高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
はじめまして岡村桂三郎です。
その28−これから僕は、どのくらい絵を描くことができるのだろう。
 *画像は全てクリックすると拡大画面が開きます。
  それぞれ岡村先生のコメントもついています。
 みなさんお元気でしょうか!
 気が付けば12月になっていました。こんな筈ではなかったのですが、いや〜、まいったまいった・・・。
 先日も、アート・アクセスのシゲノさんから電話があって、
 「年の初めに、今年は6回書くと宣言してしまったのだから、せめて3分の2は、達成しないと・・・」
 「そ、そりゃ、そ〜ですよね!」返す言葉もありませんです、はい。
 ・・・・ごめんなさい。

 これは言い訳ですが、あれから展覧会が沢山あり、ギャラリートークだけでも、日本橋、高崎、山形、水戸と、6回はやりました。作品制作の方も、ずいぶん描いたような気もします。今年の制作量は、おそらく去年より上回っているかも知れません。
 それから、これがショックだったのですが、展覧会に明け暮れた生活をしていて、田んぼの方が疎かになってしまっていたのか、とうとうイノシシに、田んぼをメチャクチャにされてしまいました。その後、電気柵を新しいのに設置しなおしたりしていたのですが、後の祭りですよね。今年の米の収穫の方は、惨憺たる結果でした。
 まぁ、いろいろありましたが。この春から通っている多摩美にも、少しずつですがやっと慣れてきたかな?というところでしょうか。こんな僕のことを、先生方も生徒達も暖かく迎えてくれて、本当に居心地が良いです。ありがとうございます。
 ここでは、ゆっくりと、だんだんと慣れていく時間があって助かります。それに何よりも、制作に割く事のできる時間が大幅に増えましたし、家族と向き合う時間もできました。ありがたい事です。
 10月には、韓国のソウルへ、11月には、奈良と京都へ、学生の引率で行って来ました。両方とも大変でしたが、とても楽しい時間が持てました。先生方や生徒達との距離も縮まってきているような気がして、嬉しいです。
 さて今回は、芸工大を辞めて、多摩美に入った訳を話す約束でした。
 芸工大に初めて行った時も、番場先生や谷先生が暖かく迎えてくれたことが、ほんとにありがたかった。そしてなにより、松本哲男先生がいなかったら、本当にどうであったか・・・、感謝しても感謝のしようがないです。
 しかし、そのうち、何がなんだか分からないうちに、翌春には、美術科長にさせられてしまい、アタフタとしているうちに、どんどんと忙しくなっていきました。

