高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.7

書字の所作と芸術を結ぶもの
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
 字の訓練やその独自の所作と芸術一般との結びつきについては、あまり具体的に論じられることはないけれども、意外に深いものがあるのではないだろか。
 とえば昨年の二月に台湾のクラウド・ゲイト舞踊団が初来日して行った東京公演がそうだった。同団は書や気功など東アジア固有の伝統的な身体所作を現代感覚あふれるモダン・ダンスとして繰り広げ、欧米を中心に高い評価を得ている。
 は公演プログラムのひとつ「行草」を観た。タイトルどおりに書の空間性やリズムを取り入れている。芸術監督で同舞踊団の創設者林懐民はダンサーに一年余にわたって書の訓練をしてもらったということだが、行書や草書に特有の流麗優美な筆路を、あたかもツバメの変幻自在な飛翔のような、立体感ある身体の躍動美によって表現していた。「雁塔聖教序」ほかの名跡が次々と映し出される舞台美術との相乗効果ともあいまって、じつに刺激的な舞台だった。「行草」は現代の先端をゆく振り付けであったが、伝統芸の世界となると書字がもつ身体感覚との距離がぐっと縮まる。
「書」「気功」など東アジア固有の伝統的な身体所作を
ダンスで表現する台湾のクラウド・ゲイト舞踊団
  の芸の本質について墨痕を引き合いにした追悼記事を寄せられたのが、昨年九十八歳で逝った京舞の人間国宝、四世井上八千代だった(朝日新聞二〇〇四年三月二十五日付、如月青子「規矩正しい『墨痕』の舞」)。
 「愛子(筆者注・故人の本名)は几帳面な性格に基づく規矩正しい芸であり、教えられた井上流の舞はそのままに大事に扱い、門下に伝えていく歩みを全うした」と。また、「八千代時代(筆者注・最晩年の二〇〇〇年に、孫の三千子さんに五世八千代を譲っている)の舞に私は〈墨痕〉という印象を与えられてきた。漆黒の分厚い迫力に圧倒された時もあれば、てり具合の深さや、まろやかさに誘い込まれたこともあった」とも記されている。きびしい修練を経てつちかった芸だけがそなえる折り目正しさが、深みある墨痕との連想を呼んだのであろう。
 碁の世界では、小林光一九段の碁風について「楷書の碁」という評があった(同紙二〇〇四年七月三十一日付「ひと」欄)。やはり端正でゆるぎない対局ぶりがしのばれる。
 近岩波文庫から復刻された杉山其日庵(茂丸、一八六四〜一九三五)の『浄瑠璃素人講釈』(上・下)も興趣尽きない本。杉山は在野の国家主義者で、なおかつ無類の人形浄瑠璃愛好家という傑物だった。長男が幻想的で魔力的な世界を好んで描いた異端の作家、夢野久作(本名・杉山泰道)だといえば、親近感を覚える向きがあることだろう。同書は当時の名人、竹本摂津大掾らから聞き取った話をもとにまとめられ、大正十五年(一九二六)に初版が出た。浄瑠璃芸の機微に迫る、葉に衣着せぬ直言が随所に見える。そして、しばしば書と関連づけられて論じられていることが注目されるだろう。
 
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