山本タカト 幻色のぞき窓
高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 

河盛好蔵のベストセラー『人とつき合う法』。元本は昭和33年刊。新潮文庫収録は昭和42年。このシャレた装丁は誰でしょう?そうです、「暮らしの手帖」の花森安治です。
 すでにふれた辰野隆、鈴木信太郎、また田辺貞之助と、仏文学者と粋筆系は相性がいいようですが、もう一人、このラインにつながる仏文系が河盛好蔵でしょう。
 河盛好蔵の戦後のエッセーは、われわれ、フランス文学とはまったく無縁の一般読者にも歓迎された。ぼくの手元にある新潮文庫の『人とつき合う法』は、奥付を見ると、初版が昭和48年で58年、40刷となっている。ベストセラーだろう。
 すでに処分してしまったと思うが、『あぷれ二十四考』や『親とつき合う法』(いずれも新潮文庫だったはず)も手にした記憶がある。
 河盛好蔵のエッセーは、フランス小咄などの訳は別として粋筆度(お色気やユーモアの濃度)は低いが、人間通、世間通の文芸的人生論として人気があった。今回、久々に(何十年ぶりのことだろう)『人とつき
  合う法』を手に取って、いまさらながら気づいたのだが、この文章が「週刊朝日」に連載されたときには〈高校生読本〉という副題がついていたというのだ。
 とはいえ著者は「そういうことには全くこだわらず、一般の社会人を頭に置いて、私はこれを書いた」といい、さらに「私は自分の貧しい人生経験のすべてを投じて、いわば体当りになって本書を書いた。これは私の内的自叙伝である」と語っている。いわば河盛版「徒然草」。
 このエッセーの中では、ハタと膝を打つような一節と出合える。たとえば「イヤなやつ」という項では──
  いくらすぐれた人、立派な人でも、好きになれ
  ない人、親しみのもてない人がいるものだ。私
  個人についていえば、同じく偉い人であっても
  、漱石には私淑する気持はあるが,鴎外には親
  しみを感じることが少ない。
 また「エスプリとユーモア」と題して
  エスプリとは、相手の武器を逆に取って、相手
  をからかったり、やっつけたりする、一種の自

これはまた、たっぷりと厚い(306ページ)河盛好蔵訳編『ふらんす小咄大全』(昭和43年・筑摩書房刊)。そのうちの一章を後輩の仏文学者の伊吹武彦が受けもっている。お色気満載のこの本の出版20年後、河盛は文化勲章を受章している。
    己防衛ということができよう。

昭和18年・生活社刊、河盛好蔵『ふらんす手帖』。フランス文学案内的エッセーだが、小噺や冗句も所々にご披露。装丁はファンの多い佐野繁次郎。
 これに対し
  ユーモアの本質は、人間の愚かさ、バカらしさを
  、自分自身を材料にして笑う点にある。もし、エ
  スプリが、「お前はでくの棒だ」ということにあ
  るとしたら、ユーモアは、「おれはでくの棒だ」
  ということにあるといえよう。
 と、「エスプリ」と「ユーモア」の違いを手際よく説明してくれる。
 もう一節だけ。「物くるる友」──
  安倍能成氏の『岩波茂雄伝』を読むと、岩波とい
  う人は、ひとを御馳走することは大好きだったが
  、ひとに御馳走になることは嫌いだった。安倍さ
  んは、それを「岩波のエゴイズム」という言葉で
  表現されている。ひとにものをくれることの好き
  なのもまた一種のエゴイズムであろう。与えるこ
  との自己満足である。
   と、鋭い人間洞察ぶりを披露している。
 この河盛好蔵が、やはりフランス滞在組だが、あまりにも毛色の変わった粋筆家と交叉している。
 その人物とは、柔道家にして、がらくたコレクター、そして戦後はNHK「とんち教室」で人気タレントとなった「黒めがねの旦那」石黒敬七。
 河盛と石黒は、どこで交叉したか。それは昭和24年、石黒が音頭を取って西荻窪のレストラン「こけし屋」で開かれた中央線文化人を集めての「カルヴァドスの会」。これに新居格や古谷綱武らとともに荻窪在住の河盛も参加していた。
 遊びの会といえば、この石黒敬七、いろんな会を結成している。戦前はサトウ・ハチローなどと、デブやノッポが集まっての「巨人クラブ」。戦後は徳川夢声らと「ゆうもあくらぶ」やパイプ愛好家でこれまた粋筆系のジャーナリスト・渡辺紳一郎らとの「日本パイプクラブ」。また石黒は大のパチンコファンで、これも粋筆系、前回ご登場の矢野目源一と共著で『パチンコ必勝読本』(昭和27年・東京文庫刊)を出している。これは珍本でしょう。見てみたい。
 石黒敬七、専門は柔道家というものの、一生を楽しいことばかりに熱中して過ごした破天荒ともいえる人生を、その粋筆から見てみよう。
 石黒敬七の“処女作”(という表現が、この巨漢、黒めがねの旦那には、どうにも似つかわしく

