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新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回につづいて、第1期プラトン社版「苦楽」(大正13年1月創刊)と、第2期苦楽社版「苦楽」(昭和21年11月創刊)を机の上に並べ比べつつ見てみる。
 第1期「苦楽」創刊号。まず目に入るのは表紙の題字の美しさ。アールデコ風のいかにも大正末期のハイカラで快楽的なデザイン。
 また、本誌の他に、文庫判よりひとまわり大きいサイズの付録がつけられている。題して『代表的五代名家 戯曲傑作集』。
 五代名家とは? これがすごい。谷崎潤一郎、菊地(注・ママ)寛、山本有三、久米正雄、里見
大正13年1月刊第1期プラトン社版「苦楽」創刊号。モダンでオシャレな高級娯楽誌の雰囲気。   アンカット、フランス綴じの付録。もったいなくて、まだペーパーナイフを使ってません。
   目次を見る。主だった執筆者をピックアップしてゆくと──里見、小山内薫、吉井勇、岡本綺堂、直木三十三(後の三十五・直木賞はこの人の名に由来)、白井喬二、平山蘆江、久保田万太郎、小島政二郎、川路柳虹、吉井勇、宮尾しげを、池部釣、細木原青起、正岡いるゝ(注・ママ)、吉岡鳥平、三宅周太郎、市川男女蔵、花柳章太郎、市川小太夫、尾上栄三郎、中村扇雀、といった文芸界、挿画界、また演劇界の主だった面々。
 加えて、新しい才能を発掘しようとする姿勢だろうか(直木三十五の方針?)、今日、私のまったく知らぬ名の筆者も多数参加している。

 また目次には名前が見当たらないが、意匠部、つまりデザイン部の山六郎、山名文夫。また川口松太郎とともに「苦楽」創刊に馳せ参じた岩田専太郎も専属挿画家として絵筆をふるっている。
 実に豪華な陣容ではありませんか。この大阪のプラトン社、関東大震災の被害をこうむっていないので、ここぞとばかり、ひとり気を吐く気迫のこもった編集ぶりがうかがえる。
上下ともプラトン社版「苦楽」創刊号の目次
 対する第2期「苦楽」。第2期「苦楽」は終戦の1年半後に創刊にこぎつける。それも,印刷所の文寿堂が海軍放出の用紙を入手していて可能のことだったようだ。
 といっても、その本文用紙は、すぐに薄ぎたない茶色に変色してしまう、いわゆる仙花紙。そんな悪条件の中での刊行の苦楽社版「苦楽」、影の主役は、「鞍馬天狗」でベストセラー作家となった大佛(おさらぎ)次郎(という紹介では大佛氏に申し訳ないですが)。
 東京府立一中、一高から東京帝国大学法学部と進み、女子高の教師、外務省嘱託職員の経歴をもつ大佛はプラトン社版「苦楽」を全冊購読、所有していたという。

 その、戦後版「苦楽」の創刊号を見てみよう。表紙は鏑木清方。これはもちろん大佛次郎の方針だった。
 後に大佛は──私は編集に当る須見正義、津川溶々、営業の田中延二に、「苦楽」は鏑木清方と十五代市村羽左衛門だけで行くのだと、冗談に云い、表紙を清方先生にお願いし──と語っている(『安藤鶴夫作品集・1』月報より)
 さて、その目次。
 「女性美」と題するグラビアページに、西崎緑、大佛次郎、藤田嗣治、宮川曼魚、東郷青児、花柳章太郎が、これはと思う女性を写真でお披露目している。いわゆる、お楽しみページ。
 巻頭は、この雑誌のウリになる「名作絵物語」。名作のダイジェストと挿画で8頁構成。第1回は夏目漱石作『坊ちゃん』、絵は中川一政。
 
