高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
はじめまして岡村桂三郎です。
 
その29−いくつもの山形、ありがとう。
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  一部、岡村先生のコメントもついています。
 お待たせしました!お久しぶりです!
 暑い暑い暑い夏が過ぎ、ほんとに爽やかな秋がやってきました。いや〜、秋って、こんなに過ごしやすかったでしたっけ。一年ぶりなので、忘れてました!
 気持ちが良い日が続く中、久々に「ひとりごと」を書いてみましが、気が付くと、今回はどうも大作になってしまたったようです。

 ところで、この「ひとりごと」も、前回までの越生⇔山形『車中夢譚』編は終わり、新シリーズが始まります!
 と、僕が勝手に宣言しているだけなのですが、どうですかね?・・・シゲノさん?(この連載の原稿を催促する人。)

 ・・・ということで、新シリーズが始まりました!!!
 僕の方は、多摩美へ通うようになって2年目に入り、ずいぶん慣れてきたかなと思っています。巷では、「岡村は、山形をやめて多摩美に行って、暇にしている。」という噂もあるようなのですが、ここでキッチリ言っておきます。
 ちょっとは楽になりましたが、決して暇ではありませんよ〜。僕は、相変わらずなのです。
 さて、清々しい季節になって、今回は、美術に対して少し真面目に考えてみたくなりました。
 つらつらと画集などを開きながら、いろいろな作品を、「ああ・・こんな作品もあったな〜、これもいいな〜」などと、秋の夜長に思いを巡らすのもなかなか楽しいことですし、美術家にとっては、過去に出会ったあらゆる全ての作品について、どの作品をどの様に感じてどの様に評価するのか、もしくは評価しないのかということは極めて重大なことだとも思います。
 様々な作品との出会いや感動、その繰り返しの中で作品に対する価値の基準が定まってくるのだろうし、その人にとっての作品に対する尺度が定まってこなければ、自分の作品を制作していても、一体どのようなものを目指して行ったら良いのか不安でしょうがないでしょう。

 それでは価値の基準になるほどの歴史上の美術作品とは、例えば、僕にとっていったいどのようなものなのしょうか。それは平たく言えば僕のお気に入りの美術作品ということでもあるのですが、考えてみれば、そういった作品を求めて、若い頃からどの位の数の作品を見てきたのでしょうか。集めてきた画集だけでも、今では、ずいぶんな量になってしまいました。
 よい機会なので、自分の大好きな作品や、作家たちのことを一つずつ思い巡らしてみることにしましょう。

 とすると、それらは世界中の地域の、それこそ古代から現代のものまで、たいした脈絡も感じられないまま点在しているのに気が付きました。例えば、過去から未来にかけての時間軸に沿った歴史的な繋がりを互いに持つことはなく、全ての作品が、今僕がいる同じ平面上に存在している。そんな感じです。そしてそれらは、それぞれの個性を発揮しながらお互いの関係を保ち、自分の立ち位置を確立しているようにも感じられます。
 さながらサッカー選手達が、それぞれの自分のポジションを持ちながらグランド中を走り回り、自分の得意とする技をフィールド上で表現している姿に似ているような気もしてきました。
 最近、ザッケローニ新監督も新しくサッカー日本代表を発表し、ワールドカップ・ブラジル大会に向けて船出したところですし、ここでは僕も、再び日本美術代表を考えちゃおかな?と思ってしまいました。
 ということで勝手ですが、日本美術代表23名を選出し、ここで発表してしまうことにしました。以前、日本美術のベストイレブンをこの「ひとりごと」で発表したことがありますが(第4回参照)、それを母体に考えてみました。選んでみて改めて思ったのだけれど、やっぱり日本美術は、世界最強です。
■ゴールキーパー:国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)、
         運 慶(うんけい)

