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坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回の東郷青児の稿をUPした次の日、大手町のoazoの中にある丸善に立ち寄った。
 ちょっと胸さわぎがしたので、店内の検索機で「東郷青児」の名を入力すると、あれっ、あるじゃありませんか、野崎泉編『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』(河出書房新社刊)が。それと、もう1冊。東郷青児訳によるジャン・コクトー『怖るべき子供たち』。
 うかつでした。古書ではなく、新刊で東郷青児に関わるこの2冊が今日、入手できることに気がつかなかった。もちろん購入、まず、野崎泉編による東郷青児への愛にあふれた『東郷青児』をパラパラとめくる。

野崎泉編『東郷青児―蒼の詩 永遠の乙女たち』(平成21年・河出書房新社刊)。東郷青児という、モダニストであり総合的芸術家の全貌がうかがえる好著。
 この本、河出の「らんぷの本」というビジュアルブックの1冊なのだが、もう、東郷青児ファンのために造られたような本。
 東郷青児がデザインしたマッチのラベル、絵皿、粉白粉(クラブ化粧品のこなおしろい)のパッケージ、香水びんといった小物から、東郷青児による装丁本、また、エッセイや珍しいマンガ作品などが紹介されている。
 東郷青児のコレクターの協力なくしては不可能な構成内容で資料的価値もある。でも、どうして、こんな手ごろな値段(1500円+税)の貴重な資料が、先日のぞいた「東郷青児美術館」のミュージアムショップになかったのだろう?東郷訳の『怖るべき子供たち』も見かけなかったし。
   ひょっとして、たまたま売り切れていたのかしら。あるいは、何か別の理由で?
 まあ、いいや、とにかく丸善で入手できたのだから。いや、そんなことより、この『東郷青児』によって、前回のぼくの記述の誤りが判明。
 東郷青児のデザインした(作品が使われた)洋菓子の包装紙についての部分で「渋谷の洋菓子店フランセや自由が丘のトップス」と書いてしまいましたが、自由が丘はトップスではなく「モンブラン」でした。
 そういえばもう10年以上も前になるだろうか京都の木屋町の古い喫茶店「ソワレ」に行ったことも思い出しました。東郷の作品によるマッチを買った(?)記憶もある。
 丸善で入手したもう1冊のジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』(角川文庫)、これも早速読んだ。元本は昭和5年白水社から出版されたもの。いつもの癖で、つい奥付を見る。
 この角川文庫版、初版は昭和28年、私が入手したのは平成21年の発行で、なんと64版!ロングセラーの本だったのですね。
 ところでこの『怖るべき子供たち』は端正な訳文。もともと東郷の書く物は、粋筆とはいえ、文章は折り目正しく、スマート。彼のジャケット姿のように。
 『怖るべき子供たち』の巻末には訳者・東郷自身による「あとがき」が付されているが、その最後の2行
   コクトーはこの詩小説をかつて子供だった自
  分自身の魂で書いたと思われるし、私は私で、
  子供のころの秘密が次から次に暴露されるよう
  な気がして狼狽(ろうばい)した。

東郷青児訳、ジャン・コクトー『怖るべき子供たち』(平成21年、改版64版・河出書房刊)。弟を愛する姉が仕掛けたワナが2人の死を引き寄せる。コクトーは詩や小説の他、イラストレーションを描き、映画まで作った前衛的総合芸術家。
   という一節だけで、東郷の鋭敏な感性にふれたような気がする。
 しかし、東郷の翻訳の仕事には、疑問をなげかける説もある。
 前回もちょっと紹介した元読売新聞・美術記者の田中穣『心淋しき巨人 東郷青児』の中には
  実際に訳したのは東郷ではなく、かれが雇ってやらせたゴーストライターの仕事
  だったとする説が強い。
 という記述がある。
 本当にそうなのかしら。もっとも翻訳の仕事というものは、表面に名が記される訳者ではなく、そのほとんどは別の下訳によることが珍しくない。下訳は語学に堪能なスタッフにまかせ、全体の文体のニュアンスなどを訳者が手を入れ統一する。
 とにかく、昭和初期の(“東郷”訳)を読めるのがありがたいじゃないですか。

