高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.6

ガリ版文字よ、永遠なれ!
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
前回より続き≫
 からこそ、依然として需要が多く、私が一時働いたような専門会社の経営も成り立ったのだろう。お堅い銀行勤めを辞め、好きな謄写版の筆耕に転身したという男性も、その会社の仕事を請け負っていた。
 場の展示説明によれば、大正時代が謄写版文化の開花期だという。大正デモクラシーの興隆を背景として、文学同人誌や労働組合の機関紙、職場のサークル誌、映画や美術などの同好会誌にさかんに使われた。一九二三年の関東大震災によって印刷工場が壊滅すると、官報や新聞まで謄写印刷でつくられた。
 二の黄金期は太平洋戦争の敗戦後。立ち直りの遅れた活版印刷に代わって、戦後復興を支えた。前述したように、教育現場でも試験問題や家庭との連絡に不可欠だった。
  リ版に翳りが見え出したのは、一九七〇年前後のこと。和文タイプ、複写機、簡易オフセットなどの普及により急速に需要が減り、八〇年代に入ると、ワープロやパソコンの浸透によるオフィス・オートメーション化の波がとどめを刺すかたちとなった。二〇〇二年には、前記した堀井親子が興した会社の後身であるホリイ株式会社が倒産し、謄写版印刷機と原紙の新規製造が停止に追い込まれている。
  「孔版書体」。右肩上がり横線五度の溝に沿わ
  せて製版する。沿溝法による楷書。いずれも教
  材例。
謄写文字の書体「楷書体」。斜目ヤスリにテー
パー(先が細い)鉄筆を使って製版(粒頂法の
代表的書体)。
             *掲載図版はすべて本間吉郎氏制作。教材例は部分
 て、みなさんは、手書きの味がえがたいガリ版文字には、いくつもの書体があることをご存知だろうか?その存在を私に教えてくれたのは、いまや希少な名手である師友、本間吉郎氏。氏は教職から謄写版の世界に転じるとともに、多色刷りを駆使する孔版画家として独自の領域を切り開いた故・若山八十氏に学んで孔版画家としても活躍してきた。今回の展示の資料目録の制作も氏の手にゆだねられた。
 間氏の教示によると、謄写文字の書体には、楷書体、ゴシック体、線書体・宋朝体(ともに右肩上がり八〜十度の長体)、右肩上がりの孔版書体、定規を使って書くゴシック体であるパイロット文字などがある。そしてヤスリは、ピラミッド型の頂点を鉄筆が擦過するようにつくられているもの(粒頂製版)と、鉄筆を溝に沿わせて書くようにつくられているもの(沿溝製版)とに大別されるが、上記の書体はそれぞれどちらかに属しているという。
 リ版のプロはこうしたいくつもの書体を、反復と持続訓練によって、自在に書き分けることができた。線に抑揚が付かないように、終始、平均した力で書き通すことも肝要だ。ガリ版とその手書き文字は、「近代日本文化の底流を支える力」(本間氏)であった。たとえ消え去る運命にあろうとも、手づくりメディアとして市井人とともに刻んだ格別の功績は、これからも折に触れて語り継がれてゆくに違いない。  
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