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外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 フランス文学者にして江戸っ子気質横溢の粋筆家・辰野隆に関しては、前回のみで、他の粋筆家に移ろうと思ったのだが、ちょっとしたことを思い出して、少々、流連(いつづけ)することにしました。
 その、思い出したこと、とは、辰野隆、徳川夢聲らの座談に関連して──知っている人は皆知っている名座談会「天皇陛下大ひに笑ふ」。
 これが、まあ、とんでもない座談会で今日では絶対考えられない(のでは)。
 メンバーは他ならぬ辰野隆、徳川夢聲、それにサトウ・ハチロー。
「文藝春秋」昭和24年6月号掲載の「天皇陛下大ひに笑ふ」に添えられた似顔絵。右から辰野隆、徳川夢聲、サトウ・ハチローの面々。
   ところで辰野隆だが、前回、その会話内容をちょっとだけ紹介したように、コード、スレスレのお色気噺の名人。ま、仏文学界の三遊亭艶笑師匠、といったご仁。この粋人(仏文)学者は、この前年九月には、フランス革命について天皇にご披講している。
 辰野の脇を固めるのは、名うての不良、「くらがり二十年」の徳川夢聲とエンコ(浅草公園)のサトウ・ハチロー。
 不穏なメンバーです。この3人が昭和24年(敗戦から4年)の春、皇居に呼ばれて天皇の前で座談会をご披露するというわけ。座談の人選は辰野隆にゆだねられたはず。
 で、事のてんまつだが、この座談会の話を小耳にはさんだ文藝春秋の池島信平が、「それいただき!」ということで、すぐさま当日と同じメンバーで鼎談が催される。(掲載は同年6月号)。このとき、池島信平とともに「週刊朝日」の扇谷正造も同席していたのだが、扇谷は「今さら天皇陛下でもあるまい」と反応しなかった。文藝春秋はこの座談会以降、部数を大幅に伸ばしたという。この勝負では池島信平さんの勝ち。
 手元に「復録版昭和大雑誌」(全3冊)がある。そのうちの「戦後篇」に、この座談が収録されている。本当は全文紹介したいところですが、そうもいかず一部だけ引用します。

「天皇陛下大ひに笑ふ」が復刻収録されている『復録版 昭和大雑誌 戦後篇』。このシリーズには、昭和戦前篇、戦中篇の他に大正篇、明治篇がある。
  徳川 それでね、まず辰野先生の挨拶から始ま
  つたわけですナ。
  辰野 こつちは御案内役ですからね。両大人を
  御紹介しなければならないんだ。どうも仕様が
  ない。「今日は図らずも昔の不良少年が、一人
  ならず三人まで罷り出でまして洵に畏れ多いこ
  とでございます」と申上げたら、陛下が「あツ、
  さう。アツハアハア……」とお笑ひになつた。
  (笑声)
  徳川 あの開幕がよかつたですよ。
  (中略)
  ──そこでですナ、話の順序はね、今の辰野先
  生の御紹介から始まつたんですよ。それでサト
  ウさんが中学を八校も変つたの説明になつたん
  です。すなわちユニホームの話ですナ。ちよつ   と復習してください。
    サトウ あたしがね、或る年の春の野球大会へ立教中学のユニホームを着て出たん
  です。その年の春の終りの大会の時は高輪中学のユニホームを着て出たわけです。
  その次に夏の大会のときは藤沢中学のユニホームを着て出たんです。さうしたらア
  ムパイヤをやつてた佐々という慶応の人が「お前、さうユニホームを変へて来るな
  よ」(笑声)
  徳川 これは陛下がお笑ひになつたです。しばらくは陛下のお笑ひが停らなかつ
  た。ほかの話に入つちやつたのに、まだしばらく笑つておられたんですナ。
 なるほど、面白いですねぇ。この鼎談。こんな話も出る。
  辰野 (中略)──初めはサトウさん、謹直でしたよ。ところが、何となく春風駘
  蕩たる気もちになつてね、サトウさんは気がつかないけどね、「ねえ陛下……」と
