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外山滋比古 人間距離の美学
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はじめまして岡村桂三郎です。
その24−マンハッタンと蟻塚
 *画像は全てクリックすると拡大画面が開きます。
  それぞれ岡村先生のコメントもついています。
 僕の胸ポケットで、ケータイが鳴った。
アチャ〜ッ!ケータイの表示画面には、「芸術新聞社」とあるではないか!
「もしもし、シゲノですけど。」
と、落ち着いた声が、電話口から聞こえてきた。
こんな時に、電話をかけてくるとは・・・なんということだ。僕の、背中からは、焦りの汗が、じわっと吹き出てきた。どうしよう・・・。
「あっ、ど、ど〜も・・・・。アレですよね・・、アノ、『ひとりごと』ですよね、・・すみません。あの〜・・、がんばってるんですけど、なかなか書けなくて・・。」
「前回から一年ぐらい経つけど、個展も終わったし。そろそろ、どうなのかな?と思って。」シゲノさんの声は、あくまでも静かだ。
「あ、あの。いや、実は・・・。」

 いやいやホントにご無沙汰してました。あれから何度も途中まで書いてはいたのですが、旬の時期を逃してしまい、全部没。ずっと挫折をくりかえしていました。
 僕の日常生活の多忙さは、極め尽くすところまできているようで、このところ、ホントに隙間がありません。META展を横浜の神奈川県民ホールで開催したあと、目展が各地の高島屋を巡回し、その後、埼玉県立近代美術館で開催されたニュー・ヴィジョン・サイタマ ||| に参加し、そこからコバヤシ画廊の個展まで、超ヘビー級の展覧会が続き、かなり巨大な作品を、ずいぶん描きました。それに、まだまだ、そればかりではなく色々とあったのですが、長くなるので、今回は省略します。
・・・、シゲノさんとの会話は、続きます。

「ところで最近、日本人の作家が、海外からのオファーを受けて発表するという機会が、多いんだよ。日本にも、そういう時代が来たのかね〜。岡村君、どう思う?」
ほっとすることに、話が、別の方向にいってくれました。そして、なんというタイムリーな話をするのか、このお方は!正直、驚きました。
「あ、あの。いや、実は、まさに今、それなんですよ。たった今、リムジンバスに乗って、成田空港へ行くところなんですよ。」
「いやいやいや、僕じゃないんですよ、それが。うちのカミサンが、なんですよ。ニューヨークでですね、展覧会をですね、やることになっちゃったんですよ。・・・ああ違う違う、もう始まってるんだ。斉藤さんとか、フジムラ君も出してるんですけど。9人くらいの展示みたいですよ。」
僕は、今の状況を、整理がつかないまま、ともかく、説明を試みた。
「実は、僕も、来年、その画廊で個展やることになってて、それで、ニューヨークへ行くのも、家族で旅行するのも久々だし、うちのバカども(息子たちの事)にとってもいい経験になるだろうということで、まあ、僕の展覧会の打ち合わせも兼ねてなんですけど、カミサンの応援に家族全員で、行くことになっちゃったんですよ。いやいや、もう、大変ですよ、タイヘン!」
そして、その電話の最後に、
「帰ってきたら、ニューヨークのことを書きます。」と、シゲノさんには約束したのでした。
 無い時間の間隙をぬって出かけたので、パーティーに出席しなくてはならないカミサンは10日ほど、僕と息子たちは、一週間にも満たない期間でした。それでも、僕にとっては9年ぶり、カミサンと息子たちにとっては10数年ぶりの懐かしいニューヨークです。今回は特に、ビジネスの交渉も沢山しなくてはならないので、バイリンガルの谷中啓子さんも一緒です。彼女は、まるで僕たちの家族のようにいつも一緒で、とても楽しい旅になったのでした。
 僕たち一家は、94年〜95年の一年間、ニューヨーク(と言っても、実際に住んでいたのは、ハドソン川を挟んで対岸の、ニュージャージーのレオニアというところでした)に住んでいたことがありました。それは、僕が五島記念文化財団の美術新人賞を頂き、それによっての海外研修だったのですが、本当に良い経験でした。
 振り返ってみると、あのアメリカで過ごした一年で得た様々なインスピレーションは、現在の僕の作品の思想的な背景になっていると思うのです。そんなことも、またいつかお話できればと思います。
 僕は今回、ニューヨークへ行って、いったい何が見たかったのか?というと、もちろん、いつもはリビングの片隅に置いてあったカミサンの作品が、事もあろうに、ニューヨークのギャラリーで展示されている姿をこの目で確認する、というのは最重要課題であり、最大の喜びでした。さらに、DILLONギャラリーの空間が、どのようなものなのかを確認し、僕の意識の中に収めておくということは、今後の個展のために絶対不可欠のことなのです。
 もちろんニューヨークへ行ったら、美術館やギャラリーで開催されている展覧会を見て回るのは当然なのですが、それでも、たった五日間しか無い滞在期間で、例えば現在のニューヨークの美術の動向と言えるようなものを、把握するのはまず無理があります。
 しかし、ニューヨークの風景、その空気の印象をつかむことは、五日間でもできるような気がしていましたし、それを感じることが出来るのを、密かにですけれど、僕の最大の楽しみだったのです。
 日本からニューヨークへ行って、いつも感じるのは、例えば建造物の存在感の違いでしょうか。少なくとも、空気の湿度感が違う。そして、モノに対しての人々の考え方の違いがあるのでしょうか。建物は日本のものより、ガッチリと『在る』ということを主張している、その物質感をむき出しにして『存在』している、というような印象を受けるのです。
 そして、そこで暮らしている人々の姿は、それに負けない程のシッカリとした骨格を持ち、何かに甘える事もなく、『個』として力強く生き抜いているというように感じるのです。メンタル的にもフィジカル的にも頑強だけれども、なんだかとてもフレンドリーで温かい人々。やさしく、礼儀正しいけれど、曖昧で情緒的な国(もちろん、そんなに単純な国ではありませんが)からやってきた僕は、頼もしい友人と出会ったようで、やっぱりニューヨークは大好きな街です。

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