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もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 随筆集『ブラリひょうたん』で知られた高田保につづいて前回は『瓢たんなまづ』の菅原通濟、そして今回は『垢石飄談』の佐藤垢石──この3人、いずれも飄瓢淡箪として、ひょうたん的な雰囲気をかもしだす人品骨柄と、その文章。
 しかも、随筆を読むと、おたがいの名がチラリホラリと出てきたりする。今回、佐藤垢石の本を手にすると、文章の中で、高田保、菅原通濟の名に出会い、ちょいと嬉しくなった。
 今日、相当ものずきの読書人でも垢石の随筆を手に取る人は少ないだろうが、文人気質を有する釣り人だったら、垢石の名を忘れることはないでしょう。垢石は天性の釣り人として、また、釣り随筆の第一人者として知られた存在だから。
『垢石飄談』の口絵「著者近影」。たぬきの毛皮の帽子とちゃんちゃんこでご満悦。   友人・岸浪百艸居による垢石盃を口にするの図。『續たぬき汁』(昭和21年・星書房刊)
 とくに、後に少しくわしく紹介するが井伏鱒二の釣りの師匠格として、井伏文学のファンにも垢石の名は親しいはずだ。
 この一風毛色の変わった釣り人であり、粋筆家・佐藤垢石の文中に登場する人物を思い出すままに列挙してみよう。
 先の高田保、菅原通濟をはじめ──、画家、漫画家として小野佐世男、清水崑、横山隆一、麻生豊。作家関係は林房雄、永井龍男、吉屋信子、久保田万太郎、正木不如丘、野村胡堂、矢田挿雲、子母沢寛、若山牧水、井伏鱒二などなど。
 また、垢石が若き日に勤めた報知新聞社時代からの知人やケンカ相手(野村胡堂との大立回りは痛快)、釣り友達、そして垢石の一生の友であり、彼の人生を誤らせた酒と供連れの酒友……。
 しかも、それぞれの交流が、かなり濃いエピソードだったりする。まずは話の流れとして、高田保。この名が出てくるのは──なんと垢石が死にかけたときなのだ。
 マヌケな話なのだが垢石、冬の一日、美人社長と噂の出版社(要書房)に出向く。お目当ての社長と会え、閉め切った部屋で気をよくし長広舌におよぶ。ところが、この部屋には暖をとるための火鉢に山ほどの木炭に火が点されていた。つまり一酸化炭素中毒にやられたのである。

『狸の入院』(昭和27年・六興出版社刊)。垢石の入院話が収められている。表紙の装画は茂田井武。
 マヌケな話ではあっても、事態は相当深刻だったようで、垢石と美人社長、ともに人事不省となり、ちょいとした心中もどき。
 呼ばれた医者によるカンフルやら強心剤の注射によって応急処置がとられ、意識は戻ったものの東大病院にかつぎ込まれる。ガス中毒の影響で垢石の血圧が異常に高くなってしまったのだ。ところがその日は──、以下『狸の入院』(昭和27年・六興出版社刊)の本文から引用する。
   だが、考えて見ると今日は午後三時から四時ま
  での間に、死んだ高田保の告別式が文藝春秋新社
  で催される。俺は死んでもその告別式へ行つて、
  抹香を三ひねりひねらねば、ならない。なぜなら
  ば、高田は亡者としては俺より先輩だ。万一俺
  が、高血圧のために死んで地獄へ行つたなら、閻魔の庁に高田が待つていて、あの
  皮肉の弁舌で俺の不義理を責めるに違いない。
   それでは堪らないから、なんとしても告別式へ参礼せにやならない。
 なんと、垢石が死にかけてフラフラのとき、『ブラリひょうたん』の高田保の告別式があったのである。妙な因縁といえる。
 というわけで、ともかくも告別式に出た垢石は、そのあと再入院することになる。
 では菅原通濟の登場シーンというと、こちらは『垢石飄談』(昭和26年・文藝春秋新社刊)のなかの「色即是空」と題する一文。
   十月下旬であつた。鎌倉で、菅原通濟の文士
  入門祝賀会が催され多数の文人墨客が集つてに
  ぎやかであつた。
   その翌日私等は、午前中から菅原邸へ招かれ
  たのである。林房雄夫妻、今日出海夫妻など集
  り通濟とその美しい夫人とが酒間を斡旋して、
  百華咲き乱れるの趣があつた。
 このとき、夫人同伴でなかったのは久保田万太郎と、東京からの辰野隆と垢石。つまりご近所からの「無女房」は久保田万太郎のみ。
 その万太郎が、なぜか垢石にからむ。