  言つたナ。(笑声)二度くらゐ言ひましたよ。
  サトウ それは知らなかつたね。
  辰野 「ねえ」をつけないと、あとの言葉が円滑に出て来ないやうな気分でした
  ね、実際。いきなり陛下、と申上げるのが却て呼びすてにするやうで、失礼ではな
  いか、といふ心持ちだつたのでせうね、自然に云はうとすると、つい、ねえが付く
  んでせうね。
  徳川 僕は二度ぐらゐ、あツ、これは言葉遣ひがいかん、と思つたことがあります
  よ。
  辰野 いや、しよつちゆうですよ。(笑声)
  記者 陛下は放送の時なんか、非常に丁寧な言葉をお使ひになつてますね。その時
  はいかがでした。
  サトウ 別にそんなことはなかつたです。
  徳川 チヤンと陛下にふさはしい言葉の使ひ方をしてをられたナ。うん。例へば
  「あの……映画のほうは忙がしいの」なんて訊かれたりしてね。
 ははん、昭和天皇は前から「〜のほうは」と言われていたんですね。「あの…ケガのほうはもうよくなりましたか」とか。
「天皇陛下大ひに笑ふ」の次の項には、こんな記事も再録。題して「天皇一家の配給生活探訪記」。いかにも敗戦直後の企画と記事です。(「真相」昭和23年8月)
   そして最後は「お土産」の話。
  辰野 おしるこが出て、呑み助三人にはいい気味だと思つてたら、お土産が桜正
  宗と御紋章入りの煙草、その時に出たお菓子と。
  サトウ 僕はあのお酒を戴いたために、家の子郎党を集めましてね、あれを一盃
  づつといふことになつたんですよ。ところが、集つたのが十八人でせう。たうと
  う八升追加しちやいましたよ。
  徳川 それは大変だ。高いものについちやつたナ。然し嬉しい失費さね。わたし
  はね、岩田豊雄氏に持つていつちやつた。
  サトウ あの人は酒にうるさいからね、喜んだでせう。
  徳川 喜びましたよ。二合五勺ほど飲んだらいい御機嫌になつちやつた。わたし
  は目下飲みませんからね。帰らうとしたら、いいよ、もう少しゐろよ……。仕方
  がないから話し相手になつてましたがね、二合五勺で御機嫌になつて、もう帰れ、
  いいよ……。ずいぶん勝手な奴だ。(笑声)
  辰野 わたしは家へ帰つてみたら、戴いたお菓子が粉ごなでしたよ。あれから何
  処かへ寄つて飲んだんですナ。夜晩く帰つて、みんなを起こしてね、お酒はお前
  達は飲まないから、俺と親友とで飲む。煙草は俺が戴く。長男は少しのむから少
  しやらう。お菓子は女達にやる。出したら粉ごなでね。女類どもはそいつを指で
  摘んで食べちや喜んでたよ。
 ──人、それぞれ、いい話ですねぇ。そうそう、夢聲の話の中で「岩田豊雄」の名が出てくる。ペンネーム、獅子文六のことだ。夢聲が獅子文六と親友であったことを思い出した。

「週刊朝日」の人気連載、徳川夢聲の「問答有用」を再録。夢聲再評価を訴えている。(平成6年・深夜叢書社刊)
 座談といえば、ついでにもうひとつ。神保町のガレージセールで「徳川夢聲の世界 問答有用」(文学者篇U)を見つけた。(平成6年深夜叢書社刊・《遙かなる昭和》叢書シリーズの1冊)
 ここに『随筆寄席』の一篇が付されていた。ゲストは井伏鱒二。すでに紹介ずみの『随筆寄席』、ぼくは1,2集は持っているが、その中に井伏鱒二の登場はない。『随筆寄席』はどうやら第4集まで出たらしいので、その中の1回だろう。
 その話の内容は、ここでは紹介しないが、この回のとき夢聲は遅れて参加。どちらかといえばオトボケで無口の井伏に対し、また、いつもなら辰野の話にツッコミを入れる夢聲がいないため、ちょっと痛々しいほど孤軍奮闘、サービスをする辰野の姿がうかがえる。
左右2冊とも要書房という出版社から刊行。(『男女問答』は昭和25年刊。『老年期』は昭和26年刊)どちらも辰野隆が得手とした対話形式のエッセイを収録。
