高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.3

「現代の花押」としてのグラフィティ
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
前回より続き≫
 本では、関東地区におけるグラフィティのメッカが、最近廃線となった横浜の東急東横線・旧桜木町駅周辺の高架下側壁。何百メートルにわたって延びるグラフィティの競演は見応え十分である。無味乾燥な壁がここでは魅力的なアートのある空間へと変身を遂げている。なお、この壁画を最初に描いた若者は、いまや海外でも活躍する画家に成長しているという。
 近、桜木町まで改めて足を運んだが、そのスケールは冒頭で触れたニューヨークのホール・オブ・フェイムをしのぐ。しかも、別に公認の場ではないことに留意する必要がある。描き手たちもそれは十分にわきまえているようだ。ある壁面の下に「これからも自由に描いていきたいので、標識その他カベ以外へのBOMB(注・爆撃〈書きなぐり〉)はしないことを誓います」とメッセージが記されていることがそのことを証している。
 はいえ、日本のグラフィティの現状はほとんど無法状態。私の住む武蔵野市の繁華街、吉祥寺地区もひどい。グラフィティ本来のある種の公共性への認識を欠いたまま、表現衝動だけがあらぬ方向に暴走しているとしか思えない。勝手に描かれたほうはたまったものではないだろう。
横浜市・桜木町駅近くの高架下側壁グラフィティ
とその下に書かれているメッセージ
「現代の花押」を思わせるライターの
サイン的文字表記(武蔵野市で)
 は単純ではないことを承知しているつもりだが、私は無条件にグラフィティを容認しようとは思わないし、だからといってすべてを排除しようとする立場にも与しない。自由な表現への欲求は、上述のメッセージのように国境を超えて共通だからである。しかも、若い世代ほど経済的な制約があって発表の場に恵まれないのだから。そして私は、グラフィティ独特の文字表現における大胆なスタイルに注目したい。アメリカ・オークランドのあるライターは次のようにその特徴を吐露している。
  「グラフィティ・アーティストは現代の書家―カリグラファー―と言えるだろう。いろんな文字を本当に面白く変型させてさ、イメージから文字を作り上げてさ、イメージとテクストを一つになるまで溶け合わせるんだからさ。(後略)」(前出『現代思想』誌より) 
 字のイメージ解釈とその構成術における自在さは、ライター自身のサイン的表現では、見苦しいものが多いのが難点ではあるけれども、「現代の花押」を思わせる。日露戦争海戦において日本に奇蹟的な勝利をもたらした聯合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥が自身の花押を、アルファベットの組み合わせで揮毫していたことを彷彿とさせるといったら、軍神に失礼だろうか。
 像的な表現と一体化した文字表現はさらにユニーク。かつてないイメージの飛翔が試みられているからだ。現代の書の可能性という観点から眺めても、グラフィティには意外なヒントが隠されているように思えてならない。

第4回へ

© Copyright Geijutsu Shinbunsha.All rights reserved.