苦楽社版「苦楽」創刊号の目次。  

戦後「苦楽」の創刊号の扉はプラトン社「苦楽」でデザイン、イラストを担当した山名文夫。まるで資生堂のポスターのようなタッチ。それもそのはず……。
 本文扉、おや、この、もうまるで資生堂のポスターのような絵は山名文夫ではありませんか。もちろん、第1期プラトン社版で彩管をふるった山名文夫。
 本文に入る。筆頭は里見。目次を追っていけば、つづいて佐藤垢石、秦豊吉、石黒敬七、澁澤秀雄、内田誠、花柳章太郎という戦後活躍する粋人粋筆系の文章が載る。
 次に森田草平の「戦犯歌舞伎芝居」と題する、いかにも戦後すぐの、いかにも「アメリカ様」的歌舞伎批判があり、メインの小説陣には久保田万太郎、上司小剣、菊池寛、長田秀雄、白井喬二、加藤武雄、吉屋信子、宮川曼魚、大佛次郎、とつづく。(私は事務所への電車の中で、ひろい読みをし、上司小剣と長田秀雄の作品を読み切ることができました。他は、読了せず。にしても戦後「苦楽」の創刊号を電車の中で読んでいる人間なんてこの半世紀の間で誰もいなかったのでは、と、妙な優越感?)
   他に、芸談録として喜多村緑郎。短歌を吉井勇、俳句を中村汀女らが寄せている。
 と、もう一人、これを忘れてはいけません。平山蘆江が「東京おぼえ帳」の連載を開始している。(安藤鶴夫のデビュー作にて傑作「落語鑑賞」の連載は次の2号目から)
 これら目次の挿画が山本武夫。ちなみに山本武夫は小村雪岱を師とする画家で、雪岱、山名文夫、そしてこの山本武夫の三人、いずれも資生堂のデザインに関わっている。

 さて、第1期と第2期の「苦楽」それぞれの創刊その間、22年の時が流れている。大正末から激動の昭和、それも、戦中戦後を経過する。
 第1期と第2期の本の姿を見れば、その差は一目瞭然。プラトン社版の高級娯楽文芸誌の瀟洒な感じに対し、第2期の、いかにも戦後の焼跡派的仙花紙による貧相な造本。
 しかし、こうして、二誌の目次をチェックすると、20年以上の歳月の経過がありながら、第1期と第2期の執筆者の顔ぶれが微妙に重なりあっていることに気づかされる。
 第1期、第2期の創刊号、ともに寄稿しているのが、里見怐A花柳章太郎、久保田万太郎、菊池寛、吉井勇、平山蘆江、そしてすでにふれたように、プラトン社版「苦楽」のエディトリアル・デザイナーにしてイラストレーターの山名文夫が第2期の扉の挿画を引き受けている。また、両誌にまたがり、深く両誌とかかわった挿画の岩田専太郎。
戦後「苦楽」の創刊号、久保田万太郎の作品に岩田専太郎の挿画が。   鋭い線が持ち味と思われている岩田専太郎の“意外”にも軟らかなタッチ。巧いですねぇ。
 第2期「苦楽」の執筆陣の人選は、まず大佛次郎によるものだろう。大佛はプラトン社版「苦楽」を、敗戦により焼土と化し、荒廃した日本人の心に、かつての「苦楽」の文化を復活・復興しようとしたのではないだろうか。
 第2期「苦楽」の創刊号の(坐雨盧)名による「編集後記」を引用する。
   終戦後、一番情ないと思つたのは日本人が揃つて自分への信頼を失くして了つた
   やうに見えたことである。(中略)維新後に一番急進的でハイカラな思想は、時
   代の檜舞臺に登つた地方出の官僚の間からは生れず、舊弊と目されて時世から取
   殘された元の幕臣の間から世間に贈られたのである。その意味で、私どもは頑固
   で舊弊な日本人の雑誌として「苦楽」を出發させて決して悔ひない。(後略)

 貧相な第2期「苦楽」の尊い決意表明である。そして、それが辛くも平山蘆江、安藤鶴夫の代表作を生み出すことになる。
 
《この項、次回に続く》
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。

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