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坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回まで、数回にわたって仏文系の粋筆を訪ねてきたが、そろそろ気分を変えたくなったので、今回は独文系をのぞいてみようと思います。
 おっと、その前に、主に仏文系の粋筆をものした粋人、というよりは、どちらかといえば奇人といえるでしょうか、前に、ほんのチラッと名前だけ登場した平野威馬雄にちょっとだけ寄り道したい。
 この人、いまや平野レミのお父さん、といったほうが通りがいいかもしれませんが、戦後、性科学物の翻訳やエッセーで健筆をふるっていた。
 ところで戦後、粗悪なインクと仙花紙によるチープな翻訳好色本が数多く出されるが、その翻訳者の中に「松戸淳」なる名が見える。
 この松戸淳こそ、平野威馬雄の別名。平野の住居が松戸にあったため、このペンネームを用いたとか。
松戸淳、実は平野威馬雄訳によるジョン・クリーランド『情婦ヒル』(昭和26年・紫書房刊)。一般には、ジョン・クレランド著『ファニー・ヒル』として知られているのでは。帯のコピー、力が入っています。   『情婦ヒル』の本表紙。うかつにも今回はじめてカバーをとり、このデザインを知りました。素晴らしいですね。原著からのアレンジでしょう。
 性科学、好色文学の翻訳物として、平野威馬雄名でクラフト・エビング(!)『性愛の心理』(昭和46年・学藝書林刊)、松戸淳名ではエビングの同著書を『変態性欲』(昭和26年・紫書房刊)と題して刊行している。他に、好色本では同じ紫書房からジョン・クリーランド『情婦ヒル(ファニー・ヒル)』やウィルヘルム・マルテル『バルカン戦争』(二著とも昭和26年刊)を出している。
 これら戦後まもない好色本を、古書展などで目にとまれば入手してきたが、『情婦ヒル』も、いつの間にか他の戦後仙花紙好色本といっしょに蔵書の中にまぎれ込んでいました。
 もちろん、まだ、まともに読んでいません。機会をみつけて、一挙に読んでみたいと思ってはいるのですが。
 さて、独文系──仏文系における辰野隆のような存在が独文系に……と考えると、当時の名物教授として思い出されるのは、やはり高橋義孝ではないでしょうか。
 東京は神田の生まれ(1913年)錦華尋常小学校から現・都立上野高校、そして東京帝国大学独文科という、チャキチャキの東京っ子が独文へ進んだというタイプ。
 高橋義孝が私たち一般人に知られるようになったのは、九州大学の名物教授で、師のばりのギョロリとした眼つきとダンディな蝶ネクタイ姿のエッセイストとしてではないでしょうか。
 トーマス・マンやヘルマン・ヘッセの訳者としての高橋義孝の名は意識にのぼらなくても、『現代不作法読本』、『蝶ネクタイとオムレツ』、『まぬけの効用』、あるいは『酒飲みの詭弁』(いま、手元に積まれている本ですが)といったエッセーは大いに歓迎されたのです。
 この義孝(ギコウとも呼ばれた)先生、九大教授のときも一貫して、東京を動かず、講義のときは九州まで寝台車、あるいは飛行機で通うという、江戸っ子的偏屈ぶり。義孝先生は、また大の相撲通で横綱審議委員を長く(15年以上も)つとめ、のちに委員長にも就任している。
独文学者・高橋義孝の手元のエッセーの中から義孝先生の似顔絵がカバーになっている本を並べてみた。こちらの『現代不作法読本』(昭和45年・角川文庫刊)は和田誠のイラストレーション。   こちらも似てますねぇ。『酒飲みの詭弁』(昭和49年・番町書房刊)。このシリーズには吉田健一の名著『酒 肴 酒』も入っていました。
 で、その粋筆ぶりは、といえば、フロイトの翻訳はあるものの、エッセーのお好色度はかなり薄い。お酒、食べもの、旅、そして相撲、あるいは人情の機微といったことが多く語られ、キワドイ話など、ほとんどお目にかかれない。さすが、を師とし、本人は、山口瞳から師と仰がられた紳士というべきか。
 とはいうものの、まったく「女っ気」がないわけではなかろう、と『蝶ネクタイとオムレツ』(昭和60年・講談社文庫刊)を手に取る。ヨシヨシ、最後の章は「女ごころ」。
