信じる見方


「カスタムペイントはアートではない」

 どんなにテクニックがあっても、物凄くリアルに描けていても、時間をかけた大作であったとしても、です。
 こんなことを言うとカスタムペインターから怒られるかもしれませんが、先月終了した展覧会「KNOW YOU ARE」展の開催の経緯はこの言葉からスタートしました。

 5月も終わりに差しかかろうとしている頃、日頃親しくしてもらっているカスタムペインターの倉科昌高さんから電話で「中村くん、三宿に空いているスペースがあるので一緒に展覧会やらない? 7月に」とお誘いがありました。
 聞くところによると、今まで店舗として使っていたスペースが空いたので次のお店がオープンするまでの間、展示スペースとして使って良いとのこと。改装前なので、照明も無いし、空調も効いていないけれど、自分たちで作れば何とかなりそうです。場所は三宿というお洒落エリアだし、隣にはギャラリースペースがありカフェも隣接しているので展示するにはこれ以上ないというロケーションです。倉科さんとだったらお客さんも大勢見に来てくれるだろうし、カスタムペインターと現代アート作家という微妙に異なるジャンルの二人で展示するのもいいかも……作風似てるし。

 随分急な話ですが旧作を出品すれば済むことだし、倉科さんのお誘いを断る理由もないので深く考えずに「喜んで!」と了承しました。
 当初自分は、お互いの過去作品を持ち寄って場所を埋めれば格好つくかな……くらいに軽く考えていたのですが、話を聞いてみると、どうやらそう簡単には行きそうにありません。そこには相当気合を入れて臨まなければならない大テーマがあったのでした。

 「今までカスタムペインターとして仕事を受けたり、自分の作品として発表してきたのだけれど、カスタムペイントの枠を取っ払ってアートの世界に一歩踏み込んでみたい。これまで自分は、依頼された商品に自分なりの考えを乗せてペイントしたり、自分で選択したプロダクトにびっくりするようなペイントを施して大衆に興味をもってもらえるよう工夫して制作してきた。いずれも自分の信じる美意識と画力、それに塗装技術を使って作って常に新しい試みを続けてきたおかげでそれなりの評価は得てきた。自由に表現してきたつもりだったが、これが現代アートでないことも、この先にもっと深いものがあることも知っている。新作を作るにあたってアドバイス願いたい。今回の二人展はその為の発表の場にしたいので是非とも協力してほしい。」









 私も20年以上、現代アートのジャンルの中で発表してきましたが、こんなにストレートなテーマを設けた企画は初めてです。私としてもここで「何がアートで、何がアートでは無いか」をじっくり考えるには良いタイミングで、はっきりとさせることで自身の作品の強度アップに繋げたいという目論見も出てきました。
 中村は20年以上やっているんだから、当然はっきりとした答えをもっているだろう? と思われるかもしれませんが、白状しますと実はよく解らないでいるのです。多分、自分以外多くののアーティストも解っていません(ごく稀に本当の意味で理解している人がいますが)。「はい、これがアートです。ここをこうすれば正しいアート作品が出来上がります」とは簡単に答えの出ないものですし、ましてや答えは一つではありません。アートの定義すら人によって様々ですし。

 作家は自分の信じる理論や美意識を頼りに作り続けているので、信じるものが強ければ強いほど他者の意見に耳を傾けなくなってしまい、頑固になって発展しない危険性を孕んでいます。中にはそれが過ぎて他人を攻撃してまでも自分を守ろうとする人もいるくらいです。信念を持つなという事ではなく、発展希望のアーティストはひたすら学び、柔軟な脳みそで考え、試行錯誤するもので、その過程で生まれるのが作品だと思っています。
 とはいえ、そんな抽象的で曖昧な意見では答えになっていないし、時間もありません。協力するどころか展覧会を成功させることも危うい感じになってきました。


