山本タカト 幻色のぞき窓
高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回の文章に添える図版を渡すため、この連載の入力からレイアウトetcのすべてを担ってもらっている、芸術新聞社のNさんと靖国通りぞいの喫茶店へ。
 Nさん、なぜかニコニコと、本の入っているらしき紙袋を「はい、これ」と差し出す。
 (なにか面白い新刊がでたのかな)と思って、袋の中から本を引き出すと、これが、なんとまあ、何度も入手できないと、愚痴というか嘆いていた須貝正義著『大佛次郎と「苦楽」の時代』!しかも美本。
 「よくありましたね!どこで?」
 と息せききって聞くと、Nさん、いっそうニコニコと、「それが、会社の目の前、Y書店に。ダメモトと思ってネットの『日本の古本屋』で検索したら、一冊、出てきたんです。Y書店にあると」
 しげしげと『大佛次郎と「苦楽」の時代』を手に取って、カバーを見る。

こういう装丁でしたか!しばらく前からさがし求めていた。須貝正義『大佛次郎と「苦楽」の時代』。顔の主人公は大佛次郎? 手にする2つの面は「苦」と「楽」。ちなみに「苦楽」の英訳は「LIFE」とのこと。
 眼鏡をかけた中年の男が両手で二つの面を手にしている。面の表情をみると、なるほど「苦」と「楽」か。とすると、それを手にする人物は著者?いや大佛次郎に似ている。
 描くは大佛次郎同様、当時の鎌倉文化人の一人でもあった漫画家・横山隆一。
 うれしいですねぇ、編集者Nさんの、こういう心づかい。それにしても、ぼくなりに覚えたてのネットで、この本をさがしたはずだったんだけどなぁ。版元の紅書房にも連絡したし。
 そこで、ぼくは、いまさらながら、学習した。
 (だったら、いま取り上げている「漫画讀本」の創刊号も『日本の古本屋』で入手できるかも。それから、ついでに終刊号も……)と思って検索すると、「漫画讀本」のバックナンバーがダーッと並ぶ中に、やおら、昭和29(1954)年12月の創刊号と、昭和45(1970)年9月の終刊号まで出てくるじゃありませんか!
昭和29(1954)年の創刊号と昭和45(1970)年の終刊号。 この間に15年数ヶ月の歳月が流れた。
 あせり気味の気持ちを抑えて、それぞれの古書店へ電話(まだネットで注文する技術はない。デスクを並べる私より10歳も若いスタッフもまるでダメ。情けないなぁ)。
 それはともかく、めでたく入手した2冊。上に掲げた左が創刊号、右が終刊号というわけ。
 前回は本が手元になくて触れられなかった創刊号を開く。表紙は横山泰三。巻頭カラーページが横山隆一による「天皇御一家歳末風景」。12月23日は皇太子(現・天皇)がおぜんの上のバースデーケーキのロウソクを息を吹きかけて消すシーン。12月24日は「クリスマス・イヴ」と題して、なんと天皇と皇后が組み合って、ダンスを踊るシーン。
 戦後の「人間天皇」の御一家の様子といっても、もちろんマンガ的創造力の産物である。でも、今日こういう内容の漫画、大手出版社が掲載できるのかしら。まっ、漫画家も自粛して描かないでしょうけど。

