高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.11

歴史が重なるウィーンの表記体系
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
前回より続き≫
 ィーンを代表する繁華街グラーベンからも近い商店「エンゲル薬局」は、薬学の象徴である蛇が天使の腕に絡みつくという、いかにも分離派特有の官能性をたたえるファサードで知られる。一九〇二年に画家オスカー・ラスケによってデザインされたもの。ラスケは初め建築を学び、ヴァーグナーに師事したこともあり、後に画家に転じた人だ。
 の薬局を見に行ったら、ちょうど若い塗装職人ふたりが黙々と、剥落した部分などの手直し中だった。写真撮影にはちょっと邪魔になって困ったけれども、民間の側も過去の文化遺産を可能な限り最善の状態で維持しようとする心構えの表れとして理解でき、とても好感が持てた。
 ンゲル薬局の店名デザインは、ファサードと一体となった、シンプルながら独自の装飾性をたたえている。分離派のこうした装飾感覚は、日本の明治末ごろから大正期にかけて花開いた書き文字デザイン(レタリング)にも大きな刺激を与えたことを忘れることができない。

分離派様式を伝えるエンゲル薬局と
独特の感性が光る店名デザイン
(塗装職人が修復中だった)


ドイツ文字(ブラックレター)による
住所表記(オペラ座前のカラヤン広場で)


路上に埋め込まれた、ゆかりの有名人の故事をサインと組み合わせて
記したプレート(写真はモーツアルトのもの、シュテファン寺院前で)

 れほどに新旧の歴史が重層、交錯し、そのことに愛着と誇りをもつ文化都市のことである。街のあちこちで興味深い文字表記が見られることだろうと期待して出かけたのであるが、その期待が裏切られることはなかった。前述したウィーン分離派の建物を飾る文字デザインもその好個の例である。
 ちばんよく目にする例では、通り名や広場名に番地などを記している住居表示がある。横に長いプレートで、要所要所に掲げられている。日本では明朝体にあたる、多くは読みやすいローマン体による表記である。でも、新春コンサートで世界的に知られる楽友協会の建物とか、名指揮者カラヤンに因むオペラ座前のカラヤン広場といった由緒ある一画、通り、歴史を感じさせる小路などでは、古い書体であるドイツ文字(ブラックレター)で書かれた表示が今も使われている。ゴツゴツした感じの亀甲型手書き文字スタイルで、十五世紀にもっとも普及し、近代印刷の祖となった『グーテンベルク聖書』がそうであったように、活字としてもドイツ語圏ではしばらく使われた。漢字書体でいえば、篆書か隷書に相当するといってよい。
 っして読みやすいとはいえないこのドイツ文字に今もこだわっていることに、ウィーンの人々の矜持がうかがわれないだろうか。
 た、街の名所旧跡には、赤と白の旗を目印として、その由緒来歴が正方形に近い白いプレートに記されている。歴史への敬意を如実に示すものだろう。
 華街や名所の路面上などで、モーツアルトらゆかりの深い有名人の故事を活字で記し、そこにそのサインを併記したプレートもまたよく目にした。謹厳な活字体とサインのカリグラフィーとがみごとなハーモニーとなって、街と共存しながら彩りを添えている。美しい光景である。
 字表記においても、まさに歴史がみごとに重なる都市、それがウィーンである。
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