文壇史物の著作では当世随一の大村彦次郎氏からプレゼントされた杉並区立郷土博物館での石黒敬七展(平成19年8月)カタログ。この展示、見逃していたので、とてもありがたく頂戴いたしました。
  ない。第一エッセーと言うべきか)は、昭和10年、岡倉書房(おお、あの戦前の長谷川時雨本、平山蘆江本の!)刊の『蚤の市』。
これが藤田嗣治の装画・装丁による石黒敬七『蚤の市』(昭和10年・岡倉書房刊)。パリに集まった当時の日本人の姿が面白おかしくレポートされています。   入手した『蚤の市』は「陳さん」へのサイン本でした。このころ石黒は「巨人会」を結成、韓国生まれの巨人・金富貴さんを日本に招いたりしている(昭和12年)。このことと、「陳さん」は関係があるのかしら。
   ぼくは、この本を十年ほど前、荻窪の古書店で入手した。函ナシ、背は痛みがあり、保存状態はよくない。しかし、表紙、扉絵が、パリでの友人・藤田嗣治。パリの情景を描いた函と口絵が佐分眞。「石黒氏のコレクション」と題する口絵が伊原宇三郎。
 また「序」として、やはりパリで交流のあった、作家・久米正雄、「序文」が藤田嗣治といった豪華な顔ぶれ。石黒の第一エッセー集のために友情出演の揃いぶみ、といった趣き。
 しかも、私が手にした本は、著者本人によるサイン本だった!
 この『蚤の市』、内容はほとんどが、パリでの交遊録、あるいは珍談、奇談。また柔道にまつわる武勇伝。
 まずは、「蚤の市ばなし」から始まる。「黒めがねの旦那」の代表的活動の一つ、がらくたコレクションをめぐる体験談だ。
 この、「蚤の市」の言葉の由来だが、フランス語の「マルシェ・オー・ピュス」、蚤の市の直訳で、「蚤のゐる様なボロやガラクタでも売つてゐる」市ということなのだが、石黒は「蚤取り眼(まなこ)で、掘り出し物を探すからだと思ふ」と「黒めがね」的解釈をしている。
 そのパリの蚤の市に岡本一平・かの子夫妻、そして息子・太郎(当然、あの岡本太郎)がやってくる。案内人はもちろん石黒。また、画家の宮田重雄、佐分眞、松野一夫も蚤の市の上得意。
 石黒は蚤の市で入手した珍品を、パリから日本へ帰る人たちに記念としてプレゼントしている。たとえば、西條八十には分銅時計、林芙美子にはルイ16世時代の扇子、といった具合。
 なんと、トルストイにまつわる話もある。題して「パイプの由来」。
   或る年、日本人の若い一人の旅人が、其頃已に年老いた、トルストイを訪ねたこ
  とがあつた。──やがて夕暮近く、老人の許を辞さうとした時に、時候早い雪が、
  ヤスアナポリアナの天地を真白く染めかけてゐた。
   詩人は一本の手頃の木の枝を、若い旅人に与へて「路が悪いから、これを杖にし
  て迷はないやうにお帰りなさい」といつて門の中へ引つ込んで行つた。
   若い東洋人は感激に満ちた気持ちで、その一本の杖を日本へ持つて帰つて来た。
 それから何年か経った後──石黒旦那は、その木の枝の一部をもらい受けて、シガレット・パイプに作り上げたという。トルストイと縁でつながるパイプの誕生である。旦那は「僕はこの木製パイプを手離す事は出来ない」と書いている。
 藤田嗣治とのことでは、とっておきのエピソードもある。なんと、顔を白粉でメーキャップしてパリ・オペラ座で石黒、藤田、ともう一人の日本人、三人で柔道の模擬試合をしている。そして、これがパリ・オペラ座における日本人の初舞台となったというのだから……いやはや、なんとも。
 それにしても、今日、世界的巨匠として評価されているレオナルド・フジタも相当な茶目っ気があったわけだ。

