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橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 今は、さすがにそんなことはないのですが、かつて、なぜか饗庭篁村と柴田宵曲の名が混乱することがあった。同様に、前回取り上げた岩佐東一郎と矢野目源一がゴッチャになる時期があった。
 (なぜだろう?)と、自分なりに分析したところ、まず両名の名の中の「一」が共通する。さらに、二人ともフランス文芸出身の粋筆家で、戦後雑誌の軟派系のページに粋筆をふるっていたためではないだろうか。しかも、両名が活躍しているころ、ぼくはまだ年少で、リアルタイムでそれらの文章に接していなかった、ということにもよるだろう。
 なんとなく気になる筆者だったのだが、うっすらとした知識しかないので、混乱する。(もっとも、まったく知らなければ、混乱のしようもないので、まだマシか)などと、都合いい弁解は用意されているのだが、閑話休題、その矢野目源一です。

かつて仏文学者の鈴木信太郎を驚かせた早熟の詩人による戦後(1949年・アソカ書房刊)の粋筆『おたのしみ艸紙』。
 最近修得しつつあるパソコンでWikipediaを検索すると(これだけで原稿が書けたら、どんなに楽なことでしょう。しかし……)──矢野目源一、1896年東京に生まれる。慶應義塾大学仏文科卒。フランソワ・ヴィヨンの詩の訳で鈴木信太郎に絶賛される。1920年詩集『光の處女』を出刊。1931年創刊の『文藝汎論』の色ページに、城左門、岩佐東一郎らと執筆。慶大では奥野信太郎と同期。戦後は艶笑小噺など粋筆をふるう。また、ハウザー式と称する健康法を提唱、講演・執筆活動を行う。一部からは奇人と思われていた。(以上、ぼくなりに要約)
 なるほど、先達は仏文学者の鈴木信太郎ですか。そして慶應の同期が、これまた粋筆系の文人としてふれずにはすまされない、中国文学の奥野信太郎、そして、城左門、岩佐東一郎らとグループを組んで
  いた、となると、“粋筆家としてのエリートコース”を歩んできたようなもの。
 鈴木信太郎といえば、なぜか手元に昭和31年・河出書房刊の『世界風流文学全集』のフランス篇(三)の1冊がある。
 編者は鈴木信太郎と(その教え子の)渡辺一夫。函入れで帯もついている。「風流艶笑文学の精粋」と見出しがつき、クレビヨン・フィス/小林正訳『炉辺の戯れ』、ディドロ/新庄嘉章訳『お喋りな宝石』、マルキ・ド・サド/澁澤龍彦訳『二つの試煉・兄の残酷』といった内容が紹介されている。
 この巻のメインは、そのタイトルは知る人は皆知っている、隠れたる好色文芸の人気作品、ディドロの『お喋りな宝石』でしょう。帯文には──好事家垂涎の稀覯書たる本書は女体の一部を象徴する宝石が男女愛欲の秘を告白するという、云々──とあるが、それはそれとして、目をひくのは、澁澤龍彦のサド物が登場していることである。

『世界風流文学全集』フランス篇(三)は鈴木信太郎と渡辺一夫の編。(昭和31年・河出書房刊)。澁澤龍彦が登場している。
   なるほど、人間の欲望を肯定するフランス文学はもともと粋筆と相性がいいのでしょう。岩佐東一郎や矢野目源一が生まれても不思議ではない。
 で、この矢野目源一に戻る。
 つい1ヵ月、いやもう少し前だったかしら、詩とモダニズムの古書店『石神井書林』から最新の目録が送られてきた。おややっ、表紙に矢野目源一の文字が見える。
 高価な詩集を買う習慣はないのだが、目録は、ありがたく拝見できる。
 ありました。第一詩集の『光の處女』(大正9年)126000円。矢野目富美子刊とあるので自費出版でしょうね。
 『聖瑪利亞の騎士』(大正14年・発売元・籾山書店)も同じく126000円。
 生原稿が出品されている『カンディド』全翻訳原稿(400字用紙289枚・紐綴)189000円。注があり──「原稿用紙は第一書房専用箋が使われており、戦前の仕事であることがわかる。(中略)しかし、戦前戦後を通じて、これは出版されていない。未刊に終わった長篇翻訳原稿。極稀品」。
 なるほどなぁ。ぼくに経済的余裕があれば、この「極稀品」の原稿を買い取り、凝った造本で世に出したいのだが……。と、なると、原稿料としてのこの189000円は安い。
 などと、かなわぬ妄想にたわむれていても仕方がない。戦前のフランス詩訳者ではなく、戦後の艶笑系の矢野目の粋筆にあたってみよう。