創刊号の巻頭を飾るカラーページは当時「漫画集団」を率いる漫画家・横山隆一による「天皇御一家歳末風景」。スゴイですね、コレハ。
 にしても……この作品、見たことがある。ということは、過去、創刊号をバックナンバーで買って、すでに切り抜きをしていたか。
 いや、もしや、と思って、ぶ厚い「漫画讀本」(本文552ページ)傑作選(昭和57年11月刊)に当たってみると、やっぱり、その巻頭が、この「天皇御一家歳末風景」でした。
 この、「復刻総集篇」の扉のあいさつ文には──「まずは、創刊号に掲載されて文字通り“洛陽の紙価”を大いに高めた横山隆一の幻の話題作」──と紹介されている。この作品、当時でも評判を呼んだのでしょう。
 改めて目次を見てみる。絵は清水崑で上下MANGATOKUHONの大文字小文字が女性の顔の一部になっているという、のんびりと他愛のないもの。
創刊号目次。数人の物書きの他はすべて漫画家による構成。「ダムの水を一ぺんに放水したようなもんです」とは、この「漫画讀本」の創刊のきっかけをつくり、この雑誌の主柱のひとり横山隆一のことば。
 目をひくのは「漫画に関する十二章」と題する伊藤整、「漫画以上のもの」花森安治、「世相を映す鏡」伊藤逸平による漫画論。
 筆の立つ漫画家として、近藤日出造による懐古随筆や、富田英三、六浦光雄らによる軟派ルポ。
 「大人用活字漫画」と題しての、お色気鼎談は東郷青児、福田蘭童、齋藤達雄ら強者たちの虚実入り混じっての(?)女人話。
 前回もふれたが、この「漫画讀本」のウリの一つ、海外漫画の紹介(戦後すぐ(1946年5月)創刊の諷刺雑誌「VAN」の名)編集者・漫画評論家・伊藤逸平の協力を得ての?)も充実している。
 S・スタインベルグ(アメリカ)、A・フランソワ(フランス)、E・O・ブラウエン(ドイツ)、R・ペイネ(フランス)、C・アダムス(アメリカ)ら、以後、日本人にもよく知られるようになる海外の漫画作品が掲載される。とくに恐怖とユーモアのC・アダムスは5Pの小特集あつかい。
 ところで、創刊から15年と数ヵ月後の「漫画讀本」終刊号に、横山隆一による創刊時前後の裏話が披露されている。貴重な記録だ。紹介したい。「漫画讀本ロケット」より。
   昭和二十九年の夏、文春講演会で、東北地方へ行ったときのことです。文士の講
  演会に漫画家が加わるようになったのも、池島信平氏の計画です。(中略)
   池島信平さんと向いあってすわっているうち、雑誌の話が出ましたので、私は、
  漫画讀本を出しなさいよと切り出しました。
   当時、文春では、涼風讀本、秋燈讀本、炉辺讀本、人物讀本、スタア讀本など讀
  本増刊を続けて出していたので、私が漫画讀本と最初から題名まできめて話したの
  も、決して創意ではありません。
   その時、私は、池島信平さんの質問でこの話が実現するという確信を得ました。
  というのは、よしやろうというのではありません。漫画界の現状と、漫画界で供給
  できる原稿のダムがあるかどうかということだったのです。ちょろちょろ流れる水
  を集めて汲んでは、本は作れないというのです。無限に貯えられた貯水湖のような
  漫画資源があるかどうかという質問です。(中略)
   十二月に臨時増刊(坂崎注「文藝春秋」の)の漫画讀本が出ました。編集長は
  田川博一氏でした。
   この増刊が京都で一日で売り切れたということを田川さんから聞きまして、私は
  びっくりしました。新しいことの好きな京都で切り売れるということは、このロケ
  ット上昇に物凄(すご)い推進力を加えました。
 とある。
 敗戦後から、やっと九年。それにしてはモダンで上品なお色気と、ほとんどタブーなき諷刺、それに加えて目を見張らされる海外漫画の力作。
 「漫画讀本」の誕生は世の粋人系の紳士がたに大いに受け入れられたようである。
 次回は、その後の「漫画讀本」の移り変わりを拾い読みしてみよう。
(次回の更新は1月15日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●望遠鏡付きステッキ●
   前回のブロンズのヘッドに引きつづき、今回もブロンズもので。しかも2本まとめて紹介です。
 入手したのも前回と同じオックスフォード旅行中。地名は忘れてしまったが、港近くの倉庫街の一角にあったアンチックモールの中の一店。
 この2本ともヘッドは望遠鏡が仕込まれている。もちろん実際に使える。
 このうちの1本を手に両国国技館で相撲を見に行ったことが再三ある。力士の表情はもちろん、客席の著名人をチェックするのに便利。
 ただ冬の時期は、手袋をしないとヘッドが冷たくて手にする気になれない。
一見、単なるブロンズのヘッドのようではあるが、引き出すと望遠鏡に。オシャレで実用的!
見よ!この、ニブく光るブロンズ望遠鏡ステッキの雄姿!短い筒と長い筒。もちろん長い方が倍率が高い。

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