錦鯉考

 3000坪の広大な敷地に日本庭園、池には錦鯉。そして何匹ものチャンピオン犬が走りまわり、駐車場には大きな外車。そしてプール付きの屋敷の脇には、古美術品のコレクションを飾るための美術館まで……。
 これが少年期に自分が育った環境です。なんだか自慢みたいでいやらしいですが、これは親父のしたことなので勘弁していただきたい。


 戦後高度経済成長期、祖父から会社を受け継いだとはいえ、30歳そこそこで、ここまで手広くやるためには、相当にデキる人物か、かなり危ない橋を渡っていたか……というくらいは容易に推測できます。息子の見たところ、そんなにデキそうな父親ではないので、たぶん後者だったのでしょう。今では考えられないような派手な生活ですが、子どもの頃は与えられた環境として普通と思いながら生活しており、これが当たり前の日常でした。
 しかも父の趣味の入れ込みようといったら尋常ではなく、徹底的にお金をかけて追求します。その割に飽きやすい性格らしく……、6年ほどの周期でジャンルがガラッと変わるのは面白い傾向でした。

 私が小学校低学年の時期、父の趣味は錦鯉でした。敷地内に錦鯉専用の生け簀をいくつも造り、稚魚から育てる「鯉師」のようなことをしていました。

 大量の稚魚の中から、良くなりそうなものを選って綺麗な水で育てる。少し大きくなったら更に選別してゆったりとした環境で育てる。これを何遍も繰り返して、良い型の、良い色の、良い模様の錦鯉を育て上げるのです。目的はといえば、商売の為ではけっして無く、品評会で高く評価される為。
 一般にこれを“道楽”といいますが、本人は至って真面目に「文化活動」と言っています。確かに、盆栽も古美術収集も、利益とは関係のないところに情熱を傾ける、一部の愛好家たちによって支えられてきた結果、文化として根付いていると言えそうです。今、自分が行っている創作活動も、似たようなものなのかもしれません。


 錦鯉の世界では新潟県が有名ですが、私が育った千葉県にも良い鯉を育てる生産者や販売業者が多いらしく、子どもの頃あちこちへ連れて行かれました。田舎なので今でも残っているかもしれませんが、国道沿いに大きくペンキで描かれた錦鯉のイラスト看板は「錦鯉、金魚」の墨文字と相まって、なかなかインパクトのあるビジュアルでした。
 店内には子どもが喜ぶようなものは皆無で、大きさ別に分けられた鯉が生け簀の中で泳いでいるだけ。親父は店主と商談なのか情報収集なのか、何やら話し込むことしばしばで、決まって長時間の滞在になります。聞こえてくる言葉もさっぱり理解できず、自分は置いてきぼり……完全に忘れられた感じです。ぼんやり魚を眺めることぐらいしかやることは無く、とても退屈だった記憶がよぎります。

 退屈とは分かっていても子どもは親にくっついて行くもので……というより、半ば無理矢理お伴させられた感はありますが、錦鯉の品評会へもついて行きました。父の書棚には『全日本総合錦鯉品評会』という豪華な装丁のカタログが数冊あり、最高峰の錦鯉を見ることができました。

 不思議なものでしばらくカタログを見続けていると目が慣れてくる為か、どの錦鯉が良いのか分かってきます。次第に知識も増えてきて、面白くなっていくのも実感していました。
 小学4〜5年生にもなると、僕ら兄弟は生意気に親の真

似をして、錦鯉の講評などし合ってしていました。「この大正三色は墨の配置がいいし、なによりキワ(頭部から見て後方と左右側面)がいい」だとか「こっちの紅白は体型が良いうえに紅が厚い」と言い合ったりして……。なんて可愛気の無い子どもだったことでしょう。

 当時、子ども心に「美しいなぁ」と思っていた錦鯉は、真っ白い肌の三色で、カタログの中でも群を抜いた美しさでした。あの配色は今でも何となく覚えていたので、画像検索してみたら……見つけました! 昭和53年の総合優勝、内閣総理大臣賞の大正三色、やはり見事です。


 「ダメなものを何千匹見たってちっとも肥やしにならないぞ! 数匹でいい、良いものを何千回と見るんだ!」という親父の言葉を思い起こします。
 子どもへの教育なのか自身への戒めなのか、今でも耳に残っている言葉です。


 ジャンルは異なりますが、古美術にハマった時期には、“骨董”と書かれた看板のある古道具屋に行くたびに、「あぁ〜疲れた。目が腐る……」などと毒づいては上野の国立博物館へ連れて行かれたことも思い出します。

 一般に優秀な錦鯉の見方は、体型、色彩、模様の3つが基本で、

 

・体型→太りすぎず、痩せすぎず、健康的で力強いこと。
・色彩→緋色(赤のこと)は強く鮮やかに、墨色(黒)は真黒く、白色は雪の様に白いこと。
・模様→前後左右にバランスが良いこと。
 その上、気品と風格を兼ね備えたものであること。

 

となっています。要するに、ルールはあるが正解が無く「良いものが良い」ということになります。
 一見すると評価基準が曖昧で、なんとも掴みどころが無いように思われるかもしれませんが、良いとされた優勝鯉を見ると「なるほど」と唸ってしまいます。確かに気品があって、健康的で美しい。

 とにかく趣味歴を長く、優れた個体を何年と見続けて学習しないと基準すら分からないという、錦鯉とはじつに奥深い世界なのです。

 自分勝手な解釈で「これは美しいんだ!」と主張したところで、規定に満たないものや大きく外れているものは、出品することすら認められません。かといって、あまりに型通りに優等生な鯉では退屈すぎて良いとはいえません。
 各項目をクリアしつつも、尖った感性を有する『崩しの美学』が必要になるのです。
 
 美に対する感性は人それぞれ違いますが、評価される為には客観的な物差し・基準を理解する必要があります。この「体型、色彩、模様」の総合に美しさを見出すのは、錦鯉という狭い世界だけのように思えるかもしれませんが、じつは日本美術の評価とも深く結びついているのです。とくに色彩と模様(配色)には、日本独自の美意識を見ることができます。

 錦鯉は、主として白色・緋色・墨色という配色の中に無限の広がりを観る点において、工芸品、とりわけ金色・朱色・黒色で構成される漆芸の蒔絵装飾に通じるところがあります。錦鯉も漆芸も、鯉師や職人の技術と努力をもってすれば、青や紫、緑など多種多様に色数を増やすことは可能かもしれません。でもあえて、限られた色彩によって美を探究するあたり、そのストイックな姿勢が共通する興味深い点のひとつです。

 また錦鯉の模様は、正中線を基準に左右に振り分けられます。例えば紅白の場合、地色(白)に対して7割程度の緋色をあえてバランスを崩して配置し、そこから3割・5割の緋色をそれぞれ差すことで、全体のアンバランスを立て直す……といった感じ。長谷川等伯や尾形光琳などの名画を観ても、同じバランス感覚をもって画面が構成されていることが分かります。同じ日本独自の美意識が評価基準になっていることは紛れもない事実です。

 どうやら自分は子どもの時に、色の冴えや厚み、配置の妙などの基本的なことを、錦鯉から自然に学んでいたようです。
 アーティストとなった今、育った環境を思い返してみると、特に一生を左右するような大事件があったわけではありませんが、日々の生活の中から生じるいくつもの細かなきっかけ(……というか親父の趣味遍歴)が絶え間なく、自分の進路を芸術へと向かうように導いてくれていたような気がします。親父の道楽のお陰で、いろいろな趣味の世界に触れることができたことはラッキーであり、アーティストに成る為の良い肥やしに成っていることは間違いありません。