 芸工大での仕事は、教授としての様々な仕事をするのは当然ですが、それ以外にも、日本画コースの主任や入試部長、大学院芸術文化専攻部長などもやっていました。ウンザリするだけなので、詳しくは話しませんが、ともかく、大学の授業のある月は、絵筆を持つ数十分の時間さえ見つけることができないでいました。
 絵を描く事を封印して、ただただ、大学の為にだけに働いている。そんな日々が、数ヶ月も続いてしまう。
 これはいつも思っている事なのだけど、「何をしていても、絵を描くためにならないことなど何もない。」というのが、僕の基本的な考えで、そう思ってここまでやってきました。けれども、全く描く時間が無くなってしまうと話は別です。そして、「絵を描かないでいると、僕の精神は、どんどんとズタズタにされてしまうのだな。」ということがよく分かりました。
 実は、5年契約の教員(辞める1年前に終身雇用になりました)だったので、契約社員みたいなもので、5年後に必要ないと言われれば、本人がどんなにここに居たいと言っても居ることはできないのですけれど。
 大学の仕事は、際限がありませんでした。生徒たちのために、どうしても、何とかしなければいけない。その責任は重大で、僕の両肩にずっしりとのしかかっていました。その一方、「作家として生きて行きたい」という捨てきれない思い。それを捨てられずに活動する事によって生まれる、作家としての責任の重さも、僕の両肩にのしかかり、大学人としても、作家としても、両方とも中途半端になってしまっていました。「体力の限界というものも、あるのだな。」ということを、つくづく感じたこの数年でした。
 特に、筆を持つための数十分の時間を、何ヶ月もの間、許されないということは、本当に辛いことです。その頃の僕は、半分ノイローゼのようになっていました。夜も、ろくに眠れない、寝たと思っても、すぐに目が覚めてしまう。時々、心臓のあたりが締め付けられるように痛み、動悸が止まらない・・・というような時も、時々ありました。山形のアパートのベッドの中で不安になり、我慢が出来ずに起き上がり、真夜中に絵を描き始める・・・。そんな日々が続いていました。
「これは、ヤバいのかも知れないな・・・。」とも思っていました。
 絵も描かずに大学の仕事をしていて、気が付くと、展覧会の搬入は目前に近づいている。それなのに、作品の方は、影も形も、そんなもの何もない。そんなことはいつものことで、ギリギリの時間配分を考え、気合いと集中力、直感と体力によって何とかする。「それがプロだろ。」と自分に言い聞かせる。それしかありませんでした。
 去年の神奈川県立近代美術館の個展で並んでいた作品達は、全てそのようにして生まれて来たものでしたが、そこに展示された作品達を眺めながら、
 「いつの間に、こんなに描いたのだろう?我ながら良くやってきたものだな。」とも思いました。
 3年前の年の暮れのことです。作品制作のために、僕に許されていた少ない時間。大晦日と正月の三ヶ日だけで、なんとか現在制作中の作品を前進させなければ、マズい状況でした。当然、歳の暮れの大掃除も、年始の挨拶も全部パスです。
 大晦日の日、翌日は来年になってしまうし、ともかく気合いです。僕は、一刻も争うように猛然と制作していました。例によって、巨大なパネルをバーナーで、次から次へとガンガン燃やしていました。そして、一息ついた時でした。
 何か酸欠状態になったような感じでした。意識が遠くなるような感覚と、痺れるような感覚。僕は、立っていられなくなって、その場で寝転がってしまいました。
 作業場のまわりの樹木のシルエットが、白く透明になっていく。僕は、静かにあたりの景色を眺めていました。気が付くと、左手も左足も、痺れてうまく動かない。
 「これで、全てが終わるのかも知れない。」とも、思いました。
 けれども、高ぶる気分は何もなく、不思議な事に、どこか安堵したような、静かに終焉を待っているような、心がどんどんと透明になっていくのを感じていました。
 その後、カミさんに病院に連れていってもらいました。大晦日の救急病院では、意外なほど人が沢山いました。病院の中では、車椅子に乗せられ移動し、順番を待たされていましたが、僕の向かい側で座っているご婦人が、優しい表情で、慈悲深い、哀れみの視線を僕に注いでいるのに気付きました。
 「俺、なんか哀れまれてるな?」と、自分が置かれている状況がどんなことなのかを客観的に感じました。
 病院では、CTスキャンなどを撮ってもらったり、先生が検査をし、注射をしてもらったりしていたのですが、その注射が良かったようで、僕の左の手足は、徐々に動くようになりました。
 「病院が始まったら、専門の先生にちゃんと看てもらって下さいね。」と、先生には、言われたのですが。動く事さえできれば、こっちのもの。気分はコロッと変わってしまいました。CTスキャンに写っている自分の脳味噌の写真が面白かったので、何か参考になるかも知れないと思い、そのコピーを貰ったりしていました。
 案の定、その後病院に行くことは無く、さすがに、大晦日と元旦はおとなしくコタツでテレビなどを観ていましたが、制作が間に合わないので、2日から再び制作を始動させなければなりませんでした。でもこの事で、
 「こんなこと、いつまでも続けていられないな。」という思いを、心に深く刻んだのは確かです。
 そして、それから一ヶ月も経たないうちに、母が亡くなりました。大きく悲しい出来事でした。(そのことについては、この「ひとりごと」22回目の話で触れました。)
 振り返って思うと、このタイミングで母が死んでしまったことが、後々になって、僕が芸工大を辞めようと決心した大きな理由になったような気がします。
 改めて考えれば、人生は有限のものです。体力的な限界。生命の限界。それは、僕にも必ずやってくる。もしかしたら、そんなことを母が問いかけてくれたのかもしれない。その思いに至って、これから生きていける年月の事を、思い描きました。
 僕が死ぬまでに、あと、どのくらいの絵を描くことが出来るのだろう。そして、今やっているような、重く巨大な作品は、どのくらい、あと何枚、作ることができるのか・・・。

