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第10回 書の指導は「楽器作り」? プロフィールをみる
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番外編


 「狂い出し」という言葉があるらしい。そうポピュラーな用語ではなさそうだ。

 それは木製の楽器を制作するメーカーの話である。自然の生み出した素材としての木材は、長い期間に生育された元来の性格である「木目」に従い、乾燥を経ることにより、徐々に「反り」が生じてしまう。そのことを見極めながら、メーカーは微調整を繰り返しつつ、もうこれ以上の変化はあらわれないであろうというところまで「待つ」という工程を「狂い出し」というのだそうだ。繰り返すけれど、業界的な専門用語かどうか、ぼくには確認出来ない用語なのだが。

 メーカーは、もうこれ以上の狂いは生じないであろうというところまで長い期間待って楽器の製作に入る。しかし、それでもなお木材は反る場合があるというからやっかいなものだ。しかも、ピアノなどの場合、新しく張った金属の弦も、初めのうちはとても安定せず、いわば「狂う」というし、ギターに用いる昔ながらのガット弦、つまり羊の腸から作ったものなども、安定はむずかしいといわれている。それゆえ、木材での楽器制作は、より長い時間をかけるだけでなく、経験と決断が必要な作業で、素材のクセを初めから知り抜いておく必要があるわけだ。

 書道の指導者も、じつは似たことをしている。書の指導とは、門下生の作品作りを、まるで木材の反りを計算しながら手伝うことと言えそうだ。

 さまざまな場合があると思うのだが、あるレベルに到達する以前の門下の方には、師匠がお手本を書き(提供し)、それをほぼそっくりに書いてもらうところから指導は始まるといっていい。

 はじめから、自力で作品を作るように指導される方もちらほら見うけられるし、構想・選文・初期の構成までは少なくとも自力で、という方法もよく見られ、さまざまなシチュエーションが考えられるが、やはり中級に至るまでの門下生には、原寸大の、いわば「仕上がり例」のようなお手本を渡し、いただいた門下のものたちは、なんとかそれなりに仕上げて、師匠に見せる。どこか展覧会に出品するなら、いろいろと指摘された部分を手直ししながら、締め切り付近まで何往復かあって、やっと一作が仕上がっていくのである。師匠が例を示し弟子が後追いする、いわば共同作業に近い。

 それでは、弟子は師匠のコピーを出しているだけのことなのか、ということになる。ありていに言えば、イエスである。しかし、じつはノーでもあるのだ。


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プロフィール

日比野 実(ひびの・みのる)
書家
1960年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、
幼少より、書を祖父・日比野五鳳に学ぶ。
現在・日展出品委嘱、読売書法会常任理事、日本書芸院常務理事
大学非常勤講師(京都大学ほか)、水穂会副会長





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