大宅壮一『昭和怪物伝』(昭和32年・角川書店刊)の中の清水崑による東郷青児の似顔絵。不敵な面がまえだ。
 話は変わりますが、東郷青児『他言無用』の中の「私の履歴書」には〈今東光のこと〉と題する一項がある。
   今東光は美少年だった。現在の顔しか知らない
  者にとっては、現在の顔だけしかわからないだろ
  うが、美少年時代を知っていると、現在の顔もま
  た美しいのである。髪は漆黒、白皙(はくせき)
  紅顔の美少年だった。
 と、文章は始まるが、この後に宇野千代とのことが登場する。
   そのころ、カフェー・パリとは目と鼻の燕楽軒
  でいつの間にか宇野千代が働いていた。すでに第
  一作を発表した後だったと思うがたいへんな評判
  で、文士から大学教授にいたるまで、押すな押す
  なの大盛況、界隈の人気を一人でさらった観が
    あった。その評判につられて、私も一度は拝顔したいとひそかに思っていたら、東
  光ちゃんが急に彼女に熱をあげることになったので、私は軽く後手にまわってし
  まった。
 とある。ちなみに「カフェー・パリ」とは、「本郷三丁目から春日町へ向かったすぐ左側で」「久米正雄や、豊島与志雄、それに江口渙といった連中が出没し、たまには新思潮の芥川龍之介も顔を出した」ような店だったという。
 そのすぐ近くの「燕楽軒」で、文壇に売り出したばかりの「まばゆいばかりの美しさだった」宇野千代が店に出ていたというのだ。そして、彼女にお熱をあげた東光青年の恋の行方は……というと、
  まだ夢の多い東光ちゃんと、すでに実生活の起伏を身につけたお千代さんでは、根
  本的にウェートのひらきがあり、これという花実も結ばないうちに、彼女は本郷か
  ら姿を消してしまったのだった。
 という儚(はかな)いてんまつ。
こんな本も持っていました。東郷青児の装丁による式場隆三郎著『処女のこゝろ』(昭和15年・鱒書房刊)。女性の顔立ちが宇野千代さんに似てません?   谷崎潤一郎『卍』(昭和22年・新星社刊)の本表紙。裸の女性が卍模様となっている。というのも、この小説のストーリーが女性同士の性愛を描いたもので映画化もされている。
 この純情青年、今東光のずっと後の粋筆に『好色夜話』(昭和39年・新潮社刊)なる1冊がある。
 今東光は『春泥尼抄』『お吟さま』、また勝新太郎の主演で人気を呼んだ『悪名』、そして最晩年の『十二階崩壊』などの流行作家。また、天台宗僧侶(名は春聴)として怪僧ぶりで世に名をとどろかせ、作家・瀬戸内晴美の出家の際は師僧となり「春聴」の一字をとり「寂聴」の法名を与えている。
 その今東光の『好色夜話』、これがもう、今東光の体験的?な好色ばなしで、まるで艶笑浪曲でも聴いているかのようなリズム感、臨場感。並のストーリーテラーではない。
 東郷青児と今東光――戦後の怪人2人が、若い純情青年のころ(今東光は始め、画家をめざしていた)の親友だったとは……。
 人の縁とは不思議なものです。
(次回の更新は3月15日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●こんなステッキ持って町を歩けないでしょう●
 前回はウサギの顔がヘッドになっているステッキでしたが、これは龍(ドラゴン)ステッキ。購入先はもちろん中国。北京の古物市で見つけたもの。
 柄の部分はごらんのように龍の頭部。かなり一所懸命彫刻している。しかし、というかだからこそか、これを手にして町を歩くのは相当の勇気がいる。
 一回、キャリーカーの中に突き立てて運んだことがあったが、喫茶店に入ったら、若い女性のグループがこのステッキを見てヒソヒソ話をしているのに気づかされたことがある。
 そういえば、このステッキ、龍の口の中にガラス玉が入っていて、コロコロと音がする。なので、なおさら人の耳目を引くことになる。
 持てませんよ、こんなステッキ、よほどの酔狂でなければ。
 ということで、本棚の前に立てかけて、本の番をしてもらっているという始末。

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