覚するようになりました。これもかつてはあまり考えていなかったことです。時代や年齢ということもあるのでしょうが、そういう状態が本来幸せな状態なのではないかと思うのです。たとえばバリ島などは神さまばかりたくさん棲んでいて、いつもお祭りをやっています。それにふり回されて貧乏になってしまうぐらいですが、毎朝の祈り、毎日のような祭りの光景を見ていると、そういう気持ちを大切にしている島がなんとも麗しいのです。日本もアジアですからそれに近い要素を持っているのではないかと思います。
 
 
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母なる有明海
●この個展に出品されている「海の神々の話」は故郷の有明海だそうですが、北に連なる筑紫山地、南に広がる筑紫平野、それを造った筑後川、それが流れ込む有明海のこの一帯は吉武さんを生み、育んだかけがえのない土壌でもありますね。

吉武:有明海は生命でぎっしりの海です。古代からの泥が深く溜まっていて、そのなかにはワラスボをはじめ未知の生物が生存しているといいます。そして筑後川流域で青木繁も坂本繁二郎も古賀春江も北原白秋も誕生しているわけです。そのあたりの土着的ななにものかを多少なりとも僕も背負っているなとずっと頭にあって、いつか描いてやろうと思っていました。いろんな生き物が堆積して重なって出ていくような気持ちをこめています。こういう形の作品、つまりモチーフとしての海、オールオーバーな感じは初めてです。

●そしてまた肥前の国、佐賀県は有田、伊万里、唐津、鍋島等と、やきもの王国です。色絵磁器などからの影響もありそうですね?

吉武:常日頃、目にしていたものですからね。自分にとって大事なものを引っ張っているな、自分につながる鉱脈がここにあるなとある時から感じはじめ、有田を訪ねてみたり、古伊万里を興味をもって見るようになったり、郷土のあらゆることを意識するようになりました。10年ほど前からは陶板レリーフや陶皿を有田現地で絵付けし、焼いています。