これは矢野目源一『おたのしみ艸紙』(1949年・アソカ書房刊)の本扉。このイラストレーションはひょっとして洋書からの転載?
 1949年(アソカ書房)刊の『おたのしみ艸紙』。敗戦から4年の出版だから用紙は当然、粗悪な仙花紙。しかし、扉をはじめ、本文のところどころに、エロティックなイラストレーション(海外の漫画の転載?)が配され、楽しんで本造りされた気配が伝わってくる。
 その本文だが、ほとんど全文が、いわゆる艶笑小噺。このうちの「佛蘭西藝術家氣質」の章から一部紹介すると
   十八世紀の画家フラゴナールがスタール夫人と
  ルカミエ夫人の間に座つて、有頂天になつてこの
  佳人才女に万遍なく御世辞を使つてゐたが、どう
  しても容色ならぶものなき後者の方に思召がある
  らしいのを見て、スタール夫人が少し中つ腹で駄
  目を押した。
    「ところで、どうでございませう。もし私共が二人とも水に落ちたりいたしました
  場合、どちらをあなたは先ずお助けしやうとなさるでせうね」
  「おゝ、男爵夫人よ」とフラゴナールは答へた。
  「あなたはきつと、天使のやうに泳ぎなさることがお出来になると確信して居りま
  す」
 もう一話。
   フランスのツールーズの町の評判の美人で、人呼んで「ドルイエ女大統領」とい
  ふ名物女がいたがこの女性は恋愛情事の世界に於けるさまざまの面白い驚句を吐い
  てゐるので有名である。なにしろこの女の一言一句はかのオスカア・ワイルドを始
  めとし、幾多の文人達が好んで引用するところであるから大したものである。
   或日、彼女は自慢して曰く、あらゆる誘惑に対して最も確実な対策を知つてゐる
  のは天下広しと雖も自分のほかにはあるまいといふのだつた。(中略)
   彼女は仲々その秘訣を明かすことを肯んじなかつたがつひに人々の懇望もだし難
  く、マダム・ドルイエは口を開いた。
  「人の誘惑を止めさせるために、一番確かな秘訣といひますのは、つまり、これに
  負けてしまふことですわ」
 と、まあ、こんな調子。
 もう1冊、手元の矢野目本を見てみよう。こちらは『おたのしみ艸紙』から6年後の昭和30年・美和書院刊の新書判。『席をかえてする話』。いいタイトルです。
 カバー袖のコピーに
   ヴィヨンの粋訳、美容学の始祖、フランス小咄
  の矢野目源一氏が、ハウザー式精力法の余滴をふ
  るった珍談綺譚、随筆ならぬ粋筆のかずかず。そ
  の道この道求道の士待望の書遂におめもじ。
   坊やお寝み時間の特集版。
 と、なかなか要を得た達者な文。
 本文の内容は、こちらは小噺というより、随筆集。たとえば「銀座酒場昔語り」では、中学の卒業のお祝いに、なんと女給のサービスで知られたカフェー・ライオンに入り「五色の酒(ブース・カフェ)」というリキュールを飲んだ話なども語られるが、ほとんどは東西の艶笑うんちく話。

これも矢野目源一『席をかえてする話』(昭和30年・美和書院刊)。当時、このような新書が流行したのです。といってもぼくはまだ中学生になるか、ならないかの年。
   本文からの引用は控えて「序に代えて」から著者の言葉を聞こう。
   私は戦後のあの陰惨な世相の中で、なんとかして潤いと笑いの余佑を回復して自
  分自身救われたいと、こういうものを書きつづけてまいりました。
 とある。たしかに好色噺、艶笑譚は、人が生きるための潤滑油であり、体液(ユーモア)の代りであったのでしょう。
 小噺といえば、こちらも仏文学者の田辺貞之助。専門のフランス文学の翻訳のかたわら、フランス艶笑譚から、好色江戸小咄、川柳まで、粋筆系の著作に健筆をふるった。