 その一節を紹介する。
   飛騨の高山で、若い女性の観光客が案内も乞わずに普通の民家の入口の戸を開け
  て中を覗き込んで、恐らく「へえー」とかなんとか言いながら帰って行ったという
  記事が新聞に出ていた。私ども男性が、スカートを穿いている女性のうしろから、
  「案内も乞わずに」そのスカートをまくり上げて、「へえー」とか何とか言って澄
  ましていたならば何と言われるであろうか。
 と、お色気というよりは、「苦み」が効いている。
 では、義孝先生の女話をもうひとつ……と思って、先に挙げた手元のエッセー集をチェックしたが、やはりエスプリやユーモアはあっても色っぽい話はない。背骨のシャンとした粋人のエッセーというべきか。これはこれでよし、と思いつつ、他には……と独文系の粋筆に思いをめぐらす。
 いるんですよ、戦前から戦後まで、好色文学を翻訳し、また粋筆に健筆をふるった異能の怪人が。
 その人の名は「丸木砂土」。本名は秦豊吉。1917年から26年の10年ほどベルリンで生活の後、帰国後、昭和初期からの艶笑文芸ライターとして名を馳せた丸木砂土の名を知る人でも、秦豊吉の名を知らぬ人は多いだろうし、戦後の昭和15年、東京宝塚劇場(わかりやすくいえば「東宝」)の社長となり、戦後の昭和25年帝国劇場社長、日本劇場(日劇)社長、そして東宝社長となった秦豊吉が、あの、丸木砂土と同人物であることも知らぬ人も多かったのでは。
本名の秦豊吉名による『独逸文芸生活』(昭和3年・聚英閣刊)の本扉。著者のベルリンでの生活の成果。   秦豊吉(丸木砂土)の初の評伝、『行動する異端──秦豊吉と丸木砂土』(平成10年・TBSブリタニカ刊)。よくぞこのテーマで書いてくれました!このジャンルでの次作は?
 と、過去形にしたのは、1998年、この二つの顔をもつ人物の評伝がでる。フリーのジャーナリスト・森彰英による『行動する異端──秦豊吉と丸木砂土』(TBSブリタニカ刊)。
 この本を書店で見たとき、内心、(うぉぉ)と声をあげた、もっとも知りたい異能の粋筆家の一人の評伝が刊行されたからだ。
 この本の帯を見てみよう。
 「かつて、こんなに面白い日本人がいた!」と大きくキャッチコピーがあり、「『西部戦線異状なし』の訳者にして好色文学の紹介者。日劇ダンシングチームを立ち上げ、伝説の「額縁ショウ」をプロデュース。そして日本にミュージカルを根づかせた男──」「秦豊吉=丸木砂土、初の本格的評伝」とある。
 この、貴重な労作を傍らに置いて、東宝系の劇場の経営者にして、たとえば、越路吹雪を生んだ、プロデューサーの秦豊吉、ではなく、好色文芸家の丸木砂土の粋筆にふれてみよう。
 昭和初期の「犯罪公論」や戦後の「あまとりあ」といった猟奇・性風俗の雑誌で丸木砂土という特異なペンネームはよく目にした。
 丸木砂土、もちろん、「マルキ・ド・サド」からのペンネーム。名の由来からすると、フランス文芸系のようだが(実際に、フランス好色本の翻訳もしている)主な守備範囲は、長らくベルリンにいたくらいだから当然、独文系。
丸木砂土の「自作自編」による『殿方草紙』(昭和24年・話社刊)の表紙。がんばりましたね、この企画(と表紙)。   『殿方草紙』の巻頭、絵物語「ドン・ファンをめぐる女たち」。この挿画、なかなかの力作ですが、画家のクレジットはなし。
 丸木砂土の粋筆の概要を知るのに便利な、40ページ弱の小冊子がある。「話」別冊第1集の『丸木砂土 自作自編 殿方草紙』(昭和24年・話社刊)が、その1冊。
 巻頭のカラーページはエロティックな絵物語「ドン・ファンをめぐる女たち」。他に「蛇姫様」「夜の師直」といった時代物や和洋の好色小咄があるが、お手のものの「好色ドイツ女」、丸木砂土の出世作となった、『西部戦線異状なし』(昭和4年・中央公論社刊)の作者・レマルクの思い出をつづったエッセーなども収録されている。