 短い時間の中で最大限の成果を出すには先生に教えを請うのがベストだと考え、数少ないアートを理解している作家の一人、宇治野宗輝さんに意見を伺う事にしました。宇治野宗輝さんは大学時代からの付き合いで、自分と同じ工芸科出身のアーティストです。作風は様々ですが、ギターやアンプを日用品と合体させたサウンドスカルプチャーが有名で、その飛び抜けた発想とスケールで海外でも高く評価されています。スタジオがお隣だったこともあり、アートで悩んでいる事を相談するといつも明快な答えを出してくれる頼りになる先輩なので、今回もすがったわけです。
 倉科さんとの共通の知り合いでもあるので忌憚の無い意見も飛び交い、宇治野さん、倉科さん、中村の三人で「アートとはこうあるべきである」というテーマでとことん議論しました。作品についての具体的な批判やアドバイスもあったので細かくは書けませんが、かなり良い勉強になりました。40〜50歳のキャリアあるおじさんが集まって、自分の意見を押し付けるでも無く、真剣に話を聴きあう状況は新鮮で貴重な体験です。これもお互いを尊敬しているからこそできるわけで、奇跡のトライアングルが生まれたと思っています。


「カスタムペイントの生命線とも言える、分かりやすさ、即物的な表現がアートでは良くないという事。アート作品とじっくり対峙して暗号を読み解きつつじわじわと感動が生まれるような感じからすると、今までやってきたことは何とも安っぽいというか次元が違う感じがしてしまうのは否めません」





これは倉科さんの言葉です。確かに私が標榜するアート作品はどれも、どこまでも深く読む事ができる仕掛けが隠されている上に美しく、脳が刺激されて理解が追いつかない興奮を与えてくれます。


 「カスタムペイントはそれ自体がアートではない。それは表現手段であって、表現そのものでは無い」これは三人の共通した考えで、カスタムペイントの表現を使ってそれに何を盛り込み、アートの文脈を踏まえつつどこに向かって発信するかが重要になります。加えて、強い武器になる要素でもあるのでスキルは磨いておく必要もあります。
 同じく考えると「イラストレーション=アート」ではないし「工芸=アート」ではないということです。それぞれに目的も目指す方向も違いますから。
 「アート」という言葉はいろんな使われ方をするので誤解の無いように断っておきますと、ここでいう「アート」とは現代美術といわれるジャンルのもので、西欧発祥のルールに基づいた芸術のひとつです。一般に「何だかわからない」とされているあれで、変なオブジェの様な物だったり、絵画の様だったり、ときに踊りの様だったりします。
 何だか掴み処のないジャンルのようですが、分からないなりに考えを推し進めていくと「彫刻=アート」ではないし「絵画=アート」ではないことになります。やはりこれらもアート作品を作るための表現手段のひとつであるので、彫刻を作ったからといって安心はできません。ルールに従っていなければそれがアート作品とは認めてもらえないのです。


 そのルールとは何か?
 そこが分からなければ話になりません。
 ルールというからには何か縛りがあるかのように聞こえるので、広がりの無い、狭い世界の統一された価値観のように思われますが、そうじゃありません。三人の対話の中で宇治野さんが放った一言に真理がありました。


 「置きに行ってはいませんか?」


 聞いたとき何のことやら分からず「ん?」でしたが、調べてみるとこういうことです。


 野球において、ピッチャーが四球を恐れるあまりストライクゾーンへ「置きに行く」かのように速度や変化を抑えた球を投げることを意味する俗語。自分に本当にしたいことやチャレンジすることを恐れて無難な手段をとることも意味することがある。        (実用日本語表現辞典)





  「自分が安全でいられるために持っている価値観や方法を捨てるべきである」
  転じて「既存の価値観を疑い破壊し、真実を探り出すこと」

というメッセージだと受け取りました。これがアートのルールだとしたら、なんて広がりのある魅力的な世界でしょう。デュシャン、ウォーホル、ボイス、ダミアン……なるほど世界的に評価されているアーティストが生み出す優れた作品が、攻撃的で不良っぽいのが何故だかうなずけます。
 もちろんこれだけがルールだとは思いませんが、実践するにはかなりの勉強と時間のかかる作業です。

 ヒントをもらったお陰で気持ち良く理解でき、方向性が見えてきたところで作りかけの作品を眺めながらウンウンうなるのでした。
 続編はいずれまた……。