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第7回 トーナメントプロとレッスンプロ プロフィールをみる
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番外編


 ぼくはゴルフの趣味がないので、ゴルフの面白さを語り合うことが出来ない。20代はじめには、よく打ちっ放しの練習場に行っていて、いつの日か本格的にゴルフを始めようと考えていた時期があったのだが、グリップが悪かったのかスイングが悪かったのか、打った次の日は必ず右手人差し指がしびれるという、指先を使う者としては致命的な症状が出てしまい、コースに出るのは夢となった。やはり、友達2、3人で自分勝手に打っていても、それは練習にはならない。ちゃんとやるならレッスンプロに正しい指導を仰ぐべきだったと反省している。

 ちゃんとした先生に就いて我流にならないようにすることは、ゴルフでも書でも同じこと。ぼくなどの書道教室にも、たまに、我流でやってきた人が「一からちゃんと習いたいんです」と教室に見えることがあるが、我流は思いのほか抜けにくいもの。指導者にとっては、全くの初心者の方が指導しやすいのは明白。書に限らない普遍のことと思える。

 かつて、かな作家の大先輩、桑田三舟先生は「書家は、トーナメントプロとレッスンプロを兼務しているようなものだ」とおっしゃった。ゴルフのプロには2種類あるが、書家は平行してどちらもしなくてはならないという意味である。実際、われわれの仕事は、がんばって作品を書き、展覧会に出品し、一般の方々のみならず、仲間内や先輩の先生方に認めていただく、トーナメントプロ作家としての部分も大きな仕事ではあるが、それだけではプロとして生活していくことは出来ない。

 書の作品は売れることは少なく、ほとんど売買の対象にならないし、書を専門とする美術商さんも事実上ほぼいない。ゆえに、制作や表具にかかる経費は何らかの他からの収入がなければ拠出することが出来ず、出品すらままならない。もちろん生計を立てることもできない。要するにレッスンプロとならねばならないわけである。

 ぼくの場合、トーナメントプロとしては、日展をはじめとして、読売書法展、日本書芸院展などに作品を出している。レッスンプロとしては、複数の大学の講師やカルチャーセンターや小さな教室で指導をしている。時間的にみると、トーナメントプロ作家としての作品制作に充てる時間より、レッスンプロとしての時間の方がはるかに長い。はたして、どちらにウエイトを置くべきなのだろうか?


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プロフィール

日比野 実(ひびの・みのる)
書家
1960年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、
幼少より、書を祖父・日比野五鳳に学ぶ。
現在・日展出品委嘱、読売書法会常任理事、日本書芸院常務理事
大学非常勤講師(京都大学ほか)、水穂会副会長




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