 ところで、ぼくが丸木砂土を強く記憶にとどめることとなったのは、昭和の「3・4・5・6」年に出た本(見良頃本=み・よ・ご・ろ本)と称して、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス本を集めだしているときに、この丸木砂土の『世界艶笑芸術1』(「性科学全集」第6篇 昭和5年・武侠社刊)と、ミュッセ作『歓楽の二夜』(「世界猟奇全集」第1巻 昭和6年・平凡社刊)などを入手したことによる。

立派な装丁の丸木砂土の昭和初期本の函と本体。左は『世界艶笑芸術1(性科学全集第6巻)』(昭和5年・武侠社刊)。右はミュッセ著・丸木砂土訳『歓楽の二夜(又はカミアニ伯爵夫人)』(昭和6年・平凡社刊)。まさに「見良頃(み・よ・ご・ろ)本」の2冊。
 昭和初期の造本は総じて、まことに見事で、「見良頃本」を集めだしたのは、最初は、その本の、呆れるほどモダンな雰囲気によってでした。
 丸木砂土の、この二著も、ハードカバー・函入れ、本文中の所々に心ひかれるエロティックな図版が挿入され、ヨーロッパ的な趣味気分が横溢している。
 ところが、戦後の本となると(もちろん敗戦後ということですが)悲しいことに、あの、昭和初期の本のモダンぶりと比べれば、グンとみじめで、貧乏くさくなる。
   それでも、戦争中の軟派文芸の禁は解かれて、粋人粋筆系が復活し、雅俗入りまじって一気の開花となる。
 低俗であれ、なんであれ、好色文芸は表現の自由と深くかかわっている。“売らんかな”のエロ、これもまた結構ではありませんか。
 その、戦後3年もたたないタイミングで出版された『東京の女』(昭和23年・自由書房刊)を手に取る。
 いかにも、戦後すぐ、という本づくり。用紙は当然、超粗悪な仙花紙(これほどのザラ紙をいま作ろうとしたら、逆に、かなり高いコストになるのではなかろうか、というくらいのシロモノ)。
 しかし、表紙はなかなか色っぽく、粋人挿画家と知られる清水三重三による、豊満な女体の入浴姿。
 いとしいですね、こういう、物資が思うままにならない時代の健気(けなげ)な出版物。戦前、あれほど図版に執着した著者の本でありながら、制作費の都合か、表紙以外、一点の(挿画の)サービスもない。
 目次を開く。第1章は「この乳房を見よ」。もちろんニーチェの「この人を見よ」のもじりでしょう。内容は、ドイツならぬ日本の奇譚・縁起物語。おや「夜の師直」のタイトルが。これは、先に紹介した『殿方草紙』に収録されている作品ではないですか。「真暗な中の喜劇」と題する「デカメロン」からのシナリオもご披露。
 うーむ、やはりベルリンに遊学した森鴎外との話がある。「寝台の下の胴」。ちょっと引用してみます。

なんか妙に懐かしい表紙絵『東京の女』(昭和23年・自由書房刊)。清水三重三による絵柄もあるのでしょうが、粗悪なインクの感じが貧しくて懐かしいのでしょうか。
     亡くなられた森鴎外博士に、ある話の序に、
  「先生は、ドイツで幽霊を御覧になったことがおありですか」
   と伺ったら、先生はにこにこして、
  「たった一度あるよ。何でも三鞭酒(シャンペン)に酔っぱらって、夜更けに下宿
  へ帰ってきた時だ」
   といはれて、その幽霊話をされたことがあった。
 と、鴎外の幽霊話をイントロにして、自身のドイツ人との幽霊話を披露する。「西太后」の話もある。それはいいとしても、タイトルにある「東京の女」はどうした。
 なるほど最後の章に「思い出の東京の女」がありました。項目は、といえば──
 「浅草」「大井」「大森」「新宿」「向島」「蒲田」「洗足の池」「日本橋」「芝」「玉の井」「代々木」「中野」「赤坂」「葛西」「上野」「荏原」「麻布」「亀戸」「神田」「池袋」「田園調布」と、それぞれ1ページか2ページほどの、すべて会話体の短い文章(創作?)が続く。
 これらが、どうやら、男と女の戦後風景。
 おっと、この『東京の女』の1年前に出版されている『結婚広告』(昭和22年・東邦出版KK刊)にふれるのを忘れていた。せっかく最近(といっても本の見返しのメモを見ると3年前ですが)入手して、今回の原稿のために読んでいたのに。
『結婚広告』の表紙(昭和22年・東邦出版KK刊)。イラストレーションは西欧の艶笑本から借用か。   『結婚広告』の本扉を飾るイラストレーションは、これまた海外の出版物からのものか。それはともかく、この本を買った人の書き入れに目が行く。