『垢石飄談』(昭和26年・文藝春秋社刊)河童の装画は杉本憲吉。
  振舞酒にくらひ酔つて人にからむとは、はしたないと思つた。
  随分と上品でないからみ方である。そして、極めてしつこい。
 久保田万太郎なら、ありそうな話だ。このときの菅原通濟の対応がなかなか見事。引用をつづける。
   菅原もこの風景を見て困つたらしい。夕刻になつて菅原は、電話室へ行つてどこ
  かへ電話をかけた。それから三十分ばかりすると美しい久保田夫人がおめかしして
  宴席へ現れたのである。
   万太郎は、嫁たる女房の顔を見ると、にわかに私にからむのをやめて、にやゝと
  した。
 万太郎の気質を知り抜いた通人・通濟ならではの心くばり。
『垢石傑作選集』(人物篇・遊楽篇・綺談篇)の三部作。いずれも昭和28年刊。発行は、あの「粋人酔筆」の発行元であり菅原通濟の『通濟放談』も出している日本出版協同KKで洒脱な装丁は寺田政明。
 釣りの生徒としての井伏鱒二は再三登場する。そのうちの、これも「女房話」として、『垢石傑作選集・人物篇』に井伏の女房のことにふれている。
  この頃は貧亡でもあるまいけど、昔の井伏鱒二の貧亡ぶりはよかつたな。清貧だつ
  たよ、あれは。しかし、あの清貧はどこから生れたかというと、女房からなんだ。
  井伏の女房というのは、ほんとうに水道へ入れる晒粉みてえなもんだよ。あれがほ
  かの女だつたら、井伏は濁貧だつたろう。井伏もみんな飲んじゃうんだ。
 つまり、オレ同様、大酒のみの井伏が、なんとか家を保っているのは女房のおかげ、と垢石はいいたいわけです。
 垢石は井伏より10歳年上。しかも釣りの師匠。この師匠、釣りのこととなるとかなり厳しそう。井伏が鮎釣の囮を川底に引っかけてしまったときの話が井伏の『釣師・釣場』(昭和39年・新潮文庫)に出てくる。

井伏の釣りの師匠として垢石の登場する『釣師・釣場』(昭和39年・新潮文庫)。
  垢石が私に厳命した。
  「俺が竿を持ってやるから、川のなかにもぐって
  囮を外して来い、これは友釣の原則だ。」
 井伏が尻込みすると、
  「お前は、水というものを知らなくっちゃいけね
  ぇ。抱けるだけ大きな石を抱いてもぐるんだ。」
   と睨みをきかせた。
   私は止むなくパンツ一つになって、抱けるだけ
  の大きな石を抱いて流れのなかにもぐった。囮を
  外して川から出ると、私の腕時計は硝子が毀れダ
  イヤルが毀れて用をなさないことになっていた。
 という始末。
 垢石自身の文も見てみよう。『垢石傑作選集・遊楽
篇』(昭和28年・日本出版協同KK刊)の「本谷川の爽秋」より。
   井伏鱒二君と、永井次郎君が餌取りの役である。甲州北巨摩の奥、金峰山と瑞垣
  山の間から源を発する本谷川(塩川)は、水が氷の如く冷く、手もきれんばかり。
  増富のラヂューム温泉の、旅館の橋の土手へ入り込んだ二人の足は、膝から下が真
  つ赤になつて終つた。
 というのは、この本谷川の岩魚と山女魚を釣るための飼・川蟲を取るためである。
   みぎわの石を引き起しては川蟲を取る井伏君の姿は、白豚がはひ廻つているよう
  に見える。ムクムクと肥つたお尻を宙に立てて、ノミ取りまなこである。漫画人に
  見せたらと思う。
 釣りの「新入生」の二人は、この無気味なわらじ形の川蟲をつかまえなければ、後で岩魚を食べさせてもらえないのである。
 この釣りの翌日、井伏は村はずれの路傍で古びた石仏の首を拾うことになるのだが、その話は略。
 『垢石傑作選集』は三部作からなり、先の「人物篇」「遊楽篇」の他に「綺談篇」がある。垢石ワールドのメイン、たぬき、狐、河童、仙人などにまつわる浮世ばなれした話が収められている。
 垢石が随筆家として世に知られたのは、戦前(昭和16年)の『随筆たぬき汁』(墨水書房刊)だろう。戦後すぐの昭和21年には『續たぬき汁』(星書房刊)が刊行されている。垢石とたぬきは縁が深く、たぬきに関わる随筆も多く、また先の『垢石傑作選集・人物篇』では、たぬきの毛皮をチャンチャンコとして着ている垢石自身の姿が口絵に使われている。本人も『狸の入院』などと、たぬきのつもりでもあるらしい。
 前回の菅原通濟は明らかに禅味をただよわせていたが、この垢石はワイルドな「山の人」、つまり仙人の気配がある。
 釣りに熱中しているか、酒びたりになっているかの垢石だが、その風狂(極道といってもいいか)ぶりは当然、家族にとっては悲惨きわまるものとなり