 日本の美術作品の素晴らしいものを選ぼうとすると、作者不詳のものが多くて困りました。例えば、仏像。鎌倉期に入ってからの運慶・快慶は有名ですが、残念ながら大半の作者の名前は分かりません。
 けれども、どうしても日本美術の守護神は、霊験あらたかな仏像にお願いしたい。困りながらインターネットで検索していると、この人の名前を発見しました。
 その人の名は、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)。日本の仏像彫刻の最盛期の一つは、何と言っても天平彫刻ではないでしょうか。あの「阿修羅像」(あしゅらぞう)を含む興福寺の「八部衆」(はちぶしゅう)しかり、東大寺法華堂の「不空羂索観音」(ふくうけんさくかんのん)も天平彫刻の一つです。いや〜、素晴らしい!
 そして、今では当時の姿を見ることはできませんが、天平彫刻の代表作であったであろう「東大寺の大仏」。その大仏の制作の総指揮をとったのが、この国中連公麻呂だったそうです。
 ゴール前に奈良の大仏。ちょっと反則ですかね〜。
 もう一人は、運慶(うんけい)。この人の造った彫刻を見ていると、日本の仏教彫刻の中でも、彫刻的な造形力はどれも群を抜いていると思います。例えば、興福寺北円堂の「無著菩薩・世親菩薩立像」(むちゃくぼさつ・せしんぼさつりゅうぞう)も凄い迫力ですし、その他にも、数々の名作がありますね。
 実は日本の守護神としては、東大寺南大門の仁王像をイメージしてみました。いや〜、こんなのがゴール前にいたら、あまりに恐ろしくて攻めてこれないでしょうね〜。
 ところで、東大寺の境内にある俊乗堂(しゅんじょうどう)に安置されている「重源上人坐像」(ちょうげんしょうにんざぞう)は、迫真のリアリズムで有名ですが、像全体の量感の捉え方も並の作者じゃないと感じます。先日、東京国立博物館で、ひさびさに重源さんに再会をしたのですが、まるでジャコメッティの彫刻のように感じました。これも運慶作なんじゃないですかね〜。
■センターバック:鞍作止利(くらつくりのとり)、仏画師(ぶつがし)、
         雪舟等楊(せっしゅうとうよう)、光源氏(ひかるげんじ)
 世界中のどこの国の美術でも、古代から中世にかけて神話や宗教の影響を大きく受けていると感じています。いや、影響というよりも、美術は宗教の一部だったのではないかとも思います。現代に生きている僕でさえ、絵を描くという行為自体、もともとは呪術性と切っても切れない関係にあるのではないかと、常日頃の制作で感じているところでもあるのです。

 そういった意味で、日本のセンターバックにはまず、鞍作止利(くらつくりのとり)を置きたいと思います。法隆寺金堂に安置されている止利仏師による仏像群は、その表情の中に東洋的な八百万の神々の遺伝子を色濃く湛えているように感じます。古代文明から受け継いできたヤバイ感じ。例えば、中国の三星堆(さんせいたい)の人面や、曽侯乙墓(そうこういつぼ)の青銅器に繋がる血脈を引き継いでいるように感じるのです。
 荘厳で精緻なのだけれど、何やら妖しい東洋的呪術的空間、それが法隆寺金堂の中には、いっぱいに広がっています。呪術的パワーは、日本仏像界最強でしょう。

 もう一人呪術パワー炸裂のディフェンダー、それは、「仏画師」(ぶつがし)としてみました。
 平安期や鎌倉期の仏画は大好きなのですが、国中連公麻呂の例と同じく、作者の名前がわかりません。いや、そればかりではなく、だいたい画僧なのか絵師なのか、どのような人々が描いていたのか?そんな基本的なことも、知らなかったことにさえ、今まで気が付いていませんでした。いや〜、謎が謎を呼びますね〜!そこで、こういう言い方になってしまいました。お許し下さい。
 それでも正直、仏画には、主題やフォルム、色彩に至るまで、僕は相当影響を受けています。ですから、名前がわからなくとも、どうしても僕としては重要なポジションを与えたいのです。
 ところで、日本の仏画。例えば、教王護国寺(きょうおうごこくじ)の「両界曼荼羅図」(りょうかいまんだらず)で9世紀後半、高野山の「仏涅槃図」(ぶつねはんず)で11世紀後半、同じく高野山の「阿弥陀聖衆来迎図」(あみだしょうじゅらいごうず)で12世紀前半の作品です。9世紀から13世紀にかけての仏画を眺めながら思うのですが、このころの日本美術の完成度、当時の世界中の美術を見渡して、抜群じゃないですか?

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