 この『結婚広告』、敗戦直後だから内容は、昭和初期のころの丸木砂土の本領を取り戻している。戦前からの砂土ファンには懐かしくもうれしい1冊となったのではなかろうか。
 敗戦であったとしても、戦争が終わったからこそ、こういう軟派物が出版できるようになったのですから。
 目次を見てみよう。
 「国際男女聨盟入会記」。これは著者がドイツにいたときに経験した(?)会員制の秘密男女交際クラブでの話。あ、これも、先に紹介した自作自編雑誌『殿方草紙』に収録されています。
 つづいて「ハレムの女」「売春王メッサリナ」「千五百人の女を撮映した男」「西洋艶笑文学論」「耳の美学」「乳房」「春の講座」そして、タイトルにある「結婚広告」「新婚夜話」「浮気とは何ぞや」。
 ね、砂土ワールド健在でしょ。
 丸木砂土の粋筆は好色系ではあるものの、西欧の文学者や性科学者の著作からの引用が、あちこちに散りばめられ、読者層を、かなりの読書人と設定しているふしがある。
 知識欲は刺激するが、いわゆる劣情をもよおさせるものではない。
 ところで「結婚広告」の一文だが、これは、もっともドイツで流行したという、いわゆる男女交際広告。表面的には「結婚」ではあっても、実際は怪しい「出会い系」の広告だったりするという話。当然、リスクもある。
 なるほど、時代は変わっても、人間、やることは変わらぬものですね。これが、まかり間違えば、最近の「煉炭殺人疑惑事件」ということにもなる。
 それはともかく、丸木砂土先生、国破れたとはいえ、男と女の世界への好奇心は衰えを知らず。“猟奇”の志は依然旺盛でありました。心強いことです。
(次回の更新は7月1日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●やりました!瓢箪ステッキ入手!●
 前回、船橋の駅近、超マニアック音楽BAR「サルブロ」のマスターがインターネットで見つけてくれたステッキ(中国もの)の3本組のうちの1本を紹介──あとの2本は機会があったら──などと書いたが、もったいぶる理由がないので、ついでに、そのうちの1本を見ていただこう。
 というか、じつは、3本のうち、このステッキが“キキメ”で、マスターがわざわざ、ご注進してくれたのだ。
 見てのとおり、これはヘッドの部分が、瓢箪である。これはまず、中国(か、その影響を受けての日本)でしか考えられない趣向。
 瓢箪は「千成瓢箪」ともいわれるように、多産のシンボルでもあり、吉祥、おめでたいデザインである。
 それに、なんたって、あの形、曲線。まるでルノアール描く、ふくよかな女体のようではありませんか。
 サルブロ先生、私のヒョータン好きを心得てくれていて、インターネットで、これを見つけて、興奮気味に教えてくれたのだ。うれしいじゃありませんか。「コレクター、コレクターの心を知る」ですね。
おおっ、瓢箪の中にまたもや瓢箪がいくつも!



ヒョータンのヘッドとライオンと龍の顔の軸
 ステッキ全体の材質はブロンズ。瓢箪の形をしたヘッドの細部を見れば、これまた瓢箪と蔓や葉が。ま、これ自体は、よくあるデザインなのですが、それがステッキの柄になっているのは初めて見ました。岡本太郎先生だったら、「ヒョータンにステッキがついていてもいいじゃないか」って言うかもしれませんが、もちろん、いいです。
 中国のステッキには、単なるデザインとしてではなく、吉のシンボルを用いることが多い。すでに、いくつも紹介している「龍」もしかり、これから見ていただくことになるだろう「鳩」もまた、長寿の象徴なのです。(理由は、その時に)
 瓢箪のステッキ、ときどき手にして、ヘッドの部分を撫でさすっているだけで、気持ちは、ほんわか、リラックスして、幸せになるのです。
 と、いって、まだ、このステッキと一緒に外出したことはない。
 深窓の麗嬢ならぬ、恥らい多き、内気な麗杖、というわけです。

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