高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.7

書字の所作と芸術を結ぶもの
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
前回より続き≫
 とえば上巻につぎのような断章があり、高次の厳格な目標に向かって鍛錬することの重要性が熱っぽく語られている。
 「文字でも、先ず草聖と云う王羲之とか、文徴明とか、董其昌とかの手本があって、それを習得してこそ、妙味も出るのである。今の学校の如く、鉛筆やペンばかりで、読めさえすればよいと云う物質本位となれば、芸術も美術も亡滅である故に、先ず正しき手本、即ち、目標が先決問題である」。
 た、芸というものは文字と同様に、それが連綿と伝えられてきた沿革や歴史を識ることが大切だと説く。
 「文字で云えば、先ず楷書の字画を識り、それから行書、草書と、時代、世話、真世話物とこう運ぶのである。故にこの『三代記』の如きは、声の据りと腹の力の覚悟が出来た堂に入ってから、奥を伺わんとする人の熱心修業する品物であると、心得ておらねばならぬ」。
 お、文中にある「三代記」は「鎌倉三代記」のことで、江戸時代中ごろから語られてきた「容易ならぬ品物」とある。
 巻にも書とからめた、同じような指摘がある。すこし長くなるが引用してみよう。
杉山其日庵が書いた『浄瑠璃素人講釈』(岩波文庫)。
書とからめて浄瑠璃を論じる記述に注目したい。
 「元々芸と云う物は、風格の事を云う物で、あたかも文字の如く、鉛筆で書くのも字で、ペンで書くのも字である。また、縦に書くのも字で、横に書くのも字である。ただそれは読めるだけの字で、即ち字を書くと云う芸術には、先ずその字の風格を学ばねばならぬ。その風格には、この芸術に幾多の研究をして苦労を積んだ、先ず『王羲之』とか『文徴明』とか『趙子昂』とか『董其昌』とか云うて、楷聖草聖と云うような先輩が沢山ある。(中略)先ずそれを学んでこそ、芸術の道に入ったと言わるるのである。それを一切無視して、『古人も人間で、一派を出したのである。俺も人間であるから、コウ云う風に書画を書いて、一派を出すのじゃ』と、大声疾呼して勝手気儘に自分の思うた通りに書く者が、今で云うなら朦朧画、書なら金釘流である。無学な百姓町人の日記も帳面付けも、字は字である。即ち今の学生の鉛筆やペンの筆記も字は字であるが、字という風格は少しもないのである。その拠る処のある風格を書かねばならぬから、修業と云う事が必要となって来るのである」。
 中にある「朦朧画」は横山大観、菱田春草らが深めたいわゆる「没線描法」。日本画の新しい可能性を開いた技法である。著者の揶揄は偏見というべきであるが、修業を通じての風格の形成の大切さを一貫して説いているところは、芸術全般に通じる指針たりうる普遍性をそなえている。書に携わる人にもじつに示唆に富む本だといえるのではないだろうか。
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