敗戦1年後(昭和21年)に刊行された『續たぬき汁』。みごとな装画は小杉放庵。
、それらを記した文章は、どれもしみじみとした、いや、切迫した私小説的な味わいをもつ。

垢石を至近距離から見た編集者・志村秀太郎による『畸人 佐藤垢石』(昭和53年刊)。記述は垢石の下半身にまでおよぶ。
 なにせ母や父の死の知らせを受けても、そこに駆けつける金が懐にない、という生活ぶりなのだ。ま、絶望的なダメ男ですね。
 「竿尻」なる一文がある。『狸の入院』(「鯰尾堂随筆」)に収められている垢石の父にまつわる話。
   私の父は、七十歳の秋を一期とした。
  野辺の送りが済んだ翌日、私は一竿を携えて利根
  川の水辺に佇んだ。
   家の軒下を出るとき、妻は私の姿を追つてきて
  、うしろから竿尻つかみ、声をうるませながらい
  つた。
  『おとうさん、せめて一と七日でも終つてから出
  かけて下さい』
  『いや、かまわない』
  『おぢいさんが亡くなつて、きようはまだ三日目です。近所の手前もあり、
  や親戚の人達の気持も考えてみた方がよろしいと思います』
  『姉妹や、近所の者には、おれの心はわからない。ほつとけ』
 妻の制止を振り切り、葬式の後片づけをしていた近所の人たちや姉妹の刺すような視線を背に利根川へ向かう。
   汀に立つた。奥利根川は、の季節である。しかし、私は竿を袋から出さなか
  つた。ただ、袋の上から竿を堅く握りしめた。
 垢石の釣りと酒は父からの伝授である。「私が漸く物心つく五、六歳ころ、私をこの汀へ連れてきて、鮠釣の手ほどきをしてくれた」「ほんとうに、漁と酒の好きな父であつた」「なつかしい漁人であつた。やさしい父であつた」──その父の訃報を垢石は流浪の身の東京で受け、友達から、どうにか汽車賃だけ借りて故郷へ戻った、というありさまだったのである。
 凄絶たる風来ぶりとしか言いようがない。
 『垢石傑作選集・人物篇』(「酒友記」)「酒と地獄極楽」の冒頭
   二、三日前、親しい酒友に会つたとき、わしは七十年来酒を飲み、女を買ひ、そ
  して賭博を好んで暮して来た。このままこの生活を続けるということは末恐ろしい
  。死んでも極楽へ行けまい。この辺で酒を禁じ、女を絶ち、勝負事から遠ざかなけ
  れば、この世を辞したのちは、泉下で地獄の責め苦に会わねばならぬと思うから、
  わしはこの際一切の道楽に別れを告げ真人間に帰りたいと思うが、どんなものだろ
  うと問うたのである。
垢石、死の前年に刊行された『日本島美女系図』(昭和30年・朋文社刊)のカバー。装画は岡本夫二。
 などと、殊勝な反省をしているようではあるが、死の前年、昭和30年には『日本島美女系図』(朋文社刊)なる本を出している。
 そのカバー絵がなかなかいい。表紙は垢石らしい爺が芸者の首人形と徳利を前に酒を飲んでいる。しかし、よく見ると尻からはシッポが。また裏表紙は、屏風の内側にはフトンの上に男と女の枕が……。
 そして本文見出しを見れば──「艶姿修道尼」「立膝の深溪」「蛤と浅利の行列」というのですから、垢石翁の粋人ぶり、心強いかぎり。色即是空どころの話ではないのです。
(次回の更新は10月1日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●散歩中の一杯、の仕込杖●
 今回も張り込んだ一物を。
 もう20年ほど前になるだろうか。なぜかロンドンへ行き、当然ステッキ屋をさがした。
 と、なにやら重厚そうな気配をただよわせている一本が。頭の部分が純銀製であることは一見してわかる。落ち着いた光りぐあいをしているからだ。
 軸の部分に目がゆく。もしや……と思って店員に軸を回すしぐさをすると「Yes」という反応。
 おやおや、出てくるわ出てくるわ、細いグラスが2つに、スコッチかブランデーを入れるフラスコ(もちろん蓋がついている)。
 散歩しながら2人でチビチビやるつもりでしょうか。いわばウォーキングバー。気付けがわりにクイッとひっかけて、てごろなパブにでも寄ろうという寸法でしょうか。
 日本で買う3分の1、いや4分の1ぐらいの値段で入手。でも、ぼくにとっては、ちょっとした決心が必要なゼイタク品でした。
一見、きわめてシンプルなステッキのようだが、実は仕込みで
 
な、なんとウィスキー(かブランデー)の、しかも2人分の細いグラスとフラスコが……。
そのアップ。金属部分はすべて純銀製。ロンドンならではのステッキ。

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