ドンとぶ厚い田辺貞之助『古川柳風俗事典』(昭和37年・青蛙房刊)。内容はいわゆる“破礼句”がふんだんに収録されています。
 よく知られ、今日でも古書店などで、その勇姿(部厚いハードカバー、函入り本)を見かけるのが『古川柳風俗事典』(昭和37年・青蛙房刊)。
 東京大学仏文科卒(1928年)の田辺貞之助が、なぜ江戸川柳なのか(といっても、ぼくなどは、この著者は、こちらが専門の江戸文学者か、と思っていた時期があるが)。これについては、この本の「まえがき」にきちんと記されている。ちょっと奇譚めいている。その一文は、
   去年の春ごろだったと思うが、新潮社の松村泰太君か
  ら、「出物の原稿を買わないか」という、妙な電話がか
  かってきた。
 その原稿とは「筆者不明の古川柳の集大成で、全十六巻」で「項目は約五百、句の数は三万にあまるだろう」というもので、田辺は、
   これだけの句をえらび出し、類別し、書しるすには、
  優に五六年はかかるだろう。あるいは暇にまかせて、一生をかけた仕事であったか
  もしれない。とにかく、余程の好事家の筆になるものにちがいない。
 と驚嘆する。そして、すぐに
   こういう精魂こめた原稿をなぜ売ったのだろう。いくら貧乏しても、とうてい手
  放せるものではない。(中略)総目次までつけてあるところを見ると、この原稿を
  出版することを、終生の念願にしていたのではあるまいか。それが事志と反し、畢
  生の遺稿を、その死後、わずかの金で売りに出される羽目になったとは!
   ぼくはそぞろに哀をもよおした。
 その原稿を田辺は懇意の出版社、青蛙房の主人に、入手の経緯(いきさつ)を語りながら見せる。と、青蛙房主人「この原稿を十分に利用しつつ、さらに視野をひろげて、川柳から見た江戸風俗に重点をおき、先生独特の解説をほどこした句集をつくりませんか」とすすめられる。当初は、門外漢なので、と固辞するが結局「一大決心をして」承諾することになる。
 そして、手を入れた自分の原稿を読みかえしてみると
  三十数年身にしみできたフランス臭のおおいがたいものがあるのにおどろいた。と
  いうのも、フランスにはバルザックやゾラのような偉大な風俗画家がいないわけで
  はないが、文学の大勢が人間の情念と感傷と愛欲の描写に終始し、それがいつの世
  の文学にも強烈な体臭をみなぎらせている。そこにフランス文学の人間性があるわ
  けだが、この『古川柳風俗事典』も、風俗と銘うちながら、むしろ人間臭の事典と
  なっている。
 と、まさに「粋筆」の本分を訴えるような一文を記している。
  内容は──
   あれ死にますと恋病みけろり治し
   蛤の出るまでまくる汐干狩
   子のものは親のものだに嫁困り
 といった古川柳が紹介され、短い解説が列記されてゆく。興味本位で読んでいても、かなりの江戸文化通になれるでしょう。
田辺貞之助『風流粋故伝』(昭和55年・新門出版社刊)。このテの本は、古書店の均一本コーナーやワゴンセールによく見かけたのですが、最近はめっきり出合わなくなりました。   東京本愛好家ならまず手にしているでしょうの1冊、田辺貞之助『女木川界隈』(昭和37年・実業之日本社刊)。自伝的随筆集として貴重。
   『古川柳風俗事典』で、このフランス文学者は江戸好色事情に通じたのでしょうか、このジャンルの著作を多産する。たとえば、この1冊も。和洋の艶話を集めた『風流粋故伝』(昭和55年・新門出版社刊)。
 と、まあ、艶笑、風流本の巨匠の地位を確保したような田辺の著作に『女木川界隈』という、こちらはお色気系ではない、東京・下町育ちならではの随筆集がある。「女木川」とは今日では「小名木川」。隅田川の支流で、芭蕉と縁の深いところ。著者の生まれ育った地である。
 その袖文を、ご存知、フランス文学の泰斗にして世間通の辰野隆が寄せている。実にめんどう見がいいですね、後進に対して、辰野先生。まさに「粋人、粋筆を知る」といったところでしょうか。
(次回の更新は6月1日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●コルドバで見つけたジェントルな仕込み杖●
洋銀に装飾がほどこされたヘッド部分
 久しぶりで「仕込み系」でいきましょう。これはスペインのコルドバで発見、入手。
 泊まったホテルから、しばらく、坂を下って、突き当たったところに、ご当地の民芸品とか、美術品のレプリカを売っている店があった。
 店の奥の柱の脇にステッキが、そう、20本ほど立てかけてある。その中の1本がこれで、洋銀に細かな彫刻がされている。石突きの部分を見ると、いままで見たこともないような様式で、ここにも装飾が。
 もうこれだけで入手する気持ちになっていたのだが、ちょっと気になることがあって、ヘッドを強く握り、クイッと捻ると……やはり、スルリと回転した。そう、これは仕込み杖だったのだ。普通の杖にしては少し太い。
 ここで、こちらの方をウォッチングしている店員の顔を見ながら「引き出してもいい?」とジェスチャーで問いかける。向こうも「OK」とジェスチャーで返してくる。
 ならば、とゆっくり引き抜くと、スルスルスルと細い剣が。おっと!これは国外へは持ち出しできないかも、と思ったら、剣の先は丸くなっているし、剣そのものも実戦には耐えられる材質ではない。セーフ!
 「ヨシ、ヨシ」と、安堵しつつ、嬉しく入手した1品。この杖を手にして、しげしげとながめていると、あのときのコルドバでのあれこれが思い出されるのです。
 海外での、ちょっとした小物を手に入れるのは、この効用があります。ぼくの場合、1本のステッキが、記録されたビデオの役を果たしてくれるのです。棒状の記憶。
こういうデザインの石突きは珍しい

ヘッド部分を捻って引くと……


仕込みを抜いたヘッド部分の上下

  剣が本物でしたら、もちろん持って帰国などできません

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