  けれども、その時点では、芸工大を辞めるなんてことは、まだ、これっぽっちも考えてはいませんでした。山形に骨を埋めるつもりでしたし、なにしろ山形では、尊敬できる素晴らしい先生方や、気の置けない同僚達、かわいい学生達に囲まれていたのですから。

 話が長くなりました。その先の事は、また次回ということにしましょうか。
   
 
【インフォメーション】
「遠き道展−伝えたい日本画の今−」「日本画の新旗手たち展」「〜サラリーマンコレクター30年の軌跡〜 山本冬彦コレクション展」「『日本画』の現在」」「META || 展」「岡村桂三郎展」が開催されます。お近くにお出かけの際は、ぜひお立ち寄り下さい!

 
展覧会名 遠き道展−伝えたい日本画の今−
会場 石川県立美術館
 石川県金沢市出羽町2-1
 tel:076(231)7580
 http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/
 公式ホームページ:http://www.geocities.jp/artmuseumjp/
会期 2010年1月4日(月)〜2月7日(日)※会期中無休
時間

9:30AM〜6:00PM ※観覧券の発売は5:30PMまで

観覧料

一般800円 大学生600円 高中小生200円

イベント

1月31日(日)2:00PM〜宮いつき先生と、岡村桂三郎先生のギャラリートークがあります。
*そのほかの先生のギャラリートークやイベントはこちらをご覧下さい

展覧会名 日本画の新旗手たち展
会場 銀座スルガ台画廊
 東京都中央区銀座6-5-8 トップビル2F
 tel:03(3572)2828
会期 2010年1月7日(木)〜1月16日(土)※日曜休廊
時間

11:00AM〜7:00PM ※最終日は5:30PMまで

展覧会名 〜サラリーマンコレクター30年の軌跡〜 山本冬彦コレクション展
会場 佐藤美術館
 東京都新宿区大京町31-10
 tel:03(3358)6021
 http://homepage3.nifty.com/sato-museum/
会期 2010年1月14日(木)〜2月21日(日)
*月曜休館
時間

10:00AM〜5:00PM 金曜日は7:00PMまで
※入館は閉館の15分前まで

観覧料

一般500円 学生300円

展覧会名 特別展「『日本画』の現在」
会場 青梅市立美術館
 東京都青梅市滝ノ上町1346-1
 tel:0428(24)1195
会期 2010年2月11日(木・祝)〜3月28日(日)
*月曜休館、但し祝日の場合は開館し、翌日休館
時間

9:00AM〜5:00PM ※入館は4:30PMまで

観覧料

一般500円 小中学生100円

展覧会名 META || 展
会場 神奈川県民ホールギャラリー
 神奈川県横浜市中区山下町3-1
 tel:045(633)3795
 http://www.kanakengallery.com/
会期 2010年2月16日(火)〜2月28日(日)
時間

9:00AM〜6:00PM *最終日は3:00PMまで

展覧会名 岡村桂三郎展
会場 コバヤシ画廊企画室
 東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F
 tel:03(3561)0515
 http://www.gallerykobayashi.jp/
会期 2010年3月8日(月)〜3月27日(土)※日曜休廊・祝祭日開廊
時間

11:30AM〜7:00PM ※最終日は5:00PMまで


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