これほどに新旧の歴史が重層、交錯し、そのことに愛着と誇りをもつ文化都市のことである。街のあちこちで興味深い文字表記が見られることだろうと期待して出かけたのであるが、その期待が裏切られることはなかった。前述したウィーン分離派の建物を飾る文字デザインもその好個の例である。
いちばんよく目にする例では、通り名や広場名に番地などを記している住居表示がある。横に長いプレートで、要所要所に掲げられている。日本では明朝体にあたる、多くは読みやすいローマン体による表記である。でも、新春コンサートで世界的に知られる楽友協会の建物とか、名指揮者カラヤンに因むオペラ座前のカラヤン広場といった由緒ある一画、通り、歴史を感じさせる小路などでは、古い書体であるドイツ文字(ブラックレター)で書かれた表示が今も使われている。ゴツゴツした感じの亀甲型手書き文字スタイルで、十五世紀にもっとも普及し、近代印刷の祖となった『グーテンベルク聖書』がそうであったように、活字としてもドイツ語圏ではしばらく使われた。漢字書体でいえば、篆書か隷書に相当するといってよい。
けっして読みやすいとはいえないこのドイツ文字に今もこだわっていることに、ウィーンの人々の矜持がうかがわれないだろうか。
また、街の名所旧跡には、赤と白の旗を目印として、その由緒来歴が正方形に近い白いプレートに記されている。歴史への敬意を如実に示すものだろう。
繁華街や名所の路面上などで、モーツアルトらゆかりの深い有名人の故事を活字で記し、そこにそのサインを併記したプレートもまたよく目にした。謹厳な活字体とサインのカリグラフィーとがみごとなハーモニーとなって、街と共存しながら彩りを添えている。美しい光景である。
文字表記においても、まさに歴史がみごとに重なる都市、それがウィーンである。
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