   ところで、この辰野隆はよっぽど、座談という表現スタイルが気に入っていたようで、手元にある『男女問答』(昭和25年・要書房刊)は全篇、座談形式の本づくり。もう1冊。『老年期』(こちらも要書房刊で翌昭和26年発行)の第1章は、これも「老若問答」と題する対話形式。
   そうそう、前回、本のタイトルと装丁・熊谷守一のことだけふれた辰野の『河童随筆』、お色気随筆ではないマジメな顔の文も集められている。東大の法学者から「狂人」とあつかわれたジャン・ジャック・ルソー擁護の一文、「索寞たる家庭(ルナアルの母)」と題する、あの「にんじん」の作家の「全生涯に亘つてこれほど憎み合う」母子の関係にふれた一文、あるいは「佛蘭西革命夜話」、また「モーパッサン寸感」などなど、仏文学者としてのエッセイが読める。
 といっても、やはりこの随筆家の真骨頂は粋筆ではないかしら。「善友悪友」と題する一文、うなりました。一部だけ紹介して、この稿を終えます。
   物心がついてから六十歳の今日まで、凡そ通り一片の、表通りだけの友人は例外
  なく善友良友でした。ところが心友親友となると、これは悪く悪友ばかりであるの
  は、自ら顧みて驚くほかはない。
 と、この文は始まります。そして──
  専攻を同じくした故人山田珠樹は言ふに及ばず、豊島興志雄にしても、現に同僚の
  鈴木信太郎、渡邉一夫、中島健蔵、京都の伊吹武彦、絶えず逆説の匕首を研ぐ小林
  秀雄、風狂の三好達治、酔狂の今日出海、空即是色の淀野隆三、笑殺の魔河盛好蔵
  、黙々鯨飲の川口篤、静寂なるドン・キホーテ市原豊太、反逆の紳士杉捷夫、不撓
  のバルザシャン水野亮、白水流寝業の達人豪飲の草野貞之どちらを向いても破戒無
  慚のともからばかりです。
 と、仏文系文人を中心に錚々たる名が連なるのです……。ほんと、持つべきものは悪友でしょうね。
(次回の更新は4月15日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●ややっ、この絵柄はもしや?●
 もう20年以上前になるのでしょうか。拙速の拙文をまとめた拙著が、めずらしく売れて、思わぬアブクゼニを手にした友人(この本のプロデューサー役)が「お礼に」とイタリア旅行に招待してくれた(ツアーの激安チケットだったけど)。
 ローマのトレビの泉の脇の手袋屋(「ローマの休日」に出てきます)で彼女用の手袋を物色したり、適当なカフェでバカデカイ、フラン(プリンのこと)やミルフィーユを食いちらかしたりしながらローマの町をプラプラ散策しているときに、一軒のステッキ屋に遭遇する。
 たしか、通りの名は「ガンベロ通り」とか言ったはず。そのステッキ屋、あるある、何十本、いや何百本。カジュアルなものから、ヘッドがゴールドと宝玉で飾られたアンティークの超高級品まで。
 口の中がカラカラに乾くくらい興奮して、あれこれ物色。純銀ヘッドのイニシャルの入ったもの(自分用と友人用1本ずつ)、ボクシングのレリーフがついたもの、そして、もう1本、(なんだろう、この図柄は?)と気になったのが、このステッキ。
 大きな眼がデザインされていて、なんかシュールとかダダっぽい。アンドレ・マッソンとかマン・レイとか、あるいはピカビア?(とにかく日本では絶対に見かけない図柄なので買っとこ)と入手。
 さて、後日、銀座のデパートの催事場でアンティーク祭り、みたいなことをやっていたので、立ち寄り、あれこれ素見(ひやか)していると、あるコーナーで妙なものが売られている。
 これが、フリーメイソン・グッズ。主にバッジや紋章──。で、その図柄によく似たのが、いろいろ。
 うおーっ!ぼくがローマで入手したステッキはフリーメイソンの紳士用のものであったのか!嬉しいような、ちょっとビビるような複雑な気持ち。
 けっこう愛用してます。

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