信じる見方




 私の住む長野県諏訪には『楽焼白片身変茶碗』(作:本阿弥光悦 銘:不二山[ふじさん])があります。
 一番好きな美術作品かもしれません。

 ……ちょっと解説。
 国宝指定を受けた日本の茶碗はこの “不二山” と『志野茶碗』(銘:卯花牆[うのはながき])の二碗だけ。
 ぐにゃっと歪んだ “卯花牆” に対して、“不二山” はピシッと正座をした様な印象の美しい佇まいの茶碗で、上半分が白色、下半分が黒色をしているのが特徴です。

 雪をいただく富士山を思わせる姿から “不二山” と銘を付けたらしいと色々な本に書いてありますが、父から聞いた話だと「二つとできない大作」という意味を込めてあるらしい(こっちの説の方が気に入っています)。

 この茶碗にまつわるお話も面白く、ストーリーでも作品の深みを引き立たせています。

 光悦が娘を大阪の富家に嫁がせることになったとき、嫁入り道具のない旨を断ったところ、先方で
 は、嫁入り道具なぞ要りませぬ、光悦殿の作られた茶碗一つ持たせてくださればそれで重々、と言っ
 たという。そこで光悦が作って持たせてやったのが、あの名品「不二山」だった。その証拠に「不二
 山」 の箱には今も光悦の娘の片袖だったといわれる裂地が入っているとのことである。
(『本阿弥行状記』中野孝次・著/1992年・河出書房新社)

 この様な名器が毎日寝起きする自宅から4キロ足らずの場所にいつも置いてあるという事実、これって凄いことだと思いませんか? たまにですが布団に入って目を瞑り、「あぁ、すぐ近くに “不二山” があるんだなぁ」と自分の物でもないのに変な優越感というか、満足感に浸りながら眠りにつくことがあります。

 高校生の頃から「これはいい物だ」といった頭で図録などを眺めていたものですから、初めて本物を観た時の印象も衝撃的なものでした。結婚する前でしたから1997年あたりだと思います。
 諏訪市に行った折(妻は諏訪出身)なんの気もなくサンリツ服部美術館の「茶道具展」に入って、展示物をぼんやり眺めていたところ、展示室の中央に何やら一際輝く作品があるではありませんか。
 「ん? もしやあれは “不二山” ではないか?」、ここに “不二山” が有るとも知らず入った自分も迂闊ですが、思いもよらぬ出会いに二の腕の毛がぞわっとしたのを覚えています。
 これが憧れの “不二山” だと認識できた途端、一気に集中して視界が鮮やかに、しかも高精細に目に飛び込んできたのです。街中で憧れのアイドルに偶然出くわした時の感じ。もう少し的確に表現すると、妄信している宗教の教祖と偶然、電車の対面シートで向かい合いになった感じと似たような感覚かもしれません。少しでも多くの情報を頭に取り込もうと脳みそがフル回転し、興奮している状態です。


 ここで少し冷静になって、その時の気持ちの動きについて分析してみましょう。
 自分が “不二山” を観て、なぜ興奮するまでに心を動かされたのでしょう? 作品自体の形状、色彩が美しいからでしょうか? 
 そう信じたいのは山々ですが、残念ながら違います。
 本や図録などで前もって好きになっていた作品を偶然観ることができたからです。そこにあったのは「観ることができた!」という感動であって、作品自体に美を見出し、心が動かされたのでは無いということです。

 この二つを混同してしまい、素晴らしい作品だと勘違いしているケースって意外に多いのではないでしょうか。
 体験、演出も作品の魅力には欠かせない要素とする考え方もありますが、物を作る人間、特にアーティストはここに注意し鑑賞しなければならないと考えています。


 ではなぜ、本や図録を見ることで作品を好きになったのか? それには先に書き出した様な、作品にまつわるエピソードや、解説者の分析などの裏付けによって、信じるようにコントロールされていたから。これは別に悪いことではありませんが、よくよく観察してみると世の中のほとんどの物が、その様なコントロールによって価値が作り出されていることに気付きます。
 そして一度作られた価値観はそう簡単に作り直せないことは、自分の嗜好からも窺い知ることができます。

 同じ「ふじさん」繋がりで、太宰治は巧いことをいっていました。

 たとへば私が、印度かどこかの国から、突然、鷲にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落
 されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじ
 め憧れてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知
 らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心
 細い山である。

(『富嶽百景』太宰治・著)