高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.1

最後の文人装幀家のこだわり
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
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 記の偲ぶ会では親族もあいさつされたが、そのなかで興味深かったのは、実弟で法政大学名誉教授の都市政策プランナー、田村明さんの発言であった。明さんによると、「父親は書をよくしたが、兄貴も父親と同じく書がうまかった」とのこと。
 村義也さんが生前に残した唯一の作品集であり、装幀論集である『のの字ものがたり』(朝日新聞社、九六年、自装)には父親の書道への傾倒ぶりと父親からの感化が次のように綴られている。
「私の父は、いつも字を書いている人だった。明治二十二年生まれ。青少年時代から、とくべつ能筆だったようである。紙きれがあると、よく字を書いていた。私もその影響を受けてか、すぐ箸袋を開いて、ものを書いたりする。父は飯島春敬の書道塾(?)に通っていたこともあって、春敬流の『春』の文字の書き方を、当時小学校生であった私に伝授してくれた」。
 村さんの書き文字は、初期の仕事には大庭みな子『錆びた言葉』(講談社、七一年)のように破天荒なまでの奇想を弾ませたものがあるが、総体としては骨太で力強いものである。まさに古武士を思わせるような堂々たる風格。そのことが、田村さんならではのたたずまいをその装幀にもたらしている。そして私はその文字を見ていると、書道からの影響にくわえて、活版印刷が導入される以前に日本の出版文化を支えた整版印刷(一枚の板に文字を彫り込んだ木版刷り)時代の素朴だが雄勁な文字との血脈もまた感じる。木版文字(明朝体)は元をたどれば唐時代の柳公権らの楷書体に行き着くのであるが、それはともかくとして、田村さんは木版文字に範を採った文字をいくつも書いている。
  出『のの字ものがたり』のタイトルには「の」の字が三回出てくる。注意して見ると、起筆部が上部の円弧より上から書き起されたものと、ピタリ付いているもの、そして離れているもの、と書き分けされていることに気付かれるだろう。こうした着想は日本の伝統的な仮名書の素養がなくては思いつかないものではないだろうか。
 「いつも字を書いている」父親を見て育った田村さんは、「書く」ことこそが私たちの心事や文化の根っこと深いところで響き合っていることをわきまえていたはずである。長い編集者生活で培った学殖と時代への批判精神に対する敬意も込めて、私は田村さんのことを『装幀時代』のなかで「最後の文人装幀家」と形容したのであった。

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