いつ、なんで買っておいたのか覚えていない昭和28年・駿河台書房刊の『現代ユーモア文学全集 石黒敬七集』。帯のお人形さんで鈴木信太郎の装丁と知れる。
 『蚤の市』は昭和10年の刊行であり、石黒が大正13年、27歳のときフランスに渡り(旅費は自ら“石黒敬七君を渡仏させる会”として奉加帳を回し資金を作った)、昭和8年に帰国する前後までの話が書かれているが、戦後の日本での活躍ぶりは昭和28年、駿河台書房からの『現代ユーモア文学全集 石黒敬七集』でうかがうことができる。
 ちなみに装丁は、素朴なタッチの人形や静物画で人気のあった鈴木信太郎。そう、先輩、辰野隆とともに東大の仏文科の基礎を作った、あの鈴木信太郎と同姓同名、しかも1895年という生まれ年まで同じ洋画家・鈴木信太郎。
 また、この鈴木信太郎の人形の絵は、石黒旦那が中心となった西荻窪「こけし屋」での「カルヴァドスの会」の、その「こけし屋」のアイキャッチャーとして
  現在も使われている。人と人との縁はときに不思議なからまりかたをする。
 鈴木信太郎には、今日も古書店などで見かけることがある『阿蘭陀まんざい』(昭和29年・東峰書房刊)と題する自装の随筆集があるが、そこまで出張するのは控えて、本題の『石黒敬七集』。ここには、入手困難(仮にあったとしてもかなり高額)な、石黒の随筆集のエッセンスが収められていて、ありがたい。
 たとえば『旦那の遠めがね』『三色眼銀』また「粋人酔筆」「酒談義」「柔道千畳敷」など。
 なかでも『旦那の遠めがね』(昭和24年・日本出版協同刊)の「とんち教室」の章は、戦後の昭和24年、NHKラジオの人気番組のエピソードが記録されていて、戦後世相史的意義もある。
 たとえば「とんち教室」レギュラー(いつもいるので「落第生」と称する)の「六不思議」と言われたものがあった。どうでもいいようなことだが、敗戦後の厳しい世情とは関わりなく(いや、だからこそ必要とされたのか)ノンキな話なので、引用・紹介してみる。「六不思議」とは──
  青木先生の顔の色
  長崎抜天の東京生れ

