最近、岩波新書から出た笹原宏之著『日本の漢字』では、少女たちのケータイメールのような、ある特定の集団内で通用する文字表記を「位相文字」と定義している。
そして、同書でも触れているようにコミュニケーションの変容を示す象徴的な例が、少女たちにあった書き文字に固有の共通スタイル(位相文字)が消えてしまったことだろう。
笹原氏による図式化によれば、少女たちの書き文字スタイルは、一九七〇年代後半から八〇年代にかけて時代を彩った「丸文字」もしくは「漫画文字」(図1中1)から九〇年代には「長体文字」という「一見大人びているようだが、そこまで上手になりきれていない」気分を映す「ヘタウマ文字」(2)へと変移した。そして現在は、すでに触れた作字を含めるかたちで、3.4のように符号や絵文字、ギリシア文字などをも自在に取り込む表記体系の全盛期を迎えている。書き文字からメール上での操作による表記への決定的ともいえる転換である。
なお、笹原氏はメール上の作字を、「万」を「一力」としたり(京都祇園の万亭を一力亭という類)、「只」を「ロハ」としたりする、「古くからある分字の手法」との共通項を指摘していることは興味深い。
小説『ロリヰタ。』で救いがあるのは「君」が終盤で「いくらずっとメールし合っていても、直接、お話したくなるでしょ。それは、言葉が気持を伝えるんじゃなくて、気持を言葉が伝える為に、あるからだと思うの」とつぶやいていることだろう。
「気持を伝える」ことの大切さを知れば、直接会うこととともに、手紙をしたためることもいずれ選択肢に入ってくるのではないか。日本人はバランス感覚に秀でる。何十年か後、今の少女たちが成熟した女性になったとき、文字を書くことの楽しみに目覚めてくれることを願いたい。
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