高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.14

現代版「茶掛け」としてのインテリア書
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
 今日もケイタイデンワで
 みんな
 虫になっていく
 虫になってみる
 虫の思想の羽音が
 青い闇の沸点を突き抜け

「言葉が電磁波とともにフルエルノダ」

 世界がカオモジで記載される夜に私は君とどの地点で待ち合わせよう?
(水無田気流「電球体」)

 のほど第十一回中原中也賞を受賞した水無田気流さんの詩集『音速平和』(思潮社)の一節である。一九七〇年生まれの詩人は、IT機器に囲繞されて生きる現代人の日常感覚をたくみに掬いとっている。
 しかに電車に乗ってもケータイ(ケイタイ)と一心不乱に「ご対面中」の人がやたらと目に付く。いまやすっかり定着した光景である。ケータイは所有者にとってまるでハンディな現代の「神器」のようだ。私はケータイを持たない旧人間ではあるが、その利便性を否定するつもりはない。いろんな情報を発信でき、また、たやすく手にすることができる「玉手箱」であるからこそこれほどに普及したわけだから。

図1:笹原宏之著『日本の漢字』(岩波新書)
より、少女たちの文字表記の変容


図2:嶽本野ばらの小説『ロリヰタ。』の
中に出てくるメール

 だし、便利でありさえすればなんでもOKというわけにもいかないという一面があるのではなかろうか。たとえば、若い世代を中心に車中で読書する人が減っているように見受ける。こんなことをいうと、「そんなことはないですよ、電子書籍をケータイでダウンロードしてちゃんと読書しています」とお叱りを受けそうである。「ケータイ読書」の普及もまた、急速に進行しているようだ。とはいっても、じっくり味読することが求められる長い人文系の文章には、やはり紙に刷られた書物が適しているといえるだろう。
 もかくも、はっきりいえるのは若者のコミュニケーションのあり方が、パソコンやケータイの浸透によって大きく様変わりしていることだ。
 「乙女」という言葉を、「自分だけの絶対的な価値観を持つ誇り高き人々」の意味合いを込めて復活させ、少女や若い女性たちから広い共感を得ている嶽本野ばら氏が二〇〇四年に発表した小説に『ロリヰタ。』(新潮社)がある。フリフリしたレースがふんだんにあしらわれたお姫様風のファッション「ロリータ」を好んで愛用している作家である「僕」が、ひょんなことから知り合い、惹かれ始めた若いモデルである「君」。その君は次のようにささやく。
 「私……話すのが、とても苦手なんです。特に電話が駄目で。だからメール、すると思います」
 話よりもメールが好きという言葉に、少女たちが共有する志向が端的に表れているのではないだろうか。
 ナログ人間を自称する「僕」は、「君」から送られてくるメールにはじめは戸惑うばかりだ。たとえば、小説中に挿まれている、図2のようなメールは、私のようなケータイと無縁な者にとってもじつに衝撃的だ。マカ不思議な暗号のようにしか映らないのだから。
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