お酒にまつわるエッセーも多く残した石黒旦那の『ビール物語』(昭和36年・井上書房刊)。内容はビールの歴史から雑学まで図版も豊富、ていねいな作りです。これを全部石黒旦那が書いたとは思えない。有能なライター、編集者がいたのでは(?)
    三味線豊吉の年齢
  桂三木助の紋付
  春風亭柳橋の眼
  石黒敬七のステッキ
 ということなのだが、なにが「六不思議」かといえば──、先生役の司会のNHK青木アナウンサーは夏も冬も年中、顔が日焼けしたように黒い。漫画家・長崎抜天は、どうしたって長崎出身かと思われるのに、実は東京生まれの立派な江戸っ子という不思議。三味線の豊吉姐さんは、去年も今年も歳は「三十八」で、本当の歳は誰も知らない。落語家・桂三木助(3代目)の羽織と紋がいつも違っている謎(ハ・ハ・ハ誰かの羽織を借りたりしているのかしら)。春風亭柳橋(6代目)の眼は、ぐっと奥に引っ込んでいるため、一度二度顔を洗ったぐらいでは水が眼に届かないという不思議。そして石黒旦那は、いつもステッキを手にしているのだが、それを突いたのを見たことがないという不思議。
 この「とんち教室」、いまで言えば「笑点」の大喜利のような座興。テーマ曲が「むすんでひらいて」。60代以上の人には懐かしい放送番組のひとつだったのでは。
 この番組で、ユーモア随筆家・石黒敬七の才能は全開となる。
 黒めがねの石黒旦那──世にもまれな遊戯人がいたものです。手元の『蚤の市』の著者によるサインを見ると、その書体は意外や(?)流麗で勢いのある達筆である。
 ここしばらくは、フランス文芸やフランスに関わる粋筆家をずっと取り上げてきた。次回からはフランスを離れて、別の風味の粋筆家に移ってゆきたい。
 さて──。
(次回の更新は6月15日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●初めてヤフオクで入手、この仕込み杖●

 前回はスペインはコルドバで入手したエレガンスにして危険な印象の仕込みのステッキを紹介しました。剣が仕込まれている装飾的なステッキは、なにもヨーロッパだけではないということで、今回は中国でみつけた仕込みステッキをご披露します。
 ヘッド部分は龍の頭部。龍は中国では運気を上げる縁起のいいもののシンボルです。全体はシルバーの光沢を発していますが、当然、合金でしょう。装飾の細工はかなり細かく、ところどころにグリーンのトルコ石(?)がはめ込まれている。
シルバーの光沢、龍の顔がなかなかリアル。

 ヘッドの下を握って引き抜くと、細い刃がスルスルと現れる。もちろん、本物の刃ではありません。これは15年ほど昔、中国・北京の市で入手したもの。こんなものでも9.11以後だったら、ぜったい持って帰国できなかったのでは。
 つくづく思うのですが、道楽や物好きは平和の象徴でもあるのですね。
おもむろに引き抜くと、
ややっ!剣の刃がギラリと光る。
 
 ところで、同じような、ヘッドが龍の頭部のステッキをもう一本。こちらはブロンズの光沢。
こちらは今回ヤフオクで入手したブロンズの龍頭ステッキ

おもむろに引き抜くと、ややっ!剣の刃がない


シルバーとブロンズのドラゴンブラザーズ。町中は持って歩きにくいでしょ。
 このところ、深夜にときどき寄る、船橋駅のすぐ近くにある、都心でもちょっとない超マニアックな音楽BAR「サルブロ」(つい先日日経新聞の文化面、続いて「レコード・コレクターズ」の5月号に紹介記事が掲載)のマスターから「ヤフーオークションに、こんなステッキが3本出てましたぞ」と知らされ、(うーん、中国で買えば、この5分の1ぐらいの値段なんだけどなあ)と思いつつも、もしやその内の1本は仕込みくさいな、とアタリを付けて入札(できないのでマスターに手続きをやってもらう)。
 届いたものを手にすると、やはり仕込みでした。しかし、当然、刃はなく、なにか歯の抜けたような心もとない風情の、仕込み無き仕込み杖。
 とはいえ、持っていないデザインだったので、それなりに納得の1本となりました。残